消毒液を付けた脱脂綿でちょいちょいと紅くなった膝をつつけば、ぐぬぬぬと女子高生としてはあるまじき声を発してなまえはふるふると震えた。普段ならば何があっても無言で歯を食いしばっていそうななまえがそんな声を発したことに、少し驚きつつも俺は脱脂綿を反対の膝につける。


「お前もうちょい可愛い喘ぎ声出してくんない?全然興奮できないんだけど銀サンののジュニアまだ脱脂綿みたいなんだけど」
「うるさ、いいいいいいしみるううう」
「声直す気ないよねソレ」
「あ、あんたを興奮させるために生きてるんじゃないからわたし!あんたの、だ脱脂綿とか全然わたしに関係ないから月とすっぽんぽんぐらいに関係ないから」
「すっぽんぽんがお前ってことだよな?おし銀サンが手伝ってやる」
「ちょ、靴下脱がさないでよ!」


がっと紺のハイソックスを右足だけ下ろせば、なまえはさっとその右手のてのひらで足首を隠した。恥じらいを持つのは大変結構だが、医者には患部ぐらい隠さず見せるもんだ。てのひらで被う前に一瞬覗いた、青くなった足首をオレは見逃さなかった。普段ならひだスカートから伸びた白い足なんてムラムラすることこの上ないが、青痣のある足となれば仮にも医者の代わりである自分としては話は変わってくる。


「誰だ、アァ?痣できるくらいどぎついSMプレイをしてきたヤローはよォ」
「………あんた、それ以外頭にないの?あんたの頭は猥褻物しか詰まってないの?ばかじゃないの?ばかじゃ、」
「いま俺の頭にゃお前の痣作った奴のことしか詰まってねーよ」


正確には、なまえの痣を作った奴への憎悪、だけどな。ふつふつと、身体の中の血液が、温度を上げていくのを感じた。脳が、熱に侵される。侵食されてゆく。唇を噛んで、少し水を湛えた瞳をこちらに向けるなまえの姿に、ぐらりと揺れた心臓の音は、侵された脳には届かなかった。




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「足、引っ掛けられたの。教室で、クラスメイトの女の子に」


じっと斜め下を見つめながら、ぽつりぽつりと言葉を発した彼女は、俺が突き出した氷嚢を何も言わずに受け取って足首に当てた。俺はいつもはべったりな背もたれとも今日は離れて、椅子に浅く座り直せば、ぎしりと重く椅子が鳴いた。診察室の真っ白なベッドに小さくなって座ったなまえは、俺が手をその右足に伸ばすとその意図を察して少しだけ右足を前に出した。


「わたし、嫌われてるから、皆に。みんな、わたしが昔やってたこと、知ってるから」


もう一度、患部を確認するために、足先を支えながら氷嚢を離した足首を様々な方向に動かす。


「ここの、…かぶき町の、風俗で働いてたから、わたし」


ある方向に向けたときだけ、なまえが一瞬顔を歪めたのを見逃さずに、俺はそれらしき場所を指で少し押す。その度に眉間にすこし皺を寄せるなまえの表情を確認したあと、ここを冷やせと指で押さえたまま言うと、なまえは何も言わずにそれに従った。


「…風俗で働いてたって言っても、わたしまだ10歳とかそんなもんだったから、男のひとを相手するわけじゃ、なかったんだけど。わたしがお金を稼ぎたくて駆け込んだ店のオーナーは、いま思うと、すごくいいひとだったんだと思う。もしかしたら、そういう……幼い子たち専門のところに、売られたかもしれないのに、そのときのわたしには、わからなくて。オーナーに言われて、ずっと掃除とか、お使いとか、そんなことばっかりしてた」

「一週間ぐらいでおじいちゃんにすぐにばれて、辞めさせられたんだけど。そのときにはもう、両親は死んじゃってて。そのときにも、オーナーは何も言わずにわたしを追い出してくれた」


ふっと、すこしだけなまえの床を見つめるまなざしが、穏やかなものに変わるのが分かった。それも、その直後の瞬きで、またすぐに元に戻ってしまう。


「でも、たとえ一週間でも、風俗のお店で働いていたことは、ほんとうだから。噂なんてあっという間に広まって、学校に友達なんてできなかった。彼氏は………いた、けど、それをいつの間にか知られて、この前、ふられちゃった」


淡々とした語り口調には、一見何も含まれていないようにも感じられる。けれど、じい、とただ床の一点を見つめ続けるその瞳や、ちいさく抱えられた膝、そして何よりもその声が、かすかに震えて、俺の鼓膜を揺らして、消えて、ほんとうになまえが、消えてしまいそうなくらいに。


「ばかだよね。おじいちゃんにただすがっているだけなんて堪えられないと思って働いたのに、結局迷惑かけて、わたしは、」

「わたしは、自分でどんどんひとりになっちゃった」


ばかだね、とへらりと笑ったなまえの顔は、すぐに見えなくなる。無意識に伸びた右腕が、なまえのちいさな頭を自分のほうに引き寄せていた。なまえの柔らかい髪ごしに、てのひらになまえの体温が伝わる。自分の左肩辺りにもまた、着流しごしにゆるりとなまえの体温が、ながれこむ。


「…………ねえ、」


肩のあたりから、くぐもった声が鼓膜を揺らした。すん、と息を吸う音が、続けてひとつ。どうしたらわたしは、過去のわたしから逃げられるの。掠れた声は、嗚咽とともに俺の着流しに吸い込まれていく。俺のてのひらの中で、ちいさな頭が、ふるりと小刻みに震えるのを感じた。
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