どきりと鳴った心臓は聞こえないふりをして、わたしは掴まれた腕を離そうとぶんぶんと振った。尚も離れない医師の手と、眼鏡の奥の目を交互に見て、わたしは掴まれていないほうの手を医師のそれを引きはがすために医師の手にかけた。するとその手すら医師の手に絡めとられて、わたしはすとんと丸椅子に引き戻される。簡素な椅子は、わたしが乗るとぎしりと音を立てて揺れた。


「なに、すんの…!」
「だから、診察っつってんだろ」
「べつに、怪我も病気もしてないし、」
「いーからとりあえずその帽子脱げ」
「…!な、なんでよ」
「あーもううるせーからはやく脱げ」
「や、だ」
「脱がないなら銀サンが脱がすから」
「や…!」


わたしは片手でニット帽をぎゅ、と掴んだけれど、それよりも強い力がわたしの手の上から働いて、虚しくもすぽんとニット帽がわたしの頭から脱げてしまった。すぐに俯いて、静電気でぼさぼさになった髪の毛を手ぐしで梳かしていると、俯いたわたしを見上げることができるくらいにしゃがみ込んだ白髪の男が、わたしのほうにすっとその右手を伸ばして、わたしの瞼にそっと、触れた。ちなみに相変わらず、わたしの右手はまだ解放してはくれないらしい。彼の左手に、囚われたままだ。


「腫れてんなァ」
「……腫れて、ない」
「何だオイ、ピーピー泣きすぎか?」
「…べつに、ちがうし」
「あーあれだ、いやー最近の若者は激しいのがいいらしいからなウン、銀サンもウデ上げないとだよねウン」
「ばかじゃないの?変な妄想しないでよ」
「んでそのS男がどーしたS男が」
「だからなんで佑ちゃんがS男になんのよ」
「へー、彼氏はハンカチ王子ですか」
「その佑ちゃんじゃな…………」


しまった、と思った時にはもう遅かった。ばっと目の前の男を見つめ直すと、男の口角がすっと上がっておもむろに彼は立ち上がる。へらへらしたこの男のことだ、掴んだからにはさんざん突っ込んでからかってくるだろうと思って身構えていると、当の白髪はといえば、いつの間に移動したのか自分の椅子に座って後ろの冷蔵庫をがちゃがちゃと漁っている。何がしたいのかよくわからずにわたしがじっとその白い背中を見つめていると、くるりと白髪男は椅子を回してわたしのほうに向き直った。未だに彼の意図が読めずにわたしが彼の目を見ていると、また彼の右手がすっと近づいてきて、ふわりとわたしの瞼に触れた。と思うとすぐに、ひんやりとしたものが目に押し当てられる。

「……ひゃ、」
「やっぱり腫れてんな、これで冷やしときゃ大丈夫だろ」
「…………」
「オラ、銀サンの顔ばっか見つめてないで自分で持つの」
「…あ、…はい」


言われた通りに慌てて氷嚢を片手で支えると、白髪の彼はすっとその手を離した。途端にずしりと手に感じる氷と水の重さに、わたしはすぐにもう片方の手で押さえる。………あ、いつのまにか、手、離されてたんだ。ぬるく温まった掌の熱は、瞼を冷やす氷たちにすぐに奪われてしまって、少しだけ、ほんのすこしだけ、胸の奥が揺れた。

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