柔らかな風の音と共に白いカーテンがゆっくりと舞った。緩い陽射しが頬を撫でて、少しずつ温度を上げてゆく。うっすらと開いた目をさ迷わせて壁に掛かったアナログ時計をぼうっと眺めれば、まだ休日の朝には早過ぎる時間にもう一度瞼を閉じて身じろぎをした。腕に何かがとん、と当たる感触がして片目だけもう一度瞼を開けば、白い視界の中に黒色の何かがぼんやりと入る。ふとそこで何か温かいものが昏昏と気怠い身体を満たしていくのを感じて、少し口元が綻んだ。冴えてきた目で瞬きを2回して、身体の向きをそっとずらした。すうすうと息をするそれの髪に手を伸ばして触れてみる。手を伸ばす、といっても実際はほんの30センチだったから手を動かすと言った方が正しいのだろうが。黒色に光るそれをさわさわと触れば、空気が揺れる微かな音がした。それでもそれが瞼を開く様子は無く、相変わらずすうすうとそれはもう気持ちよさそうな寝息を届ける。手を止めずに髪を梳きながら名前をそっと呼んでもこちらが嫌になるくらい安らかな息づかいを続けるそれに、少し唇をへの字に曲げて髪を梳く手を止めた。手を止めたそのままに指を髪に絡ませる。耳に唇を近づけて言葉を囁くのと同時に、思い切り手を引いた。

「12時で「いたいいたいちょ、え、12時!?」

引っ張られた髪の毛の痛みで漸く目を覚ましたらしい彼女は髪の毛を引っ張る僕の指をぺしぺしと叩きながらそう呟いてがばりと起き上がる。無論僕の指は髪の毛に絡まったままなのでいった、と言いながら顔を歪めた。ばーか、と呟いてするりと指を離す。うるさいな、と唇を尖らせてまだ上手く開かない瞼を持ち上げる彼女を、ベッドに自分の身体を横たえながら見つめた。半目のままアナログ時計を数秒見つめる彼女の横顔を見ながら、彼女は果たして見えているのだろうかと疑問に感じつつずり下がっていたシーツを引っ張った。

「………まだ5時じゃん」
「見えてたんですか」
「いや、5時じゃん」
「苛々したので」
「いやなんだそれ」
「僕だけこんな早く起きてるなんてふざけてる」
「うざあああ」

そう言い、いや叫び?ながら彼女はまたぼふん、と白いベッドに逆戻りしてきた。その反動がベッドを介してゆらゆらと身体に伝わる。揺らさないて下さいと言いながら髪を引っ張れば、やつあたんないで下さいと手をぺしぺし叩かれた。引っ張る手を離して髪をそっと梳いて整えれば、彼女は僕の手を叩くのを止めて瞼を閉じた。5秒、10秒、15秒、30秒。僕と彼女が息をする音だけが少し明るくなった部屋に響いた。

「…………寝るんですか」
「…………………」
「……寝たんですか」
「…………………」
「僕がそう安々と貴女を寝させるとお思いですかそうですか」
「…………………」
「………襲われたいんですね」
「すいません起きます」

そう呟いたもののまだ眠たいらしい彼女はんんんん、と唸りながら身体を反転させて白い枕に突っ伏した。白い枕の上に小さな円を描くミディアムロングの髪がふるふると揺れながら音を発する。多分、眠い、寝る、おやすみだとか何とか言ったんだろうが彼女が発した音は枕に吸い込まれて消えて行った。そのまま動かなくなった髪の毛に身体を向けて、僕は自分の頭を起こして片肘で支えた。そのまま髪の毛に向かって言葉を降らせる。

「ご飯食べませんか」

ふるふると直ぐに黒い髪の毛が揺れて拒否される。何か言葉が届けられるのを待ってもしんとした空気が震える事は無くて。頑固にもまた眠ろうとする彼女に少しばかりの苛々を込めて髪の毛をくい、と引っ張ってみる。すると黒色の奥からふざけるなくそもやし、と僕の手をぺしぺしと叩く手とモゴモゴとした声がやって来た。くそもやしだなんてそんな言葉何処から覚えて来たんですかそうかバ神田ですね、……………とこころの中だけで悪態をついてフン、と鼻息を漏らす。段々としょうもない小さな抗争を避ける手立てを僕も学び初めているという訳です。彼女は相変わらずふっかけて来ますけど。無意識なんだか直すのが面倒臭いのだか知らないが(多分後者だ)喧嘩の種をそれはもう有らん限り蒔いて回っている、というのは言い過ぎだが、取り敢えず口が減らない。出会ったのは僕がまだ少年と大人の境目にゆらゆらと片足で立っていた頃だったが、その頃から彼女は良く喋った。あの頃は僕達の足首を濡らしていた海が暗くて纏わり付いてどうしようもないくらいだったけれど、足首を濡らすそれを一瞬でも忘れられたのは彼女の明るさがあってこそだった。皆が居て、彼女が笑っている。あの神田でさえ、五月蝿いと吐き捨てながら彼女を少しばかりの父性を覗かせる眼差しで見ていたように思う。彼女は神田と2つしか歳は変わらなかったけれど。呼吸音と共に微かに揺れる黒い頭を見やって、またさわさわと髪を梳いてみても何の反応も返って来なかったために、僕はまた一つ小さな溜息を吐いた。こうなった#name#は意地でも起きて来ない事を身を持って知っている。何だか少し悔しい気持ちがじわじわと溢れて来て、どうにかして飛び起きさせたい、間抜け顔を晒させたいという欲望から、そしてどんな反応を見せるのか、少しばかりの好奇心から僕はゆっくりと唇を開いた。

「ご飯食べましょうか」

案の定、ピクリとも動かない。僕は小さく息を吸い込んで、朝の空気に紛れ込ませるようにそっと、空気を震わせた。



「ねえ、結婚しましょうか」



ふっ、と空気が揺れたのは、彼女が顔を上げたから。ぐらり、と僕のこころが揺れたのは、彼女が言葉を吐いたから。思いもしない響きで。思いもしない音を。





カチャカチャと金属が触れ合う音が二人にしては広い部屋に反響した。ころころとプレートの上を滑るプチトマトに狙いを定めてフォークを動かすも、するりと滑って上手く刺さってくれない。3度同じ事を繰り返して、僕はフォークを置いて指でそのトマトを摘んで口に運んだ。ちらりと前を見れば積み上がったお皿とともにもぐもぐと頬を膨らませる彼女の顔が視界に入る。でもその瞳と視線が絡まる事は無くて、彼女の視線は彼女のプレートの上でゆらゆらと揺れていた。彼女はさっき僕に言葉を吐いてから、一度も声を発する為に口を開く事は無かった。目の前のプレートに残るスクランブルエッグを口の中に押し込んで、冷えたミルクで流し込む。コン、と音を立ててコップをテーブルに置いてから数秒、僕はゆっくりと唇を開いた。

「どういうことですか、考えさせて欲しいって」

そこで言葉を切って彼女の顔を覗き込めば、少しばかり咀嚼する速さが緩やかになるのが見えたけれど、相変わらずその唇が開かれることはなくて、静寂と重力を感じさせる空気が僕に纏わり付いただけだった。本日3度目の僕の言葉。少しばかりからかってやろう、ただそう思っただけなのに。なんで僕はこんなにも必死になる。なんで僕はこんなにも傷ついた気持ちになっているんだ。重かった。空気が、気持ちが、言葉が。音にして思い知るその重力の苦しさ。手早く食器をまとめてがたんと音を立てて席を立つ。吃驚して間抜けな表情を見せる彼女を見たかっただけなのに。緩やかな温かい何かに包まれたかっただけなのに。いや違う。
僕は、本気だったんだ。
死ぬほど。




少年は片足で水底に立つ

10/08/26
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一万打 けいさんリクエスト・前編

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