うわ、さいあく。ぎゅうぎゅうにひとが押し込められたハコからやっと外に出られたかと思えば、電車のいなくなったプラットホームに横から水がひゅうひゅうと襲って来た。ひとに押し潰され窓など見える筈もなかったわたしは、外に出て始めてしとしとと降るそれの存在を知り、大きな溜息を吐く。吐いた息はゆらりと空気を白く染めた。おまけにかなり寒い。おしくらまんじゅうの要領でしっとりと微かにかいた汗が冷えて、思わず身震いをひとつ。改札口へと続く階段を下りながら無いだろうとは思いながらも一応、リュックサックの中を確認するが案の定折り畳み傘は所持していなかった。これは、猛ダッシュで帰るしかないらしい。今日スニーカーと短パン履いてて良かった。かばんを元通りに閉めながらまた溜息をひとつついて、わたしはポケットから定期券を取り出した。



「………なんで、いるの」
「最近変質者がよく出るらしいんで」
「………アレン」
「貴女のことかと思って」
「ハッハア!」


捕まえに来ました、とにっこりと笑って彼は身体の前で両手首を揃えた。その手には雨に少し濡れた透明のビニール傘がしっかりと握られている。外の雨を憂鬱に思いながら改札口を出て、定期券をしまい顔を上げれば、彼の白い頭が視界に入って驚いた。小走りになって駆け寄り思わず口をついて出たのが最初の言葉。だが、雨が降ったから迎えに来てくれたのかと思いときめいたわたしの胸は見事に裏切られる。ハッハアわたしをお縄にする為に来たんですかくっそ変質者と間違われて逮捕されろ白髪め!わたしはにっこりと笑う彼の顔面にぴっと人差し指を突き付けた。


「フハハハお前なんかに逮捕されるかばーか!」
「あっそうですかじゃあ失礼します」
「ちょっ目的見失ってる!逮捕!ちょっ待って傘入れて!」


人差し指を突き付けながらそう言えば、彼はくるりとこちらに背中を向けたので奇しくも降参して彼に相合い傘を懇願する羽目になった。ざあざあとアスファルトの道が鳴く。小雨かと思いきや、もう雨は本降りに変わりつつあった。


階段を上りきって地上に出れば、ホームで感じた冷たい風がまたコートの上から突き刺さってくる。春が近づいているとは言っても、雨の夜はまた別の話のようだ。わたしが夜の寒さにぶるり、と震えた隣で、アレンは黙々とビニール傘の留め具を外して傘を開く。ワンタッチで開いた傘は、衝撃でぱらぱらと水滴を地面に残した。黒い闇の中に、ビルの明かりとネオンサインと雨の線が浮かんで見える。ああ、大分雨はしっかりと降っているみたいだ。ぼんやりとそんなことを考えていれば、不意に手首を引かれ雨の中に踊り出る。が、雨はわたしの頬を叩きはしなかった。ぼうっとしてないで、行きますよ。手首を引いたそのひとは、傘の中で呆れたように眉を下げて笑った。


ビル街とネオンサインを横目にやり過ごせば、数分で静かな住宅街へとこの街は姿を変える。車の音が余り聞こえなくなっても、わたしたちの間に言葉は生まれて来ない。大学生になってから、ご近所のよしみと同じ高校ということで仲良くしていたアレンとも、大学が違うと顔を余り合わさなくなり、朝時々会えばいいほうで、少しずつ言葉にならない隙間が生まれていった。わたしたちは、それをさみしいと言うにはまだ短すぎて、会いたいと言うには少しばかり距離が足りなかった。世に言う幼馴染みというカテゴリーがわたしたちに対するそれである。大学生になって気が付いたことだが、幼馴染みというカテゴリーは離れてしまうととても簡単に薄く色を失っていくのだ。現にいま何か会話になるような話題を探そうとしても、下らないことで盛り上がっていつの間にか家に着いていた高校時代とは異なり、沈黙ばかりが纏わり付く。改札口で最初に会った時は、驚きが先に出て言葉が口をついて出たのに、今は何か言おうとしても声が出ない。5分ほどそのまま歩いて、やっとのことで絞り出したのは何とも話の広がらなさそうなことだった。


「ふ、不審者とか、出たんだ、この辺り」
「…そうみたいですよ。一昨日かそのくらいに、はす向かいのエミリーさんが誰かにつけられていたらしくて」
「へ、へえー、そうなんだ」


うわあなにこの話題の振り方と返事。もうちょっとましな返答ってものが出来ないのかなわたしのばか。しかもへ、へえーって。なにどもっちゃってるのよ。こんな時だけしおらしくなるんじゃないわよわたしのあほ。ばーかばーか。


「…まあ貴女には無縁のことですけどね。あっ間違えました貴女が犯人でしたねすみませんストーカーはやめてください」
「しっ失敬ね!てかなにその失礼過ぎる勘違いは!」
「失敬ね!ですってえやあねえオジサンはこれだから困るわあ」
「ちょっ性別!性別!アイアム女の子!」
「なに言ってんですか貴女出会った時からオッサンだったじゃないですか」


髪は女の子のくせにざっくばらんだったし、平気で僕の前でお尻かくし。それは幼稚園時代の話だろうと言おうとしたけれど、懐かしそうに笑う彼の横顔に見とれて、声は喉の奥に消えていった。ふっとこちらに向かって視線が動いたのを見て慌てて視線を前に戻す。だめだ、やっぱり高校の時のようにはいかない。顔を前に向けたまま、ちらりとこっそり彼の表情を覗く。でも、けれど。いまさっきは、昔みたいに軽口を叩き合えたなあ。その始まりが彼の言葉だったことを思い出して胸の奥が微かな音を立てる。ああそうだ。彼はいつもそうだった。昔から。優しくて、周りのひとのことばかり考えて、毒も吐いたりするけれど、でもあたたかくて。いつだって笑っていられたんだ。彼がいたから。


「……アレンはほんとうるさいね、小姑め」
「貴女ほどじゃないですよ」
「……ほんと、変わんない」
「じゃあ貴女は、変わったんですか?」


彼の言葉にちらりと顔を上げれば、ん、とでも言うような顔で彼はわたしを見た。


「……変わって、ないよ」


変わってるわけないじゃない。彼の瞳を見つめてそう言えば、少しだけ一瞬だけその瞳を揺らして、そして彼はふわりと笑った。そうですね、そう言ってわたしの頭にぽんと手を置いて。数秒後その手はくしゃりとわたしの髪の毛を乱した。


「ちょっ髪ぐしゃぐ、ちょっ!」
「ふっは、あたますごい」
「おのれえええ」


はは、と夜の雨の中でもきらきらとアレンは笑うから、わたしも不思議と笑みが零れる。茶化すように、心配して来てくれたの、とそう聞けば彼はふん、と鼻で笑って、そうですよ貴女に襲われるひとを心配して来たんです、と言って彼を見上げる私の額を傘の持ち手でとん、と押した。ほんと失礼なやつだ。唇をへの字に曲げる筈が何故かどうしてもわたしの唇は緩んでしまい、思わずふふ、と笑いが漏れる。きもちわる、と言いつつ傘をわたしから外そうとする彼の、傘を持った左手をぎゅっと握れば、ひんやりと冷たい優しさが流れ込んでまた思わず笑みが零れた。家まで、あと5分。それまでには、今までに出来たこの言葉にならない隙間も埋まって、この手も、同じ温度になるのだろうか。


心配してくれてありがとう

でも貴方がいるから、大丈夫だね


11/03/31
涙墜さまに提出
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