幸村は、思い立ったらすぐに行動するタイプだ。


「もしもし」
「もしもし、俺だけど」
「俺って誰」
「海、行こうか」
「突然だね幸村くん」
「じゃあ15時に駅ね」
「え、今日?」
「うん」
「わたし水着もってないんだけど」
「誰がきみの水着姿見たいって言った?」
「え、見たくないの」
「うん」
「えええええ」
「海が見たいだけなんだ」
「えええええ」
「じゃ、あとでね」
「えええええ」
「ツーツーツー」


幸村は、ひとの話を聞かないタイプだ。いや、違う。聞かないのはわたしの話か。



_

がたんごとんと列車が立てる音に耳を澄ませながら、わたしは目の前に立つひとをそっと見た。車両の隅に陣取った彼は、ドアのガラスから外に広がる海をじっと眺め続けている。その横顔は、いつ見てもギリシャ神話の彫刻みたいに綺麗で、ううん、綺麗というより、幸村に関して言うのなら美しいという形容詞が1番似合っているのが、何とも悔しい。中身もかみさまみたいだったらよかったのにこの天上天下唯我独尊男め。普段の幸村の大魔王っぷりを見知っていると、こちらをちらちらと見てくる女子学生たちがなんとも可哀相になる。みんな、こいつはこんな顔してひとに平気できみの水着とか見たくないとか言うんだからね。涼しい顔して痩せろブスとか言うんだからね。あ、いや、ブスはまだ言われてなかったかもしれないような言われたような。


「そこまではまだ言ってないでしょ」
「え、まだって」
「ん?」


何だい、とにこりと音がするような笑顔を見せてくるのでわたしも口元だけで引き攣った笑顔を返す。こわい幸村こわい幸村まじこわいほんとこわい。頭の中にあるものまで読んでくるんだもんまじこわい。って、わたしがこわいこわい思ってることも筒抜けってことだよね。うわわたし死んだ。すぐ傍らの壁にずるずると寄り掛かれば、思いがけずゴンと頭をガラスに打ち付けてしまった。いった!


「………大丈夫かい?」


口元緩ませながら言われても説得力ないっつの!不自然な間をもたせてそう心配そうな言葉を吐いた目の前の男を、わたしは頭をさすりながら思い切り睨みつけた。それに意味があったかどうかは、仕舞いには声を漏らして笑い出した幸村を見れば明らかである。



_

降りるよ、という声でわたしは伏せていた瞼を急いで持ち上げた。心地好い揺れと窓から差し込む暖かい光で、いつの間にかわたしは意識を飛ばしていたらしい。寄り掛かっていた壁から体を離して2、3度瞬きを繰り返す。目の前の幸村はふっと口角を上げてわたしに背中を向けた。と同時にがたがたと音を立ててドアが開く。ちょっと幸村なにその笑い!……そういえばわたしがうたた寝をしていたということは、すなわち目の前にいた幸村にばっちり寝顔を見られてしまったということだ。くそう、何たる不覚。幸村のことだから、後になってもネチネチネチネチわたしが何かやらかす度に言ってくるに違いない。そこの幸村見つめてるお嬢さん方、この人ってそういうやつなんですよほんとに!いやもうほんとまじ「何やってんの、降りるひとの邪魔でしょ」


ぐい、と二の腕を掴まれてわたしはホームに降ろされた。急に動いたことによって足元がおぼつかずふらりとよろける。しかしわたしはホームに倒れ込むことはなく、とんと幸村の胸に当たって止まった。当の幸村は、わたしの頭越しにすみません、と声をかけていた。わたしも急いで振り返って謝る。ああもうわたし、ほんとにばか。


「きみ、ぽうっとし過ぎだよ」
「……すみません」
「ほんと、きみに付き合ってたら埒があかない」


すみません、と言おうとしたけれど、それは幸村の手によって阻まれた。ぐい、と手を引かれたけれど、今度は掴まれたのはわたしの掌で。幸村の掌から、ゆるりと温かい温度がわたしの掌に伝わった。そのまますたすたとわたしの手を引いて幸村は歩いてゆく。というより、きみに付き合ってたらって、幸村がわたしを連れて来たのに。幸村の表情はわたしには良く見えなくても、わたし自身の表情は手に取るように自分で分かった。頬を刺す日差しが熱い。けれど頬を撫でる風はひんやりとしていて、ああ夏ももう終わってしまうのだと、そんなことをぼんやりと頭の中で巡らせた。



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サク、サク、と足元から響いてくる音は次第に鈍い音になっていって、ビーチサンダルが砂に沈むのを一回一回引き上げながらわたしは海に近づいていった。駅の目の前にあるこの海は、もう夕方だからだろうか、それとも夏が終わりに近づいているからか、わたしと幸村の他には、砂浜には人っ子ひとり居なかった。もう、太陽は地平線の向こうに沈みつつあって、空は橙と紅と薄い紫と、様々な色が混ざり合って不思議な空気をこちらに寄越した。


「うわ、ほんとに海だねえ」
「当たり前でしょ、何言ってるの」
「でも何か、やっぱり海だなあって感じ、する」
「ほんとにきみって変だね」
「幸村ほどじゃないけどね」


そう言うと隣からばさりと砂が足元に降ってきた。ばっと横を見ると幸村はしれっとした顔で尚も海を見つめ続ける。わたしもビーチサンダルに乗った砂をかけてやろうかと片足を持ち上げたが、すんでのところで思い留まる。わたしだって全身砂まみれで帰るのは避けたい。持ち上げた足を自分の足元でふるふると振って、わたしはサンダルの上の砂を落とした。再び顔を上げると、太陽はこちらが眩しく感じるぐらいきらきらと橙色の光を寄越してきて、思わず目を細めた。ちらりと横の幸村を見ると、同じように幸村もその目を細めて太陽を、いや海を、見つめている。ずっと、何分間も同じように。わたしにとってその何分間かは、何時間も経っているかのように感じられるぐらい、幸村はずっと海を見つめ続けていた。幸村が再び唇を開いた時も、わたしは海を見ていたからわからないけれど、多分海を見つめたままだったのだろう。



「………立海は、負けたんだよね」
「………俺が「幸村のせいじゃないよ」
「幸村のせいじゃ、ない」
「…………」
「わたしは、すごい次元の話とかよくわかんないし、真田の話もいつも難しいなあって思いながら聞いてるから、ほんと、情けないぐらいばかだけど、でも、」
「…………」
「わたしにもわかることだってあるよ」
「…………」
「幸村のせいじゃない」


わたしの言葉に幸村はずうっと黙ったままだった。ほんとにずうっと、黙ったまま。再び幸村の声が聞こえたとき、橙色に見えていた太陽はもうその頭ほどしかこちらからは見えなくなっていた。


「………真田の話は、俺も半分ぐらいわかんないよ」
「え、そうなの」
「うん、そう」
「……そっか」
「………うん」



それからまた、声は海に沈んだかのように聞こえなくなった。太陽が見えなくなって、辺りは黒くて暗い闇に沈む。響くのは構わず打ち寄せ続ける波の音だけだ。きっと幸村は泣いている。暗くて見えないけれどわたしは確かにそう思った。そっと繋いだ掌はそれでもやっぱり温かくて、わたしは唇を噛んで前を向き、白い波を立てる海を見つめ続けた。幸村、すきだよ。目の前の海に向かって言ったのか、隣の幸村に向けて言ったのか、それとも声にならなかったのかは思い出せないけれど、わたしと幸村の夏は、あの海で確かに息を止めたのだと思う。


砂浜に沈んだ海


11/09/21
3万打 しおんさんへ

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