な、なんだこれ。わたしは、そこにいる人の数の多さにぽかんと口を半開きにした。いや、駅を出た時からっていうかホームに着いた時からっていうか電車に乗った時からもはやうすうす気づいてはいたのだけれど。すごい。というより気持ち悪い。こんなに東京にひとっているんだ。改札をすり抜けた人々がざわざわと音を立てながらわたしの脇を通り過ぎていく。ただ今、17時25分。綱吉はまだ、来ていないみたいだ。少し薄暗くなった外の様子をちらりと横目で見て、わたしは改札口の柱にゆっくりともたれかかった。


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ひゅるるるる、どおん。背中の方から聞こえてきた低い音にわたしは思わずばっと振り返った。黒々と塗られた空に、オレンジ色の線が光る。……ああ、花火か。もう始まってしまったらしい。必要以上にどくどくと鳴った心臓に手を当ててすう、と息を吸い込む。やだな、職業病ってほんと。音が鳴った瞬間に懐に手をやって振り返った自分をこころの中でなじる。わたしのばか。胸に当てた自分の腕を少し傾けて手首の銀色の腕時計を覗き込む。18時3分。仕事、滞ってるのかな。


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18時46分。綱吉を待つときにはあまり見ないようにしている時計を、3回目に見たときの文字盤はそう示していた。おもむろにハンドバッグから取り出した携帯のランプがチカチカと点滅しているのに気づいて、急いで開くと新着メール1件の文字。送信者沢田綱吉、時刻は30分前。今からいくよ、遅れてごめん。文面はそれだけ。それでもわたしの唇からは安堵の溜息が漏れた。よかった、来てくれるんだ。ほっとしたのもつかの間、来てくれると分かったら、こんなに待たせやがってと苛々がひょっこり姿を現し始めた。わたしも現金だなあと思いながらぱちんと携帯を畳む。仕事で何かあったかもとか、心配して損した。やって来たら盛大にけなしてやる。パンチも一発、いや二、三発お見舞いしてやろう。決意も新たにわたしは携帯をバッグの中に放り込み、腕組みをして仁王立ちした。


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あいつ、乗り換えでも間違えたのかしら。腕組みと仁王立ちの格好にいささか疲れた19時半、苛々してるよアピールポーズを崩したわたしは再び携帯を開いた。新着メールの表示はなし。いちおう、新着メールを問い合わせるが案の定メールは来ていない。電車に弱いってことはわたしの知る限り無かった、はず、なんだけど、彼のことだから何かちょっとドジったりしてるのかもしれない。最近はもうほとんどそんな姿を見かけないけれど、きっぱりなくなったなんてこともないだろう。一体どんなドジをしたのか思慮を巡らせながらまた携帯をバッグにしまう。アジトから来るなら、多分30分前には着いてるはず。やっぱり乗り換え間違えたのかな。反対方向行ったのかも。あほだなあ綱吉は。そう思いながら顔を上げれば、駅の改札というシチュエーションに全くもって不釣り合いな黒いスーツのひとが改札をすり抜けて来た。見覚えのある、つんつんと撥ねた明るい茶色の髪。ああ、来た。ほっとした気持ちもあるけれど、それを越える驚きと疑問がわたしの中に渦巻く。わたしの名前を呼んで、走り寄ってきたそのひとは荒れた呼吸のままにごめんと呟いた。


「ごめ、ん、遅れた、っはあ、」
「……ど、うしたの、なんでスーツ?」
「仕事、終わって直接、来た、から、」
「え、仕事って……アジトに帰らなかったの?」
「ちょっと急用が出来て…朝から行ってて、それで空港から、そのまま、来た」


そうだったんだ。そう返事をして笑うはずだったのに、わたしの唇からは違う言葉が零れ出る。


「……心配したじゃん、ばか」
「いちおう、メール送っただろ?…ってか、浴衣着て来なかったのか?」
「……べつに、いいでしょ着てなくても」
「…………どうした?」


目を逸らして言葉を吐いても、彼がわたしを覗き込もうと少し首を傾けるのが視界の端に見えた。ああもうやだ、いやな女になってる。綱吉と視線を合わせずにつっけんどんな言葉を口にしてしまったことをこころの中で後悔する。分かってるのに。綱吉がどんな立場にあるのか、わたしだってその中に身を置く人間なのだから、じゅうぶんに分かっている。それでもなんで聞き分けがないんだろう。わたしの様子に違和感を感じたらしい彼は、どうしたともう一度呟いて首をもう少し傾けた。視線を上げて綱吉の目を見れば、その茶色の瞳は綺麗で、透き通っていて、でも不安げにゆらゆらと揺れている。ああ、狡い。その瞳を直視すると、いつだってわたしはこころの中を零さずにはいられなくなる。わたしは、詰めた息をゆっくりと吐き出した。



「………最近、綱吉忙しそうだったから」
「…………」
「この前も、会う約束なくなっちゃったし」
「…………」
「もしかしたら、来ないかも、って、」


そう思ったら、ひとり浴衣を着て待つ自分が酷く滑稽で惨めな気がして。わたしは箪笥から引っ張り出した浴衣をまた元通りに戻してしまった。もし来てくれたとしても、あまり楽しみにしていたようすを見せないほうが綱吉にとって気が楽だろうと、そんな言い訳をこころの中で繰り返しながら。ほんとうはすごく浴衣を着たくて、綱吉の隣で、カランコロンと下駄を鳴らしながら腕を組んで歩きたかった。でもそんなのは無理なんだって、卑屈になってあまのじゃくの自分がむくむくと育っていく。約束を破る綱吉なんてきらい。ボンゴレボスの綱吉なんてきらい。仕方のないことだって分かっていても聞き分けのない、そんな自分が一番きらい。


「…ごめん、なんでもない。花火、行こ?多分そろそろおわっちゃ、」


ぐい、と手首を引かれた後に感じたのは、とんと顔にぶつかった温かい体温。目の前に少し荒れたネクタイがあって、ふわりと微かな香水が鼻をくすぐった。花火の音を聞くよりも、どくんと心臓が跳ね上がる。わたしの後頭部に回った彼の手が、すうっとわたしの髪を梳いて、背中を甘い痺れが駆け抜けた。


「ごめん、遅れて」
「…………………」
「……怒ってる?」


わたしの耳元でそう問い掛けるように囁きながら、彼はゆっくりとまたわたしの髪を撫でる。ぞわぞわとした感覚が背中に残って、わたしは息を詰めながら言葉を返す。


「こんな、ので、ゆるす、と、思ってるの?」
「ごめん」


思ってないよ、そう呟きながらまたわたしの髪を梳く綱吉に一発パンチをお見舞いする。ぐあ、なんて大して痛くもないだろうに大袈裟に呻く彼を、唇をむんと引き結んで睨んだ。なによ、こっちの気も知らないで。大袈裟だという証拠に彼の手はまだわたしの背中に回っていた。


「ねえ、なんで浴衣、着て来なかったの?」
「…綱吉に見せる浴衣なんてないんで」
「へえ、まあいいけど」


浴衣だったら踏み止まれる気がしないし。目の前のひとはさらりとそんなことを言ってひとりで納得している。公共の場所で何考えてんだこのひとは、溜まってんのか、遅刻魔のくせに、なんてこころの中で罵りながら、現金なことにどきりと胸を鳴らしたわたしは、相当彼にしてやられているのだと思う。



約束破りの小指は甘い


11/09/21
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