指先から
唇から

ガヤガヤと楽しげな笑い声の響く中で、私は銀色のスプーンを静かに置いた。まだ微かに湯気が立ち上る陶器のカップに口をつける。少しだけ苦いブラックコーヒーがたった今食べ終わったビーフシチューを一掃して私の中を落下する。落ちる。少しだけ熱くなった息を溜息として吐き出した。私もこの中に落ちて行ければ良いのにと思った。黒くて苦い、コーヒーの海に。

カチャリ、とカップをソーサーに戻して視線を前に戻せば、たった今入口をくぐった、コーヒーの黒と対照的な白い、ひと。直ぐに視線をテーブルに落とし、まだ飲みかけのカップをビーフシチューのお皿と共にトレーに乗せて立ち上がった。まだ賑やかな時間帯のせいか、私が一人でトレーを持って歩いても人々は話に夢中で誰も気にも止めない。椅子と椅子の間をくぐり抜けて、トレーを返却口に返した。

「ご馳走様、ジェリーさん」
「あらん、今日は速いのねん?」
「ん、ビーフシチュー美味しくって」
「ありがとん」
「ご馳走様」

微笑むジェリーさんに手を振って、食堂の出入口に向かった。そうすれば厭が応にも目に入る賑やかな4人。ラビにちょっかい出されて何時ものように怒る彼と、それを宥めるリナリー。あ、神田は舌打ちしてるだけか。リナリーも何とか言って下さいよ、なんて困った様にリナリーに言う彼の表情は、仲間に対するそれとはまた違う、こころの奥がきゅう、となるようなもので。直ぐに目を逸らしてしまった。足早にその隣を通り過ぎる。嫌に自分の足音と楽しげな笑い声が響いて、思わず唇を噛み締めた。半ば走る様にその場を後にする。4人の私に対する視線には気づかないふりを、した。


何処に向かっているのか良く分からないまま歩き続けた。頭の中で彼の表情を思い出して、何だか頭がぐるぐるして、気持ち悪い。思わず足を止めて、壁にそっと手をついた。その思いがけない冷たさに少しだけ声が出た。こんな声を彼の前で普通に出せたらどんなに、とまで考えて、止めた。そんな事を今考えたって、変われることと変われないことが有る。これはきっと、変えることの出来ないことの方だ。はぁ、と息を吐いて顔を上げれば少し埃っぽくなった窓についた私の手と、窓に映る眉を下げた顔が見えた。通りで冷たい筈だ。間違えて窓についてしまった手をそっと外した。窓に残る手の跡と自分の顔に唇を歪める。

「酷い顔」

唐突に外の空気を吸いたくなって、教団のバルコニーを目指して足を踏み出した。まだ、手には窓の冷たい感触が残っていた。



バルコニーへ続く窓を開ければまだ春に近づいているとはいえ冷たい夜の空気が頬を刺した。手を擦り合わせながらバルコニーに足を踏み入れる。簡素な造りの手すりに両肘を預けて立った。

ひゅうう、と音を立てて通り過ぎる風が体を震わせた。吐く息も微かに白くもやとなって、一瞬で消える。どうして、あんな風に避けることしか出来ないんだろうか、私は。もっと楽しい話題があったら、もっと器用に振る舞えたら、どんなにか。傍に居るリナリーが羨ましくて、妬ましい。私にはそんな資格は無いというのに。この空みたいに、真っ黒いのは、自分。違うのは、星なんて綺麗なものが無いこと。アレンも、リナリーも、ラビも、神田も皆、きらきらしていて眩しい。黒い自分がとても、惨めに思える。私には、何も無い。目を背けているのは私自身だと、気づいていても怖くて、目を開けられずにいる。私が止まっている間に皆が前に進んでいることも、気づいているのに。

きらりと光る星を見てふと、いつかのあの日を思い出す。
話すことが見つからなくて、躊躇いながらアレンの前髪を何も言わずに掻き上げたこと。くすぐったそうに睫毛を揺らす瞳と、額に瞬く五芒星。これ、と呟く私に少し瞼を伏せながら呪いなんです、と告げたアレンに、咄嗟に呪いなんかじゃ無いわ、と叫んだ時。無意識に口をついた言葉に、アレンは瞳を見開いて、そして有難うと小さく言った。その時に見えた微笑みは、今でも鮮明に思い出せる。それなのに私は、最後に自分が笑った時を思い出せないんだ。


顔を上げれば無数に瞬く星が見えた。流れ星は、流れない。アレンの額に瞬く星も、何故か滲んで見えなくなった。瞼を閉じれば、昔いつか聴いた旋律が体に響いた。唇が、音を紡ぐ。


遺された愛
込められた祈り 全て
見えなくなるんだ
堕ちる 貴方の上に
凍る 私の上で
掴めないの?
星は 流れて 流星


ギイ、と窓が開く音がして、振り返れば白い彼が、夜風にその髪を揺らして立っていた。

「………どうして、そんなに哀しい唄を独りで、唄うんですか」

彼が現れた驚きは冷たい空気と共に飲み込んで、ふ、と息を吐く。落ち着き払ったように。

「…知、りたい?」

アレンは私の目を見つめたままこくり、と頷いた。ふ、と引き結んでいた唇を緩めて言葉を返す。

「………どうして、アレンは一人でこんなところに来たの?」

私の言葉にアレンは瞳を見開いて私を見た。そしてゆっくりと瞼を閉じる。

「………知りたいですか?」

う、ん、という言葉と共に微かに頷けば、アレンはふ、と微笑んで瞼を開いた。白い睫毛に包まれた、とても、それはとても綺麗な銀灰色が、まるで星屑の様に微かに、優しく光った。


遺された愛
込められた祈り 全て
見えなくなるんだ
堕ちる 貴方の上に
凍る 私の上で
掴めないの?
星は 流れて 流星

頑ななこころ
逸らした視線 全部
見えなくするから
包む 貴方の瞳
溶かす 私の目
手を伸ばすから
涙は 止まって 六等星

指先から 愛を
唇から 温もりを
そっと触れた 愛の証明

滲んだ星に歌うのは

瞳を開いた、貴方と私

手を、伸ばすよ


10/03/26
涙墜さまに提出


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