あ、しまったとその時思った。昔仕事で一度だけ、顔を合わせた一般人の女。名前は思い出せないけれど、その鮮やかな、というより強烈な印象は一瞬で当時の記憶を呼び起こした。
ぱっとここからでも分かる笑顔を見せながらぐんぐんと女はこちらに近づいてくる。嗚呼どうしてさっき目を合わせてしまったのだろう。いやそもそもどうして今日に限ってこの道をこの時間に通ってしまったのだろうか。馬鹿みたいにきらきらと笑う顔は記憶と寸分違わぬものだ。彼女は昔、不運な(いや、不運なのはこっちか?)ことに因縁の絡んだ殺し合いの場面に偶然出くわし、幻術というまあ非科学的な現象を目の当たりにしてしまったのである。放っておいても害は無いでしょうと変態染みた笑いを見せた男の顔が思い浮かんで思わず歯軋りをした。あの師匠には面倒ばかり吹っ掛けられている気がする。ワンピースをひらひらとさせながら、ぶんぶんと手を振って走って来るのでおあいそとばかりにぴらぴらと手を振ると、フラン、だなんて大きな声で名前を呼ばれた。目の前に立った彼女は相変わらずばっちりメイクが決まっている。駄目だ、全くもって名前が思い出せない。


「うわあフラン久しぶり、ってなにそのあたま」
「ちょっとかくかくしかじかなんですよねー」
「へえ」


絶対にそのかくかくしかじかについて一秒たりとも思考能力を働かせていないだろう女Aは、カエルに顔を思い切り近づけてまじまじとその大きな目を見つめた後、酷く同情しているかのような表情をさらけ出した。


「蒸れてハゲそう……どんまい」


あっでも黒魔術で再生すればいいんじゃない、なんて物凄く名案を思い付いたかのような顔で膝を叩く女A。おい幻術を何だと思ってんだ。


「ってか、まだ殺されても死なないの?黒魔術継続中?」


じろじろと頭の上のカエルを見続けながらそう口にした女Aは、どうやらこの頭のカエルが黒魔術の道具だと認識したらしい。恐る恐る被り物のカエルを指でつんつくしてきた。はあと気の無い返事をしてそのまま棒のように突っ立っていると、只の被り物だと漸く分かったらしい女Aは更にカエルをつんつくし始め、仕舞いにはその大きな目に指を突き立てるという暴挙に出始めた。この被り物に未練も愛着も感じないが、これに傷を付けるといささか不都合が生じそうなので止めて欲しい。頭の中にぼんやりと小煩い人々の姿が思い出される。薄ぼんやりとしているのは自分の中の防衛規制が正確に働いているからだろう。ああ、モザイクがかかってもイメージが小煩い。なんであんなにもギラギラしているのだろう。自分もこの小煩い中に居るのかと思うと不快感は否めないが、なぜか頭の中に彼らを描いて不覚にもふっと笑いが漏れた。どうしてだかは自分の預かり知らぬところに在るけれど。


「まあ黒魔術でもなんでも元気そうだからいいや」


一瞬零れた笑いを見逃さなかったらしい女Aはそう言ってにこりと笑った。嗚呼そうだ、こういう何だか自分には良く分からないところに在るものを、彼女はようく理解しているひとだった。自分とはまるで違う世界を見ているような女。まあ実際に、生きている世界の足元の暗さは僕と彼女では雲泥の差があるけれど。それを羨ましいと思ったことはない。ただこの女のお気楽と言うに相応しい在り方が、瞼を伏せて仕舞うほどに少し眩しく感じたのも事実だ。


「だって悪魔と契約したら、魂食べられちゃうんでしょ?」


魂は大丈夫そうだからよし、と良く分からない納得の仕方をした女Aは頭の被り物に手を乗せてぽんぽんと叩いた。知らぬ間に女Aは黒魔術、というより悪魔について多少なりとも知識をその小さな頭に詰め込んだらしい。最初は僕の事を魔法使いだと信じて疑わなかった女も、魔法使いと幻術使いの区別はつくようになったのだろうか。……いやきっと分かってはいないのだろう。


「あのー」
「ん、なに?フラン」
「…何でもないですー」


喰われるための魂も無いのと同じようなものなのだと、そう言ったら彼女はどんな顔をするのだろうか。さっきみたいに、同情の篭った目で僕を見るだろうか。いや、また、へえ、とさっきみたいに何も考えずに僕の言葉を飲み込むのだろう。それはきっと彼女にとって幸せなことで、それはつまり僕にとっても幸福の欠片くらいにはなるのだろう、そんなことをぼうっと考えていれば、間抜け顔、なんて言って彼女は僕を見てきらきらと笑っていたから、嗚呼やっぱりこれで良いのだとこころの中で少しだけ笑った。


そのジェムを謳歌



11/06/09
お魚唇さまに提出
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -