トントンと襖を叩くのと襖の引き手に手を掛けて横に引くのはほぼ同時だった。それともうひとつ同時によっ、と中に居るひとに声をかける。だだっ広い畳の間の真ん中、そこに彼は座っていた。私がほぼ同時に3つの事をこなすという荒業をやってのけたのに彼はこちらをちらりとも見ずにただ黙って湯呑みに口をつけたままである。まあ私を無視するなんて何時もの事だから私も遠慮なく畳に上がらせてもらうけど。お邪魔します、と言いながら私はまだ青々とした藺草の畳に足を踏み入れる。初めて見るその部屋に私は視線を不躾にもぐるりと走らせた。思ったとおり、何にもない。まだ必要なものを運び入れていないのかもしれないが、多分必要なものを全て揃えたって見た目には全然この部屋には変化は無いんだろうな。私は見ることが出来ないけれど。

サリサリと畳特有の足音を響かせながら私は部屋の中央へ向かう。中央へ向かうなんて表現が出来るこの部屋の広さは尋常じゃない。改めて彼の経済力というか、なんというかの凄さを思い知らされて少し眩暈がした。この前綱吉くんの、………ボンゴレの建設中のアジトを少しだけ覗かせて貰ったけれど、あそこも凄かった。冗談抜きで。でも綱吉くんはマフィアのボスで、ファミリー(って表現で合ってるのかな)の為に作らせたって聞いたらまあ納得出来る。マフィアだし。それにボスだし。けれど、それとは別に彼自身の手で自分の場所を作ったというこの男の身辺はいかに。って感じだよね。怪しいよね。元々お家は名家らしい(そこら辺良く知らない)けど、彼がこんな歳にもなって親に頼るなんて事は有り得ないからもう良く分からない。何処に行ったらこんなにお金が湧いて出て来るんだろう。毎日バイトしても諭吉さんがちらほらしか入って来ない私はどうしたらいいのかしら。やっぱりバイトもういっこ増やそうかな。

「どうでもいいけど君ってノックする意味無いよね」
「うわ、びっくりした。気づいてたんだ」
「君みたいな不躾な人間に苛々しない人間なんて居ないよ」
「私気づいてたんだって言ったんだけど」

相変わらず湯呑みに口をつける彼を横目に彼の右斜め前の畳に座り込む。広ーでかーなんてこころの声をだだ漏れにしながらまた天井をぐるりと見回す。見すぎだろなんて思われるかもしれないが、これは常人のごく普通の反応だと私は思うのです。

「それより何で君此処に入って来てる訳」
「え?外で草壁さんに会ったから」

そう、私は幸運だった。雲雀恭弥が地下に作っているものが形だけでも出来上がっていると山本くんに聞いた私は、少しばかりの好奇心に駆られて鞄も何も持たず散歩がてら並盛の町を歩いた。前に綱吉くんの方のアジトを覗かせて貰った事はあったけれど、実はあんまり場所とかを覚えてなかったんです。見せて貰えるとなった時はマフィアのアジトなんて響きに緊張してその広さに圧倒されてもうてんやわんやでそれしか覚えてないというのが正直なところ。ボンゴレのアジトの場所なんてファミリーに関係の無い人間が知っているのは良くないだろうからそれはそれでいいんだけど。それに雲雀恭弥の性格からしたらきっと入口も別に在るんだろうなと思ったから、とりあえず雲雀恭弥か草壁さんに運よく会えたらいいやと思いながら歩いていたらバッチリ調達(何の調達かは知らないけど)帰りの草壁さんに出会ったという訳。私って結構強運の持ち主かもしれない。

「君のどうでもいい自慢はどうでもいい」
「2回言ったね」
「僕が聞きたいのは何の用で此処に来たのかってことだよ」
「無視したね」

何の用と言われたら何の用も無いんですけど。用がなくちゃ元同級生のお家(仮)に遊びに来ちゃいけないのかしら。その顔は来んなって顔ね。心底鬱陶しいよ君って顔ね。何よお金持ちのくせにお家(仮)に入り込まれたぐらいでケチケチしないでよ。不意に右側からパチパチという音が響いた。

「大正解だよ」
「ケチケチが?」
「骨の髄まで鬱陶しいの方」
「何それ存在が鬱陶しいってこと」
「大正解だよ」

またパチパチと手を叩く彼。うっざああ、とあくまでこころの中で毒を吐く。あくまでこころの中で。そうしないと飛んで来るから。トンファーが。あれに今まで何度も『ぶつかった』けれどあれは相当痛い。思い出すだけで何だか頭が痛いようなそうでないような。とにかく、こころの中で。何、幼稚園からずっとなんやかんやでクラスは違えど同じ学校だった幼馴染みの存在が鬱陶しいだなんて良く言えるわね。いや別に確かに馴染んではないけど。雲雀恭弥は誰にも馴染んだりしないけれど。でもそれでも確かに見える所にはずっと雲雀恭弥は居たのだ。ほどほどに近くほどほどに遠い場所に。私と雲雀恭弥は居た。だからかは知らないが、彼は私が折角こころの中に頑張って抑えたものたちをいとも簡単に読んで来る。まさにサイキック。サイキッカー雲雀。

「咬みころされたいんだね」

訂正。やっぱり読めてない。私そんなこと今までの人生で一度だって願ったことないわよ!すいませんでしたとぺらぺらの言葉を吐き出して頭を畳に擦り付ければまたお茶を啜る音がしたのでほっと息をつく。とりあえず頭の痛みから今日は一歩後退出来たようだ。そろそろと少し頭を上げてちらりと斜め前に座る雲雀恭弥を見遣る。おし、とりあえずトンファーは持ってないみたいだ。畳にへばりつけた身体を起こして畳に擦り付けたお陰でぐしゃぐしゃになった前髪を手櫛で整えると、彼はこちらを一瞬見た後ハッと鼻息を漏らした。何か飛んで来るかと思って身構えたのだが何秒待てども何かしらが飛んで来る気配は無い。むしろ完全にこれは、無視されている?

「ねえちょっと、恭弥」
「…………………」
「ねえ」
「ずずっ」
「無視かい」

自分の唇がへの字に曲がるのを感じて私は急いで顔を逸らす。あくまでトンファー回避。変な顔をしているところを目撃されたりなんかしたりしたらまたトンファーに『ぶつかる』こと請け合いだからね。以前別に群れてる訳じゃないじゃんと文句を言ったら苛々するからとばっさり切り捨てられた。苛々しただけでトンファーとかDV夫だろ。あ、夫じゃないか。ちらりと斜め前でお茶を啜る雲雀恭弥を盗み見る。和服で畳に静かに座る雲雀恭弥は私が言うのもなんだけど綺麗だ。私がこうやって普通に話せるのは雲雀恭弥が私を無視するからであって、目が合って話なんかされたらとてもじゃないけどまともに話せる気がしない。何時も私がただ一方的に切れ長のその目を見ているだけ。何時だって。こうやって近くに居たって彼は違う場所を見つめているから、だから私は彼の近くに居られる。たとえそこに一番大切なものが無くても。

はあ、と息を吐きながら後ろに身体を倒した。頭と背中に感じる畳の感触。匂い。白い天井と木の梁。こころから、落ち着く。瞼を閉じて、鼻からすう、と息を吸い込んだ。

「落ち着くね、此処」
「………………」
「やっぱり日本人には畳だよね」
「……別に君の好みなんて聞いてないよ」
「分かってるよ、『日本人には』って言ったでしょ」

言葉を返しながら顔を少し持ち上げて雲雀恭弥の方をちらりと見れば一瞬だけ切れ長のそれと視線が絡まって、直ぐにプイ、と逸らされた。その様子が少し可笑しくて自然に笑みが零れる。顔の逸らし方は大人になっても変わらない。小さい頃からずっと。雲雀恭弥は昔と全然変わらない。多分この先もずっと変わらないんだろう。飄々とした佇まいも、切れ長の目も、凛とした声も。変わったことはたったひとつだけ。それはとても遠い場所に在って。私の手なんか到底届かないぐらいに。

「大体君何の為に此処に来たの」

顔を逸らしたままそう言葉を吐く彼の背中を見つめる。それきり黙ったままの彼の背中にに私はあー、うん、だの曖昧な声を出す。

「用が無いなら帰ってくれる」
「あー!あ、有ります有ります!用!」
「………………」
「あ、うん、用、えっと、」
「無いなら「あ!服!」
「…………は?」
「うん、服!学生服!ちゅ、中学の時のさ、学ラン?あれ、見たいな、なんて」
「………………」
「………あーうん、ごめん忘れて」
「……右から三番目」
「へ?」
「君から見て、右から三番目の襖」
「………有るの?」
「………………」

私の言葉に返事を返さずに彼はまた湯呑みに口をつける。そんな彼を尻目に私は言われた通り右から三番目の襖を目指して四つん這いで向かった。畳に擦った膝が少し痛かったけれど、襖を開けて見えた黒いそれに顔が綻ぶ。丁寧に折り畳まれたそれはまだがらんどうに近い押し入れの中で静かにそこに有った。手を伸ばして引き寄せ、両手で持ち上げる。はらりと黒い袖と裾が落ちて、静かな部屋の空気を揺らした。変わらぬ腕の風紀の腕章。外していないのが何とも雲雀恭弥らしかった。懐かしい、とそう呟きながらその黒い学ランを羽織る。昔の雲雀恭弥のように、袖に手は通さずに。ふっ、と雲雀恭弥の匂いが脳を掠めた。なぜだか分からないけれど、不意に視界が歪む。それを振り払うように雲雀恭弥を振り返って、肩からずり落ちた学ランを羽織り直す。

「じゃん。どお、似合う?」
「…………………」
「『そこの君、何群れてるの?咬みころされたいの』」
「………それ僕のつもりな訳?」
「なんてねー」
「君、咬みころされたいの」
「ワオ本家!」

その時スッ、と襖がずれる音がして、振り返れば正座した草壁さんが一礼して部屋に入って来るところだった。頭を下げて会釈を私と交わした後、草壁さんは一直線に雲雀恭弥のところへ近づいていく。彼の耳元で何事かを囁いた後、雲雀恭弥は分かったとただそれだけ言った。そして思った通り、草壁さんは私の方へ振り向く。草壁さんが口を開く前に私は言葉を発してそれを遮った。

「あ、私帰ります、すみませんお仕事の邪魔、ですよね」
「………すみません」
「そんな、謝るのは私です!私が勝手に来ただけですし、」



もう、此処には来ませんから。最後の言葉をこころの隅に押しやる。変わらない彼は、変わったのだ。たったひとつだけ。彼が着ていた学ランが、黒いスーツに変わったということ、ただそれだけ。それはあまりにも小さくて、あまりにも、あまりにも大きい変化だった。眉を下げる草壁さんにお礼を言って頭を下げる。そのまま踵を返して入って来た入り口へ足を踏み出し、そして止まる。見えない雲雀恭弥に向かって、背中越しに言葉を吐いた。

「ねえ、恭弥」
「…………………」
「この学ランさ、貰ってもいいかな」
「…………………」
「……友情の印しに、さ」

待てども背中から返事はやって来ない。少しだけ、詰めた息を吐き出す。無言は肯定と取っていいよね、恭弥。静かな空気を吸い込んで、有難うとそれだけ呟いて私は畳に張り付いた足を引き剥がした。世界が滲んで良く見えない。滲んだ世界の中で、私達を隔てる襖を目の前に私は止まった。開けたくない。出て行きたくない。嗚呼こんなにも、すきだった。近くて遠い場所が心地好かった。けれど、もう望めない。彼がこの黒い学ランをもう二度と着ないように。彼が私と違う世界を生きていくように。分かってたんだ。ただ興味が沸いてだとかそんなんじゃない。あいたくて、あいたかった。でもさよならを言いに来たんだ。きっと恭弥はそれを言いになんて来ないと思ったから。でもさよならだから。すきだったよ、恭弥。伝えられない思いは背中に隠して、友愛だなんてそんなものを背負った振りをする。本当に恭弥がサイキックだったらよかったのに。でももしそうだったとしても、きっと恭弥は何も言わないんだろうな。ばか恭弥。

「ばいばい、雲雀恭弥」

震えた。襖に掛けた手が。声が。嗚呼もう恭弥と呼べないんだ。息を吸うのと同時に襖を一気に横に引いて、そして私は境界を越えた。



背中に友愛

10/08/31
涙墜さまに提出

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