おれ今日調理実習サボるわ、そう言ってひらひらと右手を揺らした赤毛の男をわたしは右手でむんずとひっつかんで引き止めた。勿論髪の毛を。いってええと叫んでくるりとこちらを振り向いた彼はその目にうっすらと水を浮かべていたようだけれど、わたしにはそんなの知ったこっちゃない。むしろわたしはわたしの死活問題に直面するのだから、こいつの髪の数本ぐらいどうってことないと思うのだ。髪多そうだし。


「なんでサボんのよ!」
「いーだろ別に!一人ぐらい居なくたって何とかなるだろ!」
「ちょっおま5人と4人は幸村くんと赤也っちほどの差があるんだよ知ってんのか!」
「天と地って言えよ」
「赤也っちってなんじゃ」


相変わらず後頭部を押さえたままわたしに向かって叫ぶ丸井は、調理実習開始3分前にもなってサボりを実行しようとしていた張本人である。それを(髪の毛で)引き止めたわたしは、力技では到底敵わないであろうと確信して加勢を求め、隣でエプロンを楽しげに着けている仁王に助けを乞う目線を送る。頼む仁王、こいつを止めてくれ。


「エプロンぐらい自分で着けれなきゃ駄目じゃよ女の子はー」
「いやエプロンの紐じゃなくてこいつを止めてください」


有らぬ勘違いをした仁王は有り難いことにわたしのエプロンの紐を結んでくれたのだが、丸井に関しては何故かノータッチ、サボりを容認しようとしているようにも思われる。なぜだ。仁王は丸井を不思議に思わないのだろうか。それによく考えたら仁王の様子も少しおかしい。何でこんなに楽しそうなのだろう。こんなにあからさまにうきうきとした仁王なんて初めて見るし、ぶっちゃけた話ちょっときもちわるい。中3男子のうきうきエプロン姿なんてぶっちゃけわたしからしたら何の付加価値も生まれてこないと思う。あ、真田だったら違う意味でプライスレスかもしれないけれど。ああそうだ、幸村くんならすっごく似合うからいいなあ。わたしも幸村くんと同じクラスがよかったなあこんな変人たちじゃなくて。いつもと様子の違う二人を交互に見て(いやこの二人はいつも常人離れしているけど)、わたしは思わず顔をしかめた。


「結び方、気に入らんかったか?すまんのう」
「いや違うからやり直さなくていいから」
「ワガママー」
「ガムうるさい」


ご丁寧にもう一度結び直してくれた仁王に有難うと呟いて、わたしは隣のガム野郎にぴっと人差し指を突き付けた。勿論空いている左手で。そろそろ右手の指が痛くなって来た。けれどこいつには分からせておく必要があるのだ。こころの中で納得させるように頷いて、わたしはゆっくりと唇を開いた。


「いい?料理作るぐらいなら4人だって何とかやってやるわよ」
「じゃあ問題ねーだろい」
「だけどね、食べるとなると話は別なのよ!今日作るメニュー何だか知ってる?はい仁王!」
「デコレーションケーキと杏仁豆腐と白玉あんみつじゃ」
「家庭科のセンセー頭おかしいだろい」
「見事な和洋中よね」
「え、そこ?」
「で!わたしは昨日、高らかにお昼に宣言致しましたよね?」
「言っとったのう」
「『これから一ヶ月、わたしはダイエット界の神になる』」
「…言ってたか?」
「とにかくわたしはダイエット中で、昨日丸井あんた明日の調理実習はおれにケーキまかせろってそう言ってたじゃない」
「言っとったのう」
「言ってない!…いや言った、かもしれない!けどな、今は状況が違うんだよ!」
「何が違うのよ!わたしにとっちゃね、デブか神か、生きるか死ぬかの瀬戸際なのよ!」
「おれだって生きるか死ぬかなんだよ!」


てかいい加減髪の毛はなせよと本当に涙混じりに叫ばれてしぶしぶわたしは右手を離した。生きるか死ぬかと言われたらわたしだってまだ丸井に死んでほしくない(ケーキ困るし)し、何より仁王が丸井のサボりに関して何もつっこみを入れないことがちょっと気掛かりだった。ちらりと横を見れば、やはり仁王は見て見ぬふりをしているのか楽しげに調理実習のレシピを見直している。丸井は学年公認、いや学校公認の甘党である。その丸井が、調理実習しかもスイーツ地獄(今のわたしにとっては)の今日、調理実習だけサボろうとするとはどういうことなのか。もしかして丸井、


「あんた風邪ひいたの」
「ちっげーよ」
「大丈夫よあんたは風邪じゃ死なないよ」
「だからちげーよ」
「じゃあなんなの」
「…言わん!男がすたる!」
「幸村に痩せろって言われたんじゃよ」
「今男がすたるっつっただろおおお」


ははあ成程ようやく合点がいった。つまり丸井は、昨日わたしがダイエットの神宣言をしたその後、放課後の練習であの幸村にちょう(多分)笑顔で『丸井、痩せようか』と言われたのだ。ちょう笑顔で。成程これは生きるか死ぬかの瀬戸際に間違いない。頑張れ丸井、わたし応援してるよ。丸井に死んでほしくないし。でも今日のケーキはちゃんと食べてね、わたしの分。だってわたしダイエット界の神になるんだもん。


自己本位の根本を覆す群青の思考


11/04/26
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