伯爵と対峙した彼の華奢な背中をぼうっと眺めて、嗚呼哀しいとそう思った。ただそれだけ。まるで活動写真を観ているかのように、私は今彼から切り離されている『そと』の人間でしかないのだ。嗚呼。頭の中で綺麗に順番に並べられた『哀しい』という言葉だけが、私の奥でそっと音を鳴らした。


私はいま、何処に居るのか



アレン・ウォーカー、と吐き気がする程の高い声で叫ぶ化け物のようなあれが、世界の終焉を願うというひとなのか。あれは、本当に、ひとなのか。ノアは皆人間だと言うけれど、言われれば確かに納得出来る人間臭さを持ち合わせているものだった。けれどあの『ひと』は違う。何か違った。それが何なのか私の小さい頭では分からなかったけれど、私にはあの伯爵が違う世界にいるひとのように感じた。それは、彼も、同じだった。


彼はいま、何処に居るのか



「アレンはさ、どう思ってるの」
「何がですか?」

ソファの隣に座って資料をめくっていた手を休めて、彼はぱ、とこちらに顔を向けた。無意識に傾けられたのだろう顔に、白い髪がはらりとかかる。きょとんとクエスチョンマークを浮かべて私の顔を見つめるから、私の中の微かな期待とかそんなものがカラリと軽い音を立てて崩れ落ちるのを感じたけれど、そんな事は噫にも出さずに言葉を繋いだ。

「えっと、それ、前髪、邪魔くさくない?」

肌よりも白い髪を指差してにへら、と笑えば、彼は頬にかかった一房を指先でつまみ上げてああ、と言葉を漏らした。

「あーまあ切るのが面倒なんでそのままにしてるだけなんですけど、邪魔ですかね?」
「いやいや、それを私が聞いてるんだって」
「あ、そうでした」

すみません、とまた首を傾けて困ったように彼は笑いを漏らした。

「んーまあそうですね、あんまり今まで気になった事が無いってことは、邪魔じゃ無いって事ですかね?」

そう言ってはは、と小さく笑った。私にはそれが何故か分からないけれど彼が一等哀しく見えた。ふ、とそれと共に揺れる白い髪の隙間から覗いた紅は目に焼き付いて離れない程鮮やかで、嗚呼これかと思いながらそっか、と空っぽな言葉を吐き出した。私は生憎それ以上話を膨らませる才能も無く、話はそれでぱたりと途切れた。私の頭の中では昏昏と哀しいという気持ちが溢れて、静かに私を侵略した。


過去が貴方を蝕む



嗚呼彼は過去に縛られてがんじがらめになって居るのだと分かってからまだほんの少ししか時は動いていないのに、私はもう彼が未来にさえ縛られているのだと知ってしまった。そう、知ってしまった。彼の華奢な背中と化け物のように思えた伯爵の口元がコマ落としの様に映像として流れ込んで来る。本当に、活動写真を観ているようだった。私は、『そと』に居る人間だった。私にとって『いま』、彼が私の知覚している世界に本当に存在しているのかどうか分からなかった。彼が過去と、そして未来とに鎖に繋がれているのは充分過ぎるほど分かった。それならば、彼は『いま』、此処に存在しているのだろうか?その答えを私は知ってる。答えは、ノーだ。


運命を笑い飛ばしてよ



自分自身の人生を生きるということが『いま』を生きるということならば、きっと彼は此処に存在していない。私にはそう思えた。誰かさんが造った道を運命だなんて小綺麗な事を言われて歩かされているようなそんな気がしてならなかった。まだ幼さの残る華奢な背中を見つめる。白い髪が柔らかな風に揺れた。苦しい。息が上手く吸えなかった。私の喉がひゅうひゅうと音を立てる。どうして彼なのか。どうして、よりにもよって彼が背負うのだ。どうして。どうして、どうしてすきになってしまったのか、私は。


が滲む


息を上手く出来ずに、私は震えた息を微かに吐き出した。喉が生み出すひゅうひゅうという音が耳に焼き付いていく。世界が、いまが、ゆっくりと、はっきりと、滲んでいった。彼だって。留まり切らずに零れ落ちたものを指で乱暴に拭った。滲んだ世界の中で、彼は運命のように退魔の剣を握り締める。嗚呼始まる、そう思って私は瞼を伏せはじめた、その時。彼の白い髪が少しだけ揺れて、何故か、私に紅い星が瞬いた。スローモーションのようにゆっくりと白い髪が揺れて、見えた瞳は限りなく優しかった。そして、彼の唇が動いた。



滲んだ世界の中で、それでもそれははっきりと見えた。その後の彼の背中はぼやけていて良く見えなかったけれど、その前に確かに唇は動いた。アレンに向かって、上手く上がらない口角を無理矢理引き上げて笑う。それに答えるようにアレンもゆっくりと微笑んで、そして、白い髪を揺らして前を向いた。再び向けられた滲んだ背中に、何かが零れ落ちるのを感じた。嗚呼、私は間違っていたみたいだ。彼は過去に縛られて、未来に繋がれて、儚くて苦しくて、もう私が触れられない世界で生きているように思っていた。でも違ったんだね。愛と死と血に塗れたこの世界で、それでも『いま』を生きていたんだ。確信したの。私を、『いま』を、振り返ったから。嗚呼、私は、私が、彼を繋ぎ止められる。私が、『此処』に生きていることで。アレンは此処に帰って来る。漏れ出る嗚咽が止められなかった。彼の足が地面を蹴った。待ってる、私は待ってるよ。生きて、此処で待ってる。だからどうか、消えないで。帰って来て。
私は生きて、貴方を待ってる。




指切りの出来ない約束


『ちょっと待ってて、』


10/06/05

けいさんに捧げます


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