もしもし、とそう機械ごしにきこえた声は、それほど久しぶりというわけでもないのに、ひどく懐かしく鼓膜を揺らした。瞬間、胸の中にぶわ、とあたたかい何かが広がって、通話口にちいさく答えたわたしの声を震わせる。耳に押し当てていた携帯に、わたしはそっともう片方の手を添えた。


『…もしもし、』
「…もしもし、あの、」
『………なんだ』
「…あ、えっと、」
『……用もないのにかけてきたのか』


スピーカーから漏れた声は、ぶっきらぼうにもきこえたけれど、呆れたような、でもやさしい、いつもの彼の声だった。たぶん、わたしには彼の顔など見えはしないけれど、ふっと静かに笑ったのだとおもう。その表情を瞼の裏に描いて、わたしは携帯を握りしめたまま、息を詰める。ぐらりと揺れた心臓の音を、電波にのせて伝えないように。わたしが黙ったままでいると、また彼は静かに声をこちらに寄越した。


『……どうした?』
「…あ、あの、秋山さん、」
『……なんだ』
「…えっと、その、元気、かな、って、」


最後はちいさく消え入りそうな音で、わたしは携帯電話のむこう側に話しかけた。唇を引き結んで、スピーカーから聞こえてくる音を逃すまいと携帯を耳に押し当てる。けれど、わたしの声から数秒、機械ごしに彼の低い声が聞こえてくることはなくて、彼がいまいるであろう場所の喧騒ばかりがわたしの携帯から漏れていた。車のエンジン音、ひとが遠くで話す声、信号機の青の音楽、そして、わたしの内側で、ばくばくと鳴り続ける心臓のおと。ざわざわと、絶えず鳴り続ける街の声に、わたしは包まれてゆく。消えてしまいそうに、なる。瞬間。音に埋もれて消えてしまいそうになったわたしを掬い上げたのは、やっぱりスピーカーから零れ落ちた彼の声だった。


『………それだけか?』
「え、あ、その、………はい」


すみません、とそう言いかけたけれど、続く彼の言葉にわたしの言葉はすう、と喉のおくのほうに消えていった。


『……ああ、元気だ』


ああ。ずっとずっと思っていたのだけれど、秋山さんはほんとうに魔術師なんじゃないかとそうおもう。瞼の裏が、熱くて仕方ない。つめたくてやさしい彼の声は、いつもわたしの胸の奥をゆらして消える。元気だと、ただそれだけで、ひとことで、わたしのすべては秋山さんを求めて鳴いた。あいたかった。あいたい。けれど。ライアーゲームは、わたしの非日常は、終わりを告げたのだから。携帯電話を耳元から外して、ふらりと持つ手をわたしは下げた。空いた手の甲を唇に押し当てると、詰めていた息が漏れていくのを感じて息を吐く。部屋の中のお気に入りのぬいぐるみを意味もなく見つめて、零れ落ちないように瞬きをがまんしながら、わたしはまた携帯を耳元に戻した。


『おい、もしもし、』
「あ、すみませ、……そう、ですか、元気なら、はい、よかったです」
『……………』
「わたしも、元気、です」
『………ああ』
「突然、電話してしまって、すみませんでした」
『………ああ』
「…じゃあ、」
『………ああ』


失礼します、とそう告げて携帯電話を耳元から離すけれど、わたしの指先は電源ボタンを押すことができなかった。3分05秒、06秒、07、08。ゆっくりと増えていく通話時間の表示は、10まできてぱたりと途切れた。通話終了の文字が、デジタルな画面にぽかりと浮かぶ。わたしは、ずるずると自分の部屋の壁づたいにしゃがみこんだ。かなしい。くるしいよ、あきやまさん。わたしの知らないどこかで、秋山さんが携帯の電源ボタンを押したことが、そんなの当たり前のことなのに、なぜか苦しくてかなしくて、わたしは自分の膝に顔をうずめた。



全ての非日常が終わってから、数日後のはなし




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