背中に流れ落ちる黒髪が、あの日の彼女を鮮やかに脳裏に蘇らせた。まだ春の訪れよりも冬の寒さが残っていたあの日、微かに震えた小さな肩も。一つだけ違うのは、彼女の背中を包むカッターシャツの白が、漆黒のマントに変わっていたという事。その黒の深さに少しだけ目眩を覚えたが、目をつむってそれが過ぎ去るのを待った。もう一度目を開ければ、もう目眩は感じなかった。もうすっかり春めいてあたたかくなった空気を少しだけ吸い込んで、言葉を発した。

「ハジメマシテ、お嬢さん」

素早く振り返ったその瞳に映ったのは明らかな驚き。それでも変わらずその瞳は魅惑的な輝きを纏っていて、振り返る仕草で宙を舞った黒髪も、透き通る様な肌の白さも、変わらず、綺麗だった。

「ハジメマシテ、綺麗なお嬢さん」

もう一度そう言ってにっこりと笑えば、形の良い唇がどうして、と動いた。

「おや、何処かでお会いした事が有りましたかな?」

こんなにも綺麗な女性を忘れるとは、とわざとらしく首を捻れば、茶番は止めて、と小さな、それでもはっきりとした声が耳に届く。懐かしい、凛とした声。



「………はは、変わんねぇな、」

手袋をした手で額から髪の毛を掻き上げれば、彼女はもう直ぐ目の前まで間合いを詰めていた。彼女の右手に握られたそれから繰り出される攻撃を受け止める。オレの目の前で綺麗な顔がそっちもね、と言って少しだけ、笑った。



続いた攻撃を弾き返して距離を取る。春の訪れを告げるあたたかい風と、それに泳ぐ花びらがオレと彼女の間を通り過ぎた。もう、桜の季節なのか。風が吹く度に視界が少しだけ桜色に染まった。その向こうで武器を構える彼女の瞳は、まだ微かに動揺の色で染まっていた。

「……何でそんなに驚いてんの?」

オレの言葉に彼女はその瞼を閉じてふ、と息を吐いた。ほんの数瞬だけ浮かべた、穏やかな表情。


「……もう会う事は無いと、思ってた、から」
「…何でだ?」

彼女が動いた。一度も結わえた事が無いようにさえ思える真っ直ぐな黒髪が桜色の中でふわりと靡く。一気に近づく距離。お前足速かったんだな。初めて知った。ずっと傍に居たというのに。気付かなかった、否、気付かない振りをしていたのか。オレは。

彼女の髪の毛の線が見える程の距離になって、彼女の唇が動いた。ティキはあたしをころせない、と。確かにそう動いた。彼女の右腕が振られ、神の結晶がオレの胸に届くのを躱しながらもう一度何でだ、と言葉を投げ掛けても答えは返って来ない。彼女は少しも表情を動かさずに右左とその右手から攻撃を繰り出し、只それを避けるだけのオレは少しずつ後ろに追い詰められて行った。春が近づき青々と茂りはじめた草原の中、視界に映るのは空の青。草原の緑。桜の色。そして、黒。

背中にとん、と何かが当たる感触がして、振り返れば桜の幹に背中を預けていた。素早いステップで直ぐに距離を詰めた彼女は、勢い良くその右腕を振った。ザン、という音が耳に届く。空気を切る音だった。



「…………殺さねぇのか?」

彼女の右手に握られた神の結晶は、オレの眼前でその切っ先を震わせていた。それ以上動かない代わりに彼女の唇も閉ざされて開かなかった。数秒の硬着状態の後にもう一度口を開く。何故あの日、オレの前から消えたのか、と。何度か風が花びらを攫った後、彼女は噛み締めていた唇をそっと開いて言った。

「………堪えられなくなったの、」
「…………何に」
「………皆に嘘をつく事も、貴方に私の正体を隠して逢う事も」


「……何、お前はオレが気づいて無かったとでも?」


彼女の大きな瞳がはっきりと見開かれた。彼女の背中越しにオレの体から生まれた黒蝶が風に散る桜に紛れて、朧げに見える。

「オレはお前が神の使徒である事ぐらい分かっていた。
…お前に1番最初に会った時からずっとな」

それならどうして、と声にはならない呟きが彼女の唇から滑り出る。

「そんなのお前が言うのかよ」

そんなのお互い様だ。分かっていて、隠しあって、それでも、愛した。自分でも信じられない程に。

「…………正直、分かんねぇんだわ。此処でお前の前に立っているオレは、ノアか、それとも、」

「………只のオトコなのか」

彼女は、答えない。


「何だっけ、お前が欲しいって言ってたモノ……永遠だったか?」

永遠が、欲しい。一ヶ月前、オレに寒さに震える背中を向けて言った言葉。震えていたのは寒さのせいだけでは無かったのかもしれないけれど。お前が欲しいと呟いた、永遠?そんなもの幻想だ。まがい物だ。それなのに、

「………お前はオレに自分を殺して欲しかったんだろ」

死ねば永遠を手に入れられると言うのか。それは何だ、永遠不変の死と言う状態?永遠の不変の愛?そんなもの、オレ達人間が壊して来たものだろうが。戻らない愛を願って、死を壊して来たんだ。アクマは、そういうモノだろう?人間の、不完全な永遠のカタチ。

「オレは永遠なんて信じない」

永遠なんて存在しない。
それでも人間は円環的なセカイを求める。
終わりの無いものなど、無いのと同じだというのに。

「もし、………もし仮に、お前が欲しいと言った永遠が有るのならば」

この想いが何時までも変わらず続くという事ならば、


「この瞬間が、"永遠"って事だろ」


"何時までも時空を超えて続く"ために、"この瞬間"が必要なのだ。"この瞬間"の積み重ねが"永遠"なのだ。それが存在すると言うのなら。



今この時が、一瞬で永遠。



10秒後に、セカイがどうなっていようとも。
今この瞬間だけは、ひとかけらの永遠。そうだろ?



ふ、と目の前の武器が消え、彼女の左手がオレの頬に添えられた。同時に彼女の腰を引き寄せ、口付ける。深く、深く。逢わなかった時を埋めるように。きつく、抱き締めて。変わらない彼女の匂いが脳に届く。



キスをしながらそっと片目を開ければ視界の端に映る彼女の右手にそれでもしっかりと握られた神の証。風に翻弄される桜色と、それに紛れる黒蝶。


ふ、と口角だけで笑って、もう一度目を閉じた。柔らかな唇を味わいながら後頭部に手を添わせれば、ふわりと何かがオレの手に着地した。

風に乗って舞い降りたは春と過ぎ去る時を告げる花びらか、それとも。



永遠の十秒後、俺達は殺し合う


10/03/18

Vt.企画短編:ティキ 後編

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