すみません、という声でわたしは薄紫に染まりつつある空から店に視線をずらした。手に持った色とりどりのペンと真っ白なルーズリーフをわたしの目の前の台に置いたセーラー服の女の子は、肩に掛けた鞄に手を突っ込んでがさごそと鞄をまさぐっている。視線を移す自分の素早さと、何故か残念なような気持ちになっている自分に苦笑しつつ、その前でわたしはいらっしゃいませ、と小さく呟いた後、目の前の木製の台上に置かれたレジスターを打ち始めた。ピ、ピ、という電子音が木と新しい紙の香りに包まれた店に響いて、吸い込まれて、消えた、静かな午後のこと。


勉強道具を買い込んだ女の子に有難うございました、と声を掛けた後、代金をレジスターに仕舞えばチン、と軽い音を立ててレジスターは閉まった。ふう、と微かに息を吐き出してレジの丸椅子に腰を下ろそうとした時、入口からの薄い赤紫色の光が一瞬遮られてゆらりと黒い人影が現れる。背中の側から赤紫の光に曝された彼はその白い髪を光と同じ色に染めて、こちらにむかってふわりと笑顔を零した。

「こんにちは」


またか、と頭の中を巡った言葉は胸の中に留めたまま、わたしは店番としての役目を果たすべくゆるりと笑みを零して、いらっしゃいませとそう店の前に立つ彼に告げた。その笑みが、何とも自然に流れ出たことに、また苦笑を織り交ぜながら。

彼がわたしが店番をしている煙草と文房具の店に現れるようになってもう2週間が経とうとしていた。それでも彼は毎日、始めのうちは文房具を買ったりそれなりの理由を付けて此処にやって来ていたけれど、それもそろそろ苦しくなってきたらしい彼は、とうとう文房具を買うことなく店に居座るようになった。財布も何も持たず身ひとつでやって来てこんな風にわたしの隣の丸椅子に腰掛けるのだ。その丸椅子は何のためにあったかなんて野暮な質問は無し。だってそこに当たり前にあるのだもの。昔からずっと。わたしは嘘をついてはいないし、それは紛れも無い事実だ。確かにそこにあったのだ。それはさておき、彼は何の目的も無くわたしの隣に座って世間話をしていく。わたしはそれに気の向いた時に返事を返して、文房具と煙草を売って、暗くなってきたら彼を帰す為に売り物の煙草に火を付ける。それが今のわたしの日常。日常と言うには余りにも気が早いようにも思われるのだけれど、それを感じさせない緩やかな空気をこちらに寄越す彼は何だか不思議で、面白いと思った。面白いというより、可笑しかった。少年の身体つきなのに、髪の毛だけは白髪で、少年の声なのに、その影には世界に対する慈愛にも似た哀しさがあった。そして、そして、そして。


「……なに、どうかしたの」
「……へ?…あ、えっと」
「わたしのことずっと見てるから」
「あ、いや、そんなこと、」
「うそだよ、ばーか」


わたしじゃなくて、わたしの後ろを見てたでしょ。頭の中を巡るだけで、茜色に染まりゆくあの空に繋がる空気は震えたりしなかった。わたしの言葉にやっぱり子供みたいに笑う彼も微かに茜色に色づく。嗚呼やっぱりもうすこしだけ、黙っていようかなあ。だってとってもおもしろくて、ばかみたいで、浅はかで、無い物ねだりで、ほんとうに、ニンゲンみたいで、この気持ちが、とってもとってもいとおしいのだもの。いつかわたしが壊れる日まで、貴方なら傍に居てくれるんだろうなあ。そんなことは、どう足掻いたって希望的観測の域を出ないのだけれど。けれど、わたしはこの時初めて、『生きて』きて初めて、初めて息をすることをこころの底から願ったのです。


嫌気呼吸の果て

11/04/03
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