私は目の前のドアをそれなりの力を込めて引いた。少しばかり普通よりも大きい衝撃音と共に薄暗い部屋の中があらわになる。その部屋の中は私にとって初めて見るものばかりで、思わず此処に来た目的も忘れてぐるりと視線を巡らせる。といっても、マトモな生徒ならばこの部屋の中を見た事がないなんて当たり前なのだが。その時、ふ、と部屋の中の影が揺れて、静かな声が張り詰めた空気を震わせた。

「だれ」

思わず名前を零してしまいそうなくらいの静かな威圧感に私は真夏だというのに震えた。喉まで出かかった名前を張り詰めた空気と共に胸の奥に押し込んで、唇を開く。

「…そんな事どうでも良いの。私、貴方に話があって来たけど、…決してオトモダチになりに来た訳じゃ無いから」
「……そう、それは嬉しいね」

歌う様に部屋の中から流れ出て来た声に背中が何故か冷たくなった。すう、と息を吐いて薄暗い部屋の中に足を踏み入れる。吐いた息は震えて、静かな部屋に小さく響いた。

ぺたり、ぺたりと上履きが音を鳴らす。静かなこの部屋ではこの上履きの造る音でさえ反響した。ソファに腰掛けるその人の表情はソファの脇に立った私からは窺い知れ無い。何処までも暗い黒色のシルエットは何の音も発せず、何を考えているのか、何を見つめているのかさえ皆目検討もつかない。ただ静かにそこに在る。数秒の静寂。話を始める切っ掛けはそちらからは与えてはくれないようなので、私は震える唇をこじ開けた。

「………昨日、並盛の3年の男子生徒を殴ったでしょう」
「…………で?それがどうかしたの」
「………私の、兄なの」
「………で?」
「、どうして、殴ったの」
「群れてたから」

あまりにもあっけらかんとした答えに私は思わず息をするのを忘れた。彼がこう答えるだろう事は、とっくに分かっていた筈なのに。だって私は彼が群れる事が嫌いだと知っていたし、私の兄が彼のいう『群れる』類いの人間である事も分かっていた事だったのだから。それでも、私は今、息が上手く出来ない。

「それ、だけ?」
「他に理由が要るの」

静かな響きと共に頭のシルエットが揺れる。面倒臭い、とでも言いたげに。それと共に私の呼吸は完全に止まった。脳が出すシグナルとは正反対に私の唇は固く閉じて開かない。開けない。嗚呼、やっぱり彼は彼のままなのだ。私の周りにいるひと達が言うように、独りであること以外を許さない。私はこころの何処かでそれを、否定したかったのに。閉じた唇は私の脳の信号を聞かない。だって、開いたらきっと、なにもかもが零れ落ちてしまうから。脳が酸素を求めて震える。噛み締めた唇から微かな嗚咽が耐え切れずに滑り出すと、とめどなく私の中から何か苦しいものが溢れ出て来て、止まらなかった。止められなかった。

「…ばか、みたい」
「……は?」
「自分勝手、に自分の考えを、他人に押し付けて、殴った、なんて、ばかみた…っい」
「…………」
「そんなに、そんなにね、ひ、ひとりぽっちに、ひとりぽっちになりたい、んだったら、かってに、なってれば、っふ、ひばりくんだけでひとりぽっちに、ひっく、な、なってればいいんだ……っ!」
「…………」

ひとりぽっちにならないでよ。
そう言いたかったのに。言うことを聞かない唇を私は乱暴に手の甲で押さえた。言いたかった事は言えない癖に、流したくないものがとめどなく溢れて仕方ない。嗚呼私はこれ以上どうしたら良いのか。私だって矛盾している。雲雀くんに自分勝手だと言っておきながら、自分の思いを他人に押し付けているのは、一番自分勝手なのは、私なのだから。押さえた手の隙間から酷く情けなく頼りない嗚咽が零れ落ちる。息を止めてそれを自分の中に押し戻そうとしても苦しくて叶わない。嗚呼私はこんなところまでやってきて何をしているのだ。

そのとき、黒色のシルエットが不意に揺れて、一瞬で何故か雲雀くんの顔が良く見えるようになった。私はその理由が相変わらずの暗闇の中ではっきりと見えずに、上手く回らない頭でぼうっと雲雀くんってやっぱり綺麗だなあなんてそんなことを思っていた。そして数瞬の後に嗚呼殴られると私の身体は少しだけ反射的に小さくなり、目をつむった。想像していた衝撃はいつまでもやって来る事は無くて、そっと瞼を開けば目の前の形の良い唇が動いて、私の鼓膜が震える。

「いい加減、泣き止みなよ」

嗚呼、彼は、そんなことを言われたらもっと泣いてしまう人間も居るのだと知らないのだろう。噛み締めた唇から新たな嗚咽が漏れる。雲雀くん、どうしてそうやって私みたいな人間を甘やかすの。冷たく突き放してくれたならもっともっと浅くて痛いだけのオモイデで終わったのに。雲雀くんの言葉の優しい響きが私の中の何かを揺らして、甘い余韻ばかり遺して消える。

「きみ、名前なんていうの」

嗚呼、彼はきっと酷く自分の言葉が優しい事には気がついていないのだろう。ワイシャツの袖で乱暴に目を拭えば、滲んでいた彼の瞳がはっきりと見える。少しだけ下がった眉に彼のこころの端っこを見たように思えたのは、きっと思い違いでは無い。私が小さく自分の名前を呟くと彼はただふうん、とそれだけ言った。






10/06/25

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