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糞だの貧弱だの、女性に対して失礼にも程が有る。そう口に出したのは一時間前か一分前か一秒前か。気づけば僕の足元には闇色の欠片と紅が広がっていた。

「…哀れなアクマに、魂の救済を」

吐いた言葉だけがその場所に浮遊しているかのようだった。頬に飛び散ったアクマの血を感じても、破壊されたアクマを見ても何の感慨も湧いて来ない。いや、意識的にそうしているのかもしれなかった。何かが、変わったような気がした。それが僕なのか、僕の中の誰かなのかなど解るはずも無かった。戦闘で立った土埃を避けるように瞼を閉じれば、真黒の世界に鮮やかに紅が浮かんでは消えた。



「我々の勝ちです、Mr.マーチン」

どれくらい時間が経った頃かはよく思い出せないけれど、確かそれまでとても長かったのを覚えている。リンクの言葉に続いたマーチン氏の姉の一声でぽっかりと所在無く宙に浮いていた手はさらさらと砂に変わった。そして、きらびやかな宝石が埋め込まれた指輪だけを遺して、砂は何処からか吹いた風に乗って、消えた。あの日から、10日後の事だった。


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司祭から挨拶の後無言で差し出された手を見て、ミランダさんはミランダ・ロットーです、と言ってその手を握った。戸惑う司祭の様子を不思議そうに見つめるミランダさんに苦笑を少ししつつ事の次第を告げる。すると何時ものミランダさんよろしく慌てた口調で平謝りするので、大丈夫ですよと宥めるのも何時もと変わらなかった。新しく変わりはじめた教団の体制に不慣れなのは僕も同じで、でも少しずつ順応しているのも確かで、それは望ましいことである筈なのに何故かこころの奥底には昔の方が良かったなんて気持ちも見え隠れする。戻れる筈は無いのに。全てを知る前にはどうしたって戻れやしないのに。暗証番号をだだ漏れにしながら手に書くミランダさんに声こえ、と口を出した時、ブチッという何かが切れる音が聞こえた。

「暗証のイミ分かんねぇのかよ、黙ってさっさと書け!!」

あからさまな苛々を声に混じらせて神田はこちらに声を飛ばした。ひぃっ、というミランダさんの怯えた声に、僕は離れた所で立つ神田を振り返って睨んだ。白い綺麗な教会に背を向けていた神田は僕が出した咎める声に振り返って、何だよ、と悪びれずにしゃあしゃあと返事を口にする。本当に分かっていない。溜息と共に込み上げた苛々を吐き出した時、本を手に立つリンクがこちらに視線も送らずに口を挟んだ。

「はあ、貴方達そのパターンで喧嘩するの何度目なんですか。ローズクロスに見合う品位というものを少しは持って」
「うるせぇよ」
「……はあ?」
「うるせぇんだよお前等。俺の知ったことじゃねえんだよ、」

どうでも良い。それだけ吐き捨てると神田は直ぐに身を翻して教会の中に入って行った。厭に響いた靴音と、教会の扉が閉まる音。しんと静まり返った空気に混ざるように、ぽつりと小さな声が聞こえた。

「……ごめんなさい、」

私のせいね、そう言って眉を下げて謝るミランダさんに慰めるように言葉を紡いだ。ミランダさんのせいじゃ無いです。きっとそうじゃない。多分神田はきっと、

「…神田をイラつかせてるのは僕、かな」

小さく吐いた言葉は空気を揺らしただろうか。曖昧な境界を捉えられずに自嘲を漏らす。困ったような表情を浮かべる司祭にすみませんと一言謝ってその手に自分の暗証番号を書き終えると、ミランダさんとリンクを促して中に入った。空気は、冷たかった。



あと3分、ゲートが開くまで待つ。教会の中は居心地の悪い沈黙に包まれていた。方々に視線を散らして、皆が皆に背を向ける。空中に浮かんだゲートから教会の床に施された緻密な装飾までをぼんやりと意味も無く眺めた。眺めても脳には何の痕跡も残らなかったけれど。ぐるぐると脳の中を埋め尽くすのは数分前の言葉たちで、こころの奥をゆらゆらと揺らす。

神田はさっきどうでもいいと言った。神田がああ吐き捨てたからには本当にどうでもいいと思っているんだろう。女性に対しての乱暴な言葉遣いや教皇の事、そして14番目の事も。だから『そんな事』に囚われている僕が、鬱陶しくて仕方ないのだと思う。僕だってこんな自分になりたくてなった訳じゃない。考えたくも気付きたくもないのに、分かってしまう自分が厭になる。でもどうしたらいいんだ。どうすれば。僕は、どうすればよかった?方法なんて誰も教えてくれはしないのに。自分が決めた道が真実なのだと言い聞かせて進むしかないのに。でもそれでも、自分を信じ切ることなんて出来やしなくて、どうでも良い、くそくらえだなんてとてもじゃないけど言えないんだ。



「…おなか、すいたぁ……」

ぐるぐると頭の中を廻るものを押し込める為にぽそりと無意識に呟いた言葉はそれで、口にしたらしたで口に出すまで感じていなかった空腹感を急に覚えた。気になりだしたらもう抑え切れない。ぐるるる、とお決まりの音が鳴った。僕の手の中でティムがぐにゃぐにゃと形を変える。ぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃ。ぐるるる。あああおなかすいた。ぐるぐる。ぐにゃぐにゃ。


「…キャンディー持ってるけど、食べる?」

横から聞こえたミランダさんの声に、食べる、と子供みたいな声が出た。それと共にぱちん、と手の平で音がしたけれどその時は手元をそっちのけでミランダさんから袋を受け取り、受け取ったそこそこにバリボリと頬張る。キャンディは、甘かった。口の中に広がる様々な甘い味に口の中だけがふやけていくようなそんな気がした。ふ、と視線を動かすと何だか泣きそうに笑うミランダさんが見えてキャンディの味が一瞬消える。嗚呼。ひとにそんな表情をさせてしまった自分の情けなさを思って出そうになったものを、沢山のキャンディーと一緒にごくりと飲み込んだ。


10/01/30
10/11/20加筆修正
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