18
バン、と音を立てて医務室のドアを開ければ、中に居た人々が一斉にこちらに振り返った。リナリーやラビ、神田、コムイさん、リーバー班長、科学班のみんな。そしてはっきりと見えたリナリーの頬に一筋残る跡に、身体の中の血が波のように引いていくのを感じた。空気が、冷たい。自分の唇から漏れていたはぁ、はぁという荒い息遣いも、全てが止まって、動けなくなった。その場で動けなくなった僕の所へリナリーが静かにやって来て、僕の腕をそっと取った。
「…アレンくん、」
リナリーは僕の目を見つめて言った。大丈夫。なまえは生きてるわ、とその言葉でやっと僕の足を床に貼付けていたものが解けた。よろりと一歩前に進めば、リナリーがさっきまで居た場所からなまえの、絆創膏に埋もれた顔がはっきりと見えた。否、それは一瞬だけで、次の瞬間にはもう目の前がぼやけてなまえの顔は見えなくなった。
「…なまえちゃん、ファインダーが連れて帰って来てくれたとき、本当にぼろぼろの状態だったんだ。
レベル4が出現したらしくてね。イノセンスを発動最大限に解放した、らしいんだ。本当に無茶するね、この子は…」
コムイさんの本当に小さな、自分に言い聞かせるような声は、静まり返った医務室の中で響いた。聞こえたのは、微かな溜息と、なまえに繋がれた機械が立てるピ、ピ、という規則的な音だけ。
「…アレンくん、ここまでぼろぼろになったのは、イノセンスが作り出した突風が原因らしいんだ。ファインダーによれば、なまえちゃんはその風に耐えられていたらしい。…でも、ふ、とした瞬間になまえちゃんが吹き飛ばされたんだと」
「……どういう、事ですか」
「ファインダーは見たんだと。なまえちゃんが、風が吹く方向へ手を伸ばすのを」
「………どういう、」
「…あのね、アレンくん。なまえ、此処に帰って来た時、右手の手の平を握り締めて、離さなかったの。イノセンスを握り締めているのかもしれないと思って、なんとか皆でこじ開けたの。そしたらね、アレンくん。何が出てきたと、思う?」
「……………」
リナリーは団服のポケットからそっと、それを、取り出した。
医務室の無機質な白い蛍光灯に照らされて微かに光ったのは、銀色。激しい突風に晒されて、土埃にまみれて、ぼろぼろになっても、それでも確かにそれは銀色に、光った。
「……………」
「…アレンくん、アレンくんなら、この意味、分かるでしょう?」
リナリーの言葉に顔を上げれば、リナリーが僕に微笑んでいるのが分かった。頬に、新しい涙の筋を、残して。
リナリーからそっとそれを受け取る。短くなり、擦り切れたそれは、酷く軽くて、軽くて、
「………ですね、」
「…え?」
「………馬鹿ですね、なまえ。史上最悪の馬鹿です。ほんとう、に、」
頬を何かがつう、と伝うのを感じた。
「ほんとうに、ばかじゃないですか…!」
踵を返して医務室を飛び出した。少し先の自室に向かって走り出す。後ろで、リナリーが僕の名前を呼ぶのが小さく聞こえた。けれど、振り返りはしなかった。一度も。
自分の部屋に駆け込み、ガチャリと鍵を閉めた。ドアに寄り掛かって、ずるずるとしゃがみ込む。手の平をそっと開けば、確かに残る銀色の酷く頼りない感触。唇を噛み締めても、漏れ出る嗚咽は止められなかった。
きみが残したのはいつかの銀色の、記憶。
10/02/24
11/05/31加筆修正