あたたかい風が結わえずにそのまま肩に下ろした髪を揺らした。伸びた前髪が視界の端でぼんやりと見える。嗚呼、この前切った筈なんだけどな。私って髪が伸びるのが速いのかもしれない。かといってそんな事はちっとも嬉しくないのだけれど。それでも、逆らえない流れ、というものを直に感じさせられて、座り込んだその足元にようやく芽を吹いた葉っぱを何本かちぎった。手当たり次第にぶちぶちと葉っぱをちぎる音に重なって、少年の声が後ろから届いた。

「駄目じゃないですか、そんな風にちぎっちゃ」

後ろは振り向かずに葉っぱをちぎる手だけを止めた。右手を緑の中で酷く目立った漆黒のブーツの上に持って来て、手の平に残った葉っぱの欠片をはらはらと落とした。その横にどっこいしょ、なんておじいちゃんみたいな声を出しながら座る少年。老けてるーなんて口に出せば彼は大袈裟にその白い髪の毛を押さえた。どんまい、と満面の笑顔を向ければからかわないで下さい、とその綺麗な顔を真っ赤にして主張した。

「かーわいい」
「だからからかわないで下さいよ」
「本当に可愛いんだから自信持っていいわよ」
「だからからかわないで下さいってば」

必死な顔が可笑しくてはは、と笑い声が出た。それにつられたのかアレンも綺麗な顔で、笑った。ふ、と視線を前に戻せば自分が居る丘の下に流れる小川と、その水面に浮かぶ白い花びら。目の前の坂を止まることなく滑り下りる桜の花びらと、少し背が伸びた草木の匂い。

「………春、ですね」
「…………ん」

そう、春。その事実はあたたかい風に乗って舞う花びらによって確かなものにされようとしていた。少し折り畳んだ足を伸ばして、瞼を閉じる。それでも耳に入る鳥のさえずりからは逃れられない。そっと、耳に入るアレンの声だけに集中する。

「………早いものですね、時の流れというものは」
「……そう、ね」
「何だか怖くなります。このまま時に流されていくんじゃないかって」
「……………」
「……でも、流されてしまえばいいのにと思うことも、あります」

瞼を開いて、隣にあぐらをかいて座るアレンの顔を見つめる。真っ直ぐな瞳は私の視線を捕らえて離さない。

「………、」

初めて呼び捨てにされた名前にどきりとする。この少年もどんどんと大人びてきて、困る。もう少年と呼ぶのも何だか申し訳無い気がしてきて、もう良く分からない。目が逸らせない。

「………まだ、あの人の事、」

嗚呼。そっと無理矢理、視線をアレンの瞳から剥がした。足元に散らばる草木の欠片に視線を合わせる。何故そうしたのか自分でも良く分からない。何処でも良かった、アレンの瞳以外ならば。ちぎれた若葉から目を離さずに言葉を吐き出す。

「……ごめん」
「………っすみません、あの、えっと、……本当に、ごめんなさい、あの、僕」
「いいよ、気にしないで」

ブーツに付いた葉っぱをそっとつまみ上げてそう言えば、すみません、とまたか細い声が聞こえた。違うのに。そうじゃないのに。謝らなければいけないのは、私なのに。

もう一度眼下の小川に視線を戻す。ゆっくりと、それでも確実に流れていく。留まる事は、無い。風が吹く度に視界が白く色を変えた。

「……あの、僕、先に行ってますね」
「………ん」

直ぐ横で空気が動く気配がした。視線は、小川から外さない。ゆっくりとまだ青くなりはじめたばかりの若葉を踏み締めるカサ、という音が聞こえて、小さくなって、そして消えた。急に鳥のさえずりや小川の流れる音が耳に届く。ふ、と視線を横に移せば少しだけ平らに倒れた若葉達が彼の痕跡を伝えた。無意識に手を伸ばしてそっと倒れた若葉を撫でる。何度も、何度も。ごめんね、アレン。ごめん。酷い女だと、思う。アレンの気持ちを知っていて、ごめん、って言ったんだから。ごめんね、……それでもまだ、新しく訪れた季節に追いつけないでいるんだ。ううん、違う。追いつけないで居たいの。あたたかい春に。つめたくて、苦しい冬に、縋って居たいの。そうすれば、そうしないと、あの人との全てが、終わってしまう気がして。どうしても。痛みが、苦しさが無ければ、あたたかさに、溶かされてしまう。癒されてしまう。春に。貴方に。どうしても。だけど、私はまだ忘れたく無いの。我が儘だって知ってる。だけどまだ、冬に取り残されて居たいの。もう少しだけ。


ぽた、と私の目から落ちた雫が傍の草木を微かに揺らした。でも、それでも、さっき見る事が出来なかった貴方の顔を想像すればする程、胸の奥がきゅう、と鳴るの。貴方に、笑っていて欲しい。だってほら、貴方が居た場所さえも、愛しい。矛盾した想いの行き先は、分かってる。こうしている間にも少しずつ少しずつ、春は近づいて行くから。止められないから。だから、もう少しだけ、待ってて。もう少しで、きっと追いつけるから。貴方に。

地面に手をついて、立ち上がる。服やブーツに付いた葉っぱを払って、少しだけ息を吐いた。振り返って、若葉の中を一歩前へ足を踏み出す。ふ、と顔を上げれば桜色の中に見える、白い、ひと。

「…………先に行ってるって言ったのに」

私がそう言えば、彼は何も言わずにあの綺麗な顔で、笑った。優しく。あたたかく。

「………馬鹿ね」

丘の坂をてっぺんに向けて駆け上がる。頂上に辿り着いた私を確認して再び歩き出したアレンの数メートル後ろを、ゆっくりと歩いた。零れ落ちそうなものを落とさない為に、顔を上げれば青い、春の空が滲んで見えた。


振り向いて君、仰ぎ見て青




10/03/24
涙墜さまに提出
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -