それは突然の出来事だった。図書委員としての仕事に熱中し、外の様子が全く変わって闇に包まれていることにも気づかず、わたしは目の前の集計表にシャープペンシルを走らせていた。明日の朝までが期限の新書購入のリクエストの集計は、手作業での集計とありとあらゆるジャンルのリクエストによってとうとうぎりぎりまで縺れ込んでしまっていた。とはいっても今日は結果をまとめ、司書の方に渡す購入書一覧を作成するのみであったため、委員長であるわたしひとりで残りは引き受けることにしていたのだ。下級生も含め連日最終下校時刻まで居残りをさせてしまったことに負い目を感じていたため、手伝いを申し出てくれた委員の子たちを退けたのだけれど。そういう流れがあって今日はわたしひとりで図書室のカウンターに座り、シャープペンシルを必死に走らせていたのだ。そしてそれは、突然響いたガラリという音に遮られる。それなりに集中していたわたしは、情けないことに突然の音にびくりと少し椅子から跳ね上がった。そろりと図書室の入口辺りを見遣れば、周りの暗さに(いつの間にか誰かに電気を消されていた)わたしは唖然となる。少し開いたカーテンからも夕方の紅い光など入って来てはおらず、黒々とした空が覗いて見えた。スタンドライトの光しかない図書室の中で、わたしは静かに息を飲んだ。


「最終下校時刻はとっくに過ぎているけど、早く帰ってくれる?」


暗闇で響いた凛とした声に、はっとして素早くカウンターの真ん中の掛け時計に視線を走らせれば、最終下校時刻など彼の言う通りとっくに過ぎて、長い針はそれから一周廻りつつあった。思いがけない時刻に思わずあ、と間抜けな声が漏れ出す。


「あっすっすみません!気づかなくて…」


暗闇の中から、思った通りの声の主はカウンターのスタンドライトの光が届くところにすっとその姿を現した。慌てて立ち上がってぺこりと頭を下げる。顔を上げれば雲雀さんは静かな目でこちらを見ていた。その鋭さにどきりとしながらも、わたしはちらりと書きかけの集計表に目が行ってしまう。ああ、もうすこしで終わるのに。もう一度、ちらりと彼に視線を走らせれば、それに気づいた彼は少しだけ首を傾けた。


「あ、あの、」
「なに」
「これ…直ぐに、ほんとに、あともうすこしで終わるので、」
「で?」


わたしの言葉を聞いた雲雀さんはまたゆるりと首を傾けて、傍らの本棚に腕を組んでもたれ掛かった。


「…あの、その、鍵は、わたしがきちんとかけて帰りますから、これ、」
「……きみ、確か図書委員長だったっけ」
「………はい」
「きみ、分かってるの?」
「……へ」


「僕は並盛中学風紀委員長だ。言わば並盛の秩序だよ」


もう一度、分かってるの?とでも言いたげな顔で、冷ややかに彼はわたしを見つめた。秩序に従えない者は制裁を加える、そこまで言わずともわたしのこころに恐怖という恐怖を植え付けるまなざし。


「あ……」


彼が少し身じろぎをしたことでわたしは少しだけカウンターの中で後ずさった。一昨日も、その前も見たトンファーが風を切る瞬間を思い出して体がかたかたと奮え出す。こわい。かえりたい。けれど。わたしは、わたしだって、図書委員長だ。わたしは、わたしの責任をきちんと果たすまで帰ることは出来ない。わたしは、曲がりなりにも長と名のつく仕事をしているのだ。逃げるわけにはいかないんだ。それはある意味意地のようなもので、暴力と恐怖でひとを支配することに対して面と向かって意義を唱えることの出来ないわたしの建前だった。普段から感じていた理不尽さに対して多少なりの苛立ちも込めて、わたしは春にも関わらず冷たい空気をすう、と目一杯吸い込んだ。体はずっとかたかたと震えたままだった。


「…ひ雲雀さんが、な、並盛の秩序、なら、わわたしは、…と図書室のちっちつじょ、です」


緊張が高まり過ぎて喉がからからに渇いて張り付いて、みっともなくどもりつつわたしは言葉を言い終えた。俯いたまま、ちらりと本棚に寄り掛かる雲雀さんを覗き見れば、時を止めたように静止してこちらを見る雲雀さんの顔が目に入った。瞬きもせずにこちらを凝視する雲雀さんに驚いて思わずこちらも雲雀さんを見つめてしまう。数秒の静寂が午後7時の空気を包んだ。そしてそれを破ったのは、彼のほうだった。


「………ふっは」
「…へ?」
「面白いこと言うね、君」


くすり、とその音のままに彼は笑った。声という声が笑いに含まれて零れることは無かったけれど、引き上げられた口角は机のスタンドライトの緩い光に照らされてぼんやりと映った。思いがけない反応に、右手に握りしめたシャープペンシルがぽとりと集計表の上に落ちる。わたしの驚きに反して、彼はまだ唇に緩やかな弧を描いていた。嗚呼きっと彼にとっては、取るに足らない日常の中のほんの少し可笑しな出来事として、明日になれば忘れられてしまうぐらいのことだろう。けれど、わたしにとって彼の笑った顔は、わたしの中の雲雀恭弥という人物に対する定義を根本から覆して、そっと胸の奥を揺らし続けたんだ。



夜鳴き鳥は夜明けを見た

11/03/30
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