育児

五条悟ー、日本国内で稼働できる現在唯一の特級術師は多忙を極めている。呪術高専の教師を筆頭に仕事は国内の呪霊の跋除、呪術界上層部からの無茶振りだけに飽き足らず、海外へ出向き呪具の回収、呪いの対応をするなど仕事内容は多岐にわたる。
長期にわたって海外へ出張することもざらで、そういったときは彼の任務の受け皿となる人物が必要なのも事実。一級術師の何人かで彼が受ける予定の任務を担当するなんてことは珍しいことではなかった。
国内で急遽確認された未登録呪霊の発生になまえは現場に急行し、激しい戦闘を繰り広げていた。


「ーふうっ、なーんか最近特級案件多くない?」


緩くウェーブのあたる薄桃色の髪を靡かせながらさらさらと呪霊が消滅していくのを確認したなまえはふぅっと嘆息する。ゴキゴキと肩を鳴らしながら近くの呪霊の気配が消失していることも確認し終わった後に、十代の頃とは違い露出の減ったハイウェストのスキニーパンツの尻ポケットに入れていたスマートフォンが先ほどから振動していたことを思い出して通知を確認し、眉を顰めた。
手慣れたようにディスプレイに表示される先にリダイヤルをすれば事務的な対応をする女性に繋がり、「伏黒恵の保護者です。お電話いただいていたのですが。」とこちらも慣れた一言を発すれば確認の沈黙もなく「すぐにお繋ぎいたしますのでお待ちください」と保留音が流れた。
現在の位置を確認して恵の学校まではどれくらいかかるか地図アプリで確認すればさほど離れていなかったのでさっさと迎えにいくかと今回の連絡に大体の検討をつけて待機していた伊地知が運転する車に乗りつけた。


「伏黒君、校内の不良を校舎にかかってる横断幕に吊るしちゃいまして。吊るされた生徒たちの保護者も来られますので五条さんも来ていただけますか?」
電話口から聞こえてくる言葉の意味を理解する前にいつもの定型文を口にする。
「いつもいつもすみません、すぐに向かいます」
苦笑する担任の教師の声を受け取りながら心にも思ってない謝罪を述べて電話を切る。はー、いつも思うけど私五条じゃねーけど。あいつまじで適当なのいい加減にしろよていうか保護者がしっかり面倒見ろ馬鹿野郎、と思うが幼い頃から面倒を見ている恵と津美紀を可愛く思っているのも事実で。校内の不良吊るすってどういうこと?何事なの?何があったの?私の育て方が間違ってたの?…そんな気がする……ムカつくやつは片っ端からぶっ飛ばせばいいなんて言った私が悪かったの?今回の事件ばかりはどういう状況なのか全くわかんないな〜なんて思いながら思春期真っ只中の問題児の恵ちゃんの通う浦見東中学校へ向かうのであった。







「なまえも恵と津美紀に会ってみない?」

もう間も無く高専の5年目が終わろうというタイミングで悟から告げられたのは、最近悟が後見人となった例のゴリラ男の息子と義理の娘に会ってみないかという話だった。一度少女の方はあらぬ誤解をした経緯もあって勝手な気まずさを感じていた私は悟が面倒を見る幼い子供二人のことは知ってはいたが何度か会ってみないかと打診してくる悟をやんわりと躱し、関わらないようにしていた。そもそも小さい子供はふとした瞬間に怪我をさせかねないし苦手。そう言えば悟は困った顔をしてそれ以上追求してこなかったのに今回は引く気がないようだった。


「なんで?子供苦手だって言ってるじゃん」
「ホラ、津美紀は女の子でしょ。同性の方がわかる話もあるじゃん」
「…私に『女の子』の話題を求めるのは間違ってる」
「んもー、なまえが勘違いして津美紀にヤキモチやいたのは隠しといてあげるからさー!」
「や!!やめてよ!馬鹿!!!」
「それに恵鍛えて欲しいんだよね」
「…まって、その子今6歳だか7歳だかじゃなかったっけ?」
「ウン、7歳」
「………さすがに7歳の子供は殺しちゃいそうで怖い」
「だーかーらー、お前のそういう手加減の練習にもなるでしょ」
「呪霊も呪詛師も手加減必要ない」
「お前子供できたらどうするつもりなの」
「は?誰の子供?」
「は?僕とお前の」
「……は????」
「いつかはできるかもしれないでしょ」
「………それは、」


無理、そう続けようと思ったのに酷く寂しそうな顔をする悟の様子に口を噤んでしまう。


「ウン、お前が子供苦手な理由なんとなくわかるよ。僕も無理して作る必要ないと思ってる。
でもとりあえず、生徒だと思って。後進を育てるつもりでさ、小さい子供もそうやって慣れてこうよ」
「………怪我させても、知らないよ」
「恵には強い術師になってもらわないといけないから、多少はいいんじゃない」
「悟なんて児童虐待で通報されればいいんだ」
「わー、そんなこと言っちゃう?ってか呪術師の家系の子供時代なんてみんな児童虐待みたいなもんだから今更だねッ」
「ほんとクソだね」
「お前の幼少期だって似たようなもんでしょ」


なんて言いながら連れてこられた例のボロアパート。なぜか掌に尋常じゃないほどの汗をかくし足取りが重い。帰りたい。逃げ出そうかな、なんてちらりと横の男を見やれば逃がさないとばかりに手を握られた。「手汗ヤッバ。どんだけ緊張してんの?」なんてケラケラ笑ってくる悟に殺意が湧く。
慣れた風に錆びついたボロい階段をダンダンダンと音を立てながら上がっていく悟に続き過去に目撃した扉の前に到着した。家の中には二つの人の気配がする。なんの躊躇いもなしにインターフォンを押す悟の後ろで首に手刀落としたら気絶するかな?無下限で防がれるかな?なんて生産性もないことを永遠に考えていた。『はーい』と室内から高い女の子の間延びした声が聞こえてきて「津美紀ーあけてー」なんて言いながら悟の私の手を握る手がまるで逃げるなとばかりに強さを増す。


「五条さん、いらっしゃい!あ、そちらがうわさの!」


扉を開けたのはいつか見た細っこい白い腕を必死に伸ばしている快活な笑顔を浮かべる少女だった。


「はじめまして、伏黒津美紀です!」


可愛いな、第一印象はそれに尽きた。まさか自分が幼い子供にこんな感想を抱くとは思わなかった。
後ろからこちらを探るようにやってきた男の子は誰がどう見てもあの男の息子と一目でわかる見た目をしていた。津美紀に促されるまま警戒を解かずに「伏黒恵」と名前だけ告げる子供にぽかん、としてしまう。全然可愛くない…!!


「ほらなまえも自己紹介しなよ」
「…なまえ。よろしくね」
「えー!愛想無!いつものニコニコどこいったわけ?!」
「うるさい!緊張してるの!!馬鹿!!!」
「はあ、仕方ないなあ。恵、津美紀。なまえはねー、僕の奥さんになる人だからこれからよく会うことになると思うよ。よろしくね」
「あんたほんとに何言ってんの?!」
「ハイ!五条さんにいつもきいてます!なまえさん、よろしくおねがいします!」
「え、ええ、ちょ、ちょっと待って。奥さんっていうのはこの馬鹿の冗談で」
「エー!!なまえってば僕をヤリ捨てするつもりだったの?!酷いなー!!あんなにいつも愛を誓い合ってるのにっ!」
「子供の前でそういうことを言うなーーー!!」


私の絶叫がボロいアパートに反響する。近所迷惑でしょ!なんて悟にチョップされてあたかも私が悪者みたいになっててマジで理解できない。
とりあえず中にどうぞ、とニコニコしながらいう津美紀に促されてついに私は伏黒家に足を踏み入れた。






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「津美紀〜、恵は悟とお出かけだから私と買い物行こっか」
あれからというもの、禪院家とのゴタゴタを解消させるため悟は何度か恵を連れて禪院家へ出向いていた。どうやら私は津美紀の護衛役も兼ねていたらしい。何度か悟が不在の際に津美紀が攫われそうになる事件が頻発して都度私が返り討ちにしていた。そんな意図があるなら最初から言えや!!!あの馬鹿!!!!
そんなこんなで津美紀が私に懐くのは時間の問題で、そんな津美紀と私を見て恵もだんだんと私に心を開いているようだった。
家事能力が一つもない私を笑うことなく、まだ小さいのにいつもたくさん簡単な料理を作って待っていてくれる津美紀は間違いなくいい子で、勝手に怖がって近づかない自分が情けない。そして私は私でそんな津美紀に絆されていた。できるだけ傷つけないように触れないように気を付けているが、私の怪力を知らない津美紀は触れないようにしている私を見て時折悲しそうにするのが少し切ない。ほんとは抱きしめたりヨシヨシしてあげたりしたいけど、加減がわからなくて怖い。
いつも触れようと伸ばした手は途中で空を掴み、小さな少女に届くことはない。


悟に言われた通り、少しずつ恵に稽古をつけるようになった。まだまだ幼いから私はほとんど手を出さないし、力の使い方と成長を阻害しない程度のトレーニングを教えるだけだけど。
「なあ」
「…なあに、恵」
「俺、津美紀よりは頑丈だから、練習に使っていいよ」
他人をいつも警戒して一定の距離を保っている恵にそう言われて思わず目を見開く。なんで気づいてるのこの子は…!

「私、恵が思ってるより力強いよ」
「知ってる。この前フライパン曲げてたもんな」
「うっ…あれは、手伝おうと思って、握ったら、思ったより脆くて…ごめん…」
「別に、俺もあいつもそこは気にしてない。面白かったし。けど、津美紀は、アンタと触れ合いたがってる」
「………うん、わかってる。でも私、力だけで言ったら悟より強いの。手加減できなかった時のこと考えたら、怖い」
「………俺の親も、俺のこと、触ろうとしなかった」
「え」
「そんなすぐ怪我するほどヤワじゃないだろおれたち小動物じゃない」
「………う、私にとっては小動物だよ…私、恵のお父さんと同じような体質で、」
「でも一度も触られなかったわけじゃない。津美紀でやるのが怖いなら俺で練習すればいい」
「うっ…恵…あんたはなんていい子なの…」
「俺のこといい子なんていうやつそうそういない、変わってるよな、なまえ」
「!恵、一回、ぎゅってしていい?」
「いいよ」


少し恥ずかしそうにそっぽを向く恵が可愛くて、恵の顔の位置までしゃがみ込み、傘をさしていない方の手でおそるおそる、薄皮一枚間に挟むような感覚でまだ小さな体に腕を回せば、小さくため息をついた恵にぎゅっと抱きつかれる。「ホラ、こうするんだよ」なんていう恵が、呆れた顔をしながらも一生懸命抱きついてくれていて少しドキッとする。この子、大きくなったら天然のたらしとかにならない?大丈夫?
今度こそ、薄皮一枚分をなかったことにして、恵を優しく抱けば、悟と抱き合ってる時のような人の温もりを感じることができた。


「あーっ!なまえが恵と浮気してるー!??!!何してんの?!?!離れて離れて?!?!」


なんて言う声が聞こえて二人してぽかんとしたあとに声がした方を見れば悟が馬鹿みたいに騒いでいた。そんな悟の後ろで驚いた顔の津美紀がこちらを見つめていたので、私は意を決して「津美紀、おいで」と呼び寄せる。傘を放り投げて、おずおずと近寄る津美紀と隣にいた恵をまとめて抱きしめると、不思議な高揚感に包まれた。先ほどまで騒いでいたのに静かになった悟を見上げれば、とても嬉しそうな顔で微笑んでいたので私は観念する。

「はぁ、悟の思う通りになったね」
「ん?なんのこと?」
「恵はこんな悪い大人になっちゃダメだよ。津美紀はこんな男選んじゃダメだよ」
「心配しなくてもこんなロクデナシに俺はならない。なまえは違う男に乗り換えたほうがいい」
「えー、五条さん、かっこいいですよ?」
「津美紀は目の付け所がいいね!二人とも、僕ほどいい男なんてこの世に二人と存在しないと思うけど?」
「恵、津美紀ちゃんと見張ってなよ」
この子男見る目ないわ、私と一緒だね。と言えば津美紀と悟は嬉しそうな顔をして、恵は苦虫を潰したような顔をしていた。




「なまえさん、到着しました」

車がゆっくり速度を落とし、目的の見慣れた学校前につけた。伊地知はサイドブレーキをギギッと入れて完全に停車させる。随分と昔のことを思い出していた。あんなに小さかった恵も津美紀ももう中学生だ。背丈なんかほぼ一緒。っていうか抜かされてる。

「伊地知、今日の予定は?」
「任務は別の方に振っておきました。今日はこちらで終了です」


言いたいことを全て理解したように返ってきた答えににんまりと笑みを浮かべる。伊地知はほんっと優秀だね。今度お酒でも奢ってあげよう。
車を降りてから、運転席の窓を下げて待っていましょうかと言う伊地知に今日は遅くなりそうだから先帰っててと言えば苦笑を漏らし車を再度走らせていく。
校舎を見やれば以前かかっていた全国大会出場だかなんだかが書かれていた横断幕が不自然に一部取り払われており、残った横断幕がゆらゆら揺れているのを立て小さく嘆息する。
まさかあの布に人間くくりつけたの?やるねえ、恵。



「あ、五条さん、こちらです」
だから五条さんじゃねーって。と心の中で叫んで保護者が集まった場所に連れて行かれた。
慣れたような侮蔑の視線を送られるけど特に気にせず心にもない謝罪をして職員室から立ち去る。頭を下げれば苦笑する担任とまだ文句のありそうなおばさんたち。人の親って大変だねえ〜〜〜!!
担任から聞いた今回のことのあらましにさてさてどうやって可愛い恵ちゃんから事情聴取するかなあなんて思ってれば津美紀に捕らえられて待機してる恵の姿を見つけて思わず笑ってしまった。私の顔を見るなり申し訳なさそうな顔をする津美紀と、ぷいと目を逸らす恵に苦笑する。別に怒っちゃいないのに怒られるとでも思ってるんだろうか。


「派手にやったねえ恵」
カラカラと笑えばさらに視線を落とした恵の頬に触れ顔を強制的に上げさせる。すると不満げな表情でこちらを見つめてきた。
「横断幕に人間吊るしたってどういうこと?」
「………」
「恵、答えないと私が玉犬たちのブラッシングするよ?艶々の毛並みが一瞬でボサボサになるよ。いいの?」
「くっ……」
「恵?」
「アイツらがムカついたからです…」
「なんでムカついたの」
「……自分の尺度で他人を見下げてた」
「ふむ、なるほど。まあ確かにムカついたやつぶっ飛ばせって言ったのは私だね。だけど横断幕は人を吊るすもんじゃないでしょ。あれは頑張った人間讃えるためのもん。あんたまで力の弱い下を見下して制裁して生きてどうすんの?力のある人間は上を目指し続けなよ。ムカつくんなら殴り合いぐらいに留めて解決しな」
「……俺は呪術師なんて、」
「もうそれは決定事項だよ。甘いこと言うな」
「っ…」
「恵、生き方を自由に選べる人間は少ない。選択肢を増やすためには強くなり続けなきゃいけない。文句は悟殺せるぐらい強くなってからいいな」
「なまえさんっ、喧嘩はダメって言ってください」
「津美紀〜それは無理だよ私だって喧嘩っ早いんだから」
「〜〜〜っもう!!!!」
「とはいえ、恵。あんたが馬鹿やったら悟に連絡だっていくし、任務中の私にも緊急連絡先として連絡が来る。それがどういうことかわかるね?」
「……すいませんした」
「ん。わかったならいいよ。ほら何かおいしいもの食べに行こう!何がいい?」
「なまえさんいるならバイキングとかのほうがいいですね!」
「恵は?」
「…焼肉で」
「おっいいね〜〜今日は美味しいお肉食べに行こう!」

津美紀の手を取って、嫌がる恵の手もつないで歩けば本当に家族になったみたいでなんだか嬉しくなった。この二人がいることが自分の新しい日常になった。

その後、まさか津美紀が悟にもわからない正体不明の呪いに侵されて眠りから醒めなくなるなんてこの時は露とも想像していなかった。




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