あんなに長く感じた一日の中の日の出ている時間が、最近は少し短くなったように思う。実際毎日時間は一方向に進み続けている訳で、少しずつ太陽との位置関係も変わって私達の国では四季というものも存在する。日中の日差しがあんなにも強いというのにあと一ヶ月ちょっとすれば夏と秋の境目の日になるなんて信じられない。そして、今この時間の夕暮れの何とも言えない空気も。夏の夕暮れってこんな感じだったっけ。昨年の今頃を思い出そうとしても頭の中の引き出しには取っ手がない。まあたとえ開けられたとしても中身が詰まっているなんて事は有り得ないし、たわいもないものしか入ってないんだろう。そんなものだ、私の青春時代というものは。私だけがそうな訳じゃないだろう。皆そうでしょう?皆同じ繰り返しに飽き飽きして、思い出を鞄に詰める事も放棄して、振り返ったら空っぽ。突然弾かれたように思い出して開けようとすれば開け方さえ思い出せなくなっている。そんなものだ。何だかこの台詞さっきも言った気がする。

「………お腹すいた」
「はは、唐突ですね」

頭を動かすのも怠惰に感じて視線だけ左に動かすと、その男の子はちらりとこちらを見て笑った。シーラカンスみたいと言いながらお腹を抱える彼に向かって頭を動かす。シーラカンスみたいってどういう人間よ。

「その名の通りですよ」
「は?」
「生きた化石」
「ワーオ」

レジの台に預けた頭を持ち上げて代わりに顎を台に乗せる。ぺしゃんこになった髪の毛を手櫛でなんとか形になるように戻して、またお腹すいたな、と呟いた。顎を台に乗せているせいで、言葉を発すると顎の皮膚が押し潰された。

「しゃくれになりますよソレ」
「しゃくれ上等」
「その顔でしゃくれはキツイです」
「言うねー君」

シフトの関係で余り、というより数回しか同じ日になった事のない少年は見かけによらず結構言う人らしい。私は顎を台から離してまた頭を台に横たえた。まあ綺麗な、どちらかと言うと可愛い、顔をしているから更に嫌味だなと思うけれど、彼の時々ぽろりと吐くそれはなかなかに真理を突いていると思うから私は大人しく聞く事にしているのだ。というのも、何だか彼は世界の全てを知り尽くしているように感じるからだ。ナントカ時代のナントカ王国のナントカ文化を知っているとかそういう百科事典的な意味ではなくて、もっと奥の、私達がどちらかと言えば見ない振りをしている人間のきたないところを見てきて、継ぎ接ぎだらけの世界の脆さを肌で知っている。そんな風にふと以前感じたのだ。まあそれには何の確証も無いのだけれど。ただそんな気がした。

「ねー君」
「………なんですか」
「青春ってさ、どんなものだと思う」
「これまた唐突ですね」
「答えてよ」

私がそうせき立てると、彼はうーんと唸りながら腕を組んで後ろの棚にもたれかかった。答えを数秒待っていてもうーんという唸り声は止むことはなく、代わりにピンポンパンポンとお決まりの音が滅多に来ない客の来訪を知らせた。いらっしゃいませ、と張りのない(自覚はある)声を喉から吐き出す。私は取り敢えず相変わらず唸っている彼を横目に姿勢を正して椅子から立ち上がった。過疎化しているこのコンビニではレジに丸椅子が準備されている。最初に誰が持って来たかは分からないが多分もうその人はアルバイトを止めているだろう。このコンビニでバイトしている同僚を私は片手で数え上げられるぐらいしか知らないが誰に聞いても頭を振るばかりだった。大体今日のようにレジに二人居るというのが何とも珍しいし、今時24時間営業をしていないというこの有様だから無理もない話だ。あのう、という声で私は現実に引き戻される。すみません、と一言呟いてバーコードをスキャンするあれを手にとった。ピッピッという音の後ろには誰かの唸り声が混ざっていたけれど、目の前の若い男の視線が思い切り唸り声の方向に向いていたけれど、私はめげずに358円です、と声を少し大きくして言った。



「………ちょっと」
「分かりましたよ」
「分かりましたーじゃないわよウンウン五月蝿いのよさっきから!大体さっきのお客さんめっちゃ貴方のこと凝視してたわよ!そうそれはツチノコを見るような目でね!」
「なんですかソレ」
「知らないの?ツチノコ知らないなんてまだまだ子供ねえ」
「知ってますしもう疲れるのでそれはいいです」
「で答えは?」
「これまた唐突ですね」
「早く答えてよ」
「なんでそんな偉そうなんですか、………じゃなくて、青春ってどんなものか、でしたよね」
「そうよ」
「僕は、………そうですね、………過ぎ去らないと分からないもの、………だと思い、ます」
「………それが、答え?」

私がそう言えば彼はまるで自分に言い聞かせるように数回頷いた。私はただふうんと空返事をしてもう一度丸椅子に座る。

「……今日は随分自信がなさそうじゃない」
「……まあそうかもしれない、です」
「どうして」
「だって僕には分からないから」
「………は?」
「僕には、青春がどんなものなのか分からない。嗚呼イマが青春だなんて感じたことが無いんです。今まで生きてきた中で一度だって。だから僕には分からない。分からないから、それが、答えかな、って」
「……ふうん」

彼の言葉を頭の中で反芻しながら私は頭をまたレジの台に横たえた。分からないからそれが答えだなんて、彼はどんな頭の構造をしているんだろう。私には分からないけれど、今の彼の言葉だって案外真理を突いているのかもしれないし、そうでないかもしれない。嗚呼私にしてみたらこの世の中なんて分からないことだらけだというのに。彼の理屈で言うならば、私にとって世界は過ぎ去らないと分からないということなのだろうか?

「あのう、」
「………あ、すみません」
「お客さんじゃありませんよ今の僕です僕」
「何だよ紛らわしい」
「僕からもひとつ質問していいですか」
「………別に彼氏の有無以外ならどうぞ」
「聞きませんよそんなこと、…………じゃなくて、」
「何よ、早く言いなよ」
「………退屈って、不幸ですか?」




「……なんでそんなこと私に聞くの」
「退屈で怠惰でいいことなんてこれっぽっちもないわ、そう顔に書いてあるように僕には見えます」
「………そうねじゃあ何、貴方にとってそれが幸福だって胸張って言える訳?」

思わずきつくなった口調にはっとしてごめん、と早口で呟く。台から上げた顔をもたげて床の変な模様を意味もなくじっと見つめた。数秒静寂が続いて、こんなにもお客さんが来てほしいと思ったことは今までにないほど、誰かの来訪をこころから望んだ。けれどいつものように過疎化したこのコンビニにひとがやって来る気配はなくて、代わりに静寂を破る少年の声が降ってきた。

「………言えます、僕は」
「……へ」
「退屈が幸せだ、って」
「………どうしてよ」
「過ぎ去ったことが有るからです」
「…意味わかんないよ」
「………無くしたことが有るからです。平凡を。在り来りを。だから知ってるんです、」

私が見上げた彼の表情は前髪で遮られて良く見えない。唇が一度結ばれ、もう一度開かれたのだけが、私には見えた。

「貴方は、不幸なんかじゃないです」


キラキラした宝石ばかりを探して回らなくったっていいじゃないか。鞄に道端の石ころを詰めたっていいじゃないか。あまり思い出せないけれど彼はそんなことを言って笑った。その笑い方があまりにも、あまりにも、この世界の成り立ちを知らない私にだって分かるくらいに、あまりにも寂しかったから。だから、私は後ろの棚を整頓する彼の背中をただ黙って見つめることしか出来なかった。その首筋に、シャツから覗いた傷痕が微かに見えた。





それから数日後、私はコンビニのアルバイトを辞めた。一ヶ月後にコンビニの代わりにそこにコインパーキングが出来ることになったため、私達の仕事も必然的に無くなったらしい。店長のそのような話を聞きながら思ったことは、嗚呼やはり彼の言っていたことは正しかったのだということ。ただそれだけ。それだけだった。



身の程知らずのラグジュアリー

10/08/15
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