失礼します、そう言ってがらりと開けた扉を、わたしはまたすぐにぴしゃりと閉めた。もちろん、中には入らずに。無言でわたしは扉の前に立ち尽くすけれど、そんなわたしを訝しむひとは誰もいない。事務のひとも、いつも優しく声をかけてくれる看護師さんも帰ってしまった夜8時半。いつもならば、ふんわりと優しい笑顔を見せて迎えてくれるおじいちゃんがこの中にはいたはずなのに、どういうこと。無意識に眉間に皺をよせていたわたしは、閉じた扉の中から響いてきた声にはっとする。


「もしもォーし、患者サーン?ドウゾー」


やはりわたしの見間違いではなかったらしい。確実に、中にいるのはわたしが会いたかった人物ではなかった。へんに間延びした、ほんとうに、ほんとうにやる気のなさそうな声が扉ごしに響いてくる。その呑気な声にわたしは唇をゆがめて、くるりと回れ右をした。来た道を引き返そうと一歩前に踏み出したところで、背中の方からがらりと不吉な音がして、おそるおそる振り返ると、にやりと口角を引き上げた男がひとり、わたしを見下ろしていた。


「患者サン、診察室へどうぞ」




_

半ば引きずられるようにして診察室に入ったわたしは、患者用の簡素な丸椅子に苛々を隠すこともせずどかりと座った。被っていたニット帽も外さずに、むしろ両手でぎゅ、と更に目深に被る。ぶすっとした顔のままでどこということもなく視線を診察室の中に巡らせていると、いつもならおじいちゃん先生の煎餅が入っていた木の皿に、山のようにチュッパチャプスやらホームパイやらチョコバットが盛られているのに気づいて更に胸を占める苛々が増した。なんだこいつ。ここはお前のスイートホームじゃないんだよこのやろう。


「あー、これ食う?銀サンのチョコバット」
「いらないし、銀サンのチョコバ…とか、…その言い方不愉快なのでやめてください」
「お前チョコバットすら言えねーのかよ純情だなァオイ」
「綿五月蝿い」
「綿ってそれ銀サンのなに、髪の毛がってこと?ねえ違うよね?」
「五月蝿いしつこいウザい」
「ちょっとォー、自分からおしかけておいて酷い扱いしてくれるじゃないのなまえちゃんよォ」
「……わたしはおじいちゃんと話をしにきたの!あんただって知ってたら来なかったわよ!」


そうだ。わたしがこのかぶき町のちいさなちいさな医院に、しかも診療時間が過ぎてやって来たのは、この医院の唯一のお医者さん………源おじいちゃんに会うためだ。単に病気や怪我を治したいなら、かぶき町にはちゃんと大きな病院があるからそこに行けばいい。現にこの医院には、おじいちゃんの昔からの馴染みであるひとはともかく、病気を診てほしくてやってくるひとはいないに等しい。皆おじいちゃんと世間話やらなんやらをしにやって来る。わたしだってそうだ。両親のいないわたしを、ご近所のよしみで面倒を見てくれているおじいちゃんは、わたしの唯一の相談相手である。友達は………いまのわたしにはいない。今まで、今日の今日までいた、恋人ももういなくなってしまった。わたしには、もうおじいちゃんしか、こころの中をさらけ出せるひとはいないのだ。


「へえ、あのジジイにねえ、じゃあジジイに何を話すつもりだったんだ?」
「うっさい、あんたには関係ないから」
「関係はまーこれから持てばいいんじゃないのなまえちゃん」
「は?ちょ、なに触ってんの、ってそっちの関係!?」
「コッチの関係ー」
「ふ、ざけんなあああ」


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