最後の一体が地面にぶつかる鈍い音がした。握り締めた槌に寄り掛かって疲弊した身体を少し休めながら傍らの彼女を見れば、イノセンスをしまうことも頬に飛んだアクマの血を拭うこともせずに、ただただそこに出来たアクマのものとも人間のものとも分からない血だまりをじっと伏し目がちに見つめていた。もたれていた槌から片手を外して小さな手の平を握り締めれば、ぬるりとした温かい液体が肌に触れた。手は、離さなかった。



カチ、というアナログ時計の針が廻る音がして、あーあと10分だなんて呟いた。ちらりと隣に座る彼女の顔を覗き見れば、ばちんと視線がぶつかって何よ、と言葉を浴びせられた。おまけに顔まで背けられた。何だよもうちょっと彼氏に気遣いがあってもいいんじゃねえの誕生日なのにさあ。あ、正しく言えば誕生日10分前か。もうひとつ正確に言えばいま9分前になったんだけれど。

「9分前ー」
「……………」

わざとカウントダウンを自分で始めたのにそれに彼女はつっこむこともけちをつけることもせずに、ただベッドの上で足を伸ばして床に散乱する資料の山を見つめていた。何か有るのかと思ってその視線の先を追っても何の変哲もない、ばらばらと黒い文字が散らばる白い紙しかオレに認識出来なかった。

「おーい、どした?」

唇を動かしながらパタパタと彼女の顔の前で手の平を揺らしてもん、と曖昧な返事しか聞こえなかった。様子がおかしいことは手に取る様に分かったが、今はオレの誕生日の9分、いや8分前、きっと大サプライズのプロローグだったり、なんておめでたい想像が頭の中を駆け巡ったが、伸ばした足を物憂げな表情で畳み、ベッドの上で体育座りをした彼女を視界に納めて脳内のピンクな妄想は全て吹き飛ばされた。神妙な面持ちで膝を抱える彼女の姿にオレは取り敢えず、伸ばし切り緩み切った身体を起こしてベッドにキチンと座り直した。その状態で彼女の言葉を待てば、案の定彼女の唇がゆっくりと開かれた。

「唐突だけどさ、こんな話知ってる?」
「………なに、どんな」
「むかしむかし、あるところに、混沌さんがいました」



昔々、あるところに渾沌さんが居ました。渾沌さんの他にあるひとが二人居て、三人それぞれが地方を治めていたのです。
ある日、渾沌さんはその二人をお家に招待しました。数々のこころを尽くしたもてなしに二人は喜び、感動し、お礼にあるものをくれると言いました。



「この話知ってる?」
「……いーや知らない。何をくれるって?続きは?」



貴方に穴を開けてあげましょう。その二人は渾沌さんにそう言ったのです。

実は、この三人の中で一人だけ、渾沌さんだけが、人間ではありませんでした。渾沌さんは目も鼻も口も耳も無かったのです。そこで二人は素晴らしいもてなしのお礼に渾沌さんにないその穴を開けてあげましょう、そう言ったのです。



淡々と言葉を紡ぐ彼女の横顔を見つめながら、オレは黙って言葉の続きを待った。カチカチとアナログ時計の秒針の音が静かな空気を揺らす。


それから一日にひとつずつ、二人は渾沌さんに穴を開けていきました。一日目、二日目、三日目、四日目、五日目、六日目、七日目。とうとう全ての穴を開け終わった七日目、渾沌さんは消えて無くなってしまいました。



「これで、おしまい」
「………唐突さね」
「うん、でもこの話はこれでおしまいなの」
「結局、どういう、」
「結局ね、………結局、人間はなまじ世界を見たり聞いたりしているから欲望だの何だのが生まれてるってことよ」
「…………」
「渾沌、カオス………何もない真っさらな彼には、この世界は汚すぎた」
「…………」
「見えているから、聞こえているから、息をして、いるから。人間は汚くなる。絶望する。愛が欲しくなる。目があるから、耳があるから、焼き付けたくなる。止まってはくれない音でさえ、掴みたくなる」
「人間は、なんて汚いんだろうね、」


オレは腕を伸ばして彼女の肩を引き寄せた。彼女の頭に手をやって、自分の肩にもたれさせる。嗚咽とともに肩を震わせる彼女の振動が彼女の頭に付けた頬から脳に伝わった。しゃくりあげる彼女の頭にゆっくりとあやすようにとんとんと触れる。カチリ、と一際大きい音がして時計が8月10日の始まりを告げた。お誕生日おめでとう、ラビ。私のきたない目や耳ががまたほらこうして働くんだ。彼女の呟いた言葉を瞼を閉じて聞いて、顔を少し動かして柔らかな黒髪に口付けながら、愛してると唇を動かした。カチカチと規則的に廻り続ける時計が厭でも視界に入って来る。紅い血だまり。匂い。秒針の音。でもね、ラビ。それでも私はラビを見ていたいよ。静かな部屋に埋もれてしまいそうな声で彼女は震えてそう言った。



残響アイロニー



10/08/10
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ラビ誕
神田の次はラビのターンだって信じてる

(出典:内篇第七・応帝王篇)

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