安堵と寂寥

「せんせー!これどうですかー?!」
「んー?お!!よくなってるよ〜!」


桜の花びらがハラハラと散っていく中で訓練に励む生徒たちをニコニコと見つめる。こっちにきて桜を見るのは何回目だろう。一年間稽古をつけた生徒たちは随分自信を持って任務に取り組むようになった。来年か再来年からは悟も教職に就くつもりとも言っていたし、癪な話だが彼が教師をするならより花開く生徒も多くなるだろうなと思った。


「なまえさん」


最近会う機会が少なかった聞き覚えのある低い声に呼ばれて振り返れば、思った通りの人物が任務というには多い荷物を抱えて物々しげに立っていたので思わず眉を下げる。


「七海。準備できたの」
「…はい。なまえさん、本当にお世話になりました。」
「…そんな、二度と会えなくなるみたいな挨拶しないでよ」


いつも背中に背負っていた鉈はその広い背にはもう背負われていない。きっと大きな荷物のどこかに仕舞い込んでいるんだろう。


「すみません」


下を向いて、申し訳なさそうに顔を歪める七海にそんな顔しないでと言っても相変わらず暗い顔。最後ぐらい七海の笑った顔が見たいなと言えば鋭い眼光を少し瞠目させて、驚いているようだった。


「困らせちゃった?」
「…いえ」
「……本音言っていい?」

いつもの鋭い眼光に戻った七海に安心して、口を開けば黙って私が話し出すのを待っている彼に言うか言うまいか迷っていた言葉を紡ぐ。


「術師やめるって聞いたとき、安心したの」


驚くかと思ったのに七海の表情は変わらない。びっくりもしてなければ、怒ってもない。いつも通りの少し不機嫌そうで、優しい七海の表情に安心する。


「長生きしてね、私より」
「なまえさんはいつも無茶しすぎですよ。いつか本当に後戻りできなくなるとこまで行ってしまいそうで心配です」
「んふふ、早死にしないようにだけ気をつける」
「はい。そうしてください。あなたが死ぬと五条さんを止める人がいなくなりますから」


えー!私悟のストッパーくらいしか価値ないの?!なんて言えばふはっ、と眉を顰めながら七海は笑う。


「私が二十歳になったら、お酒でも奢らせてください」
「お酒か〜お腹いっぱいにならないからなあっ」
「では、ご飯でも」
「ふふ。うん。奢られるの楽しみにしとくよっ!」


そう言えばようやく口角を上げてくれた七海にまたね、と声をかける。


「なまえさん」
「なあに」
「お元気で」
「ふふ。七海こそ」


私の横を通り過ぎて行った七海は、一度もこちらを振り返ることなく、呪術高専を去っていった。とても寂しいけど、これで彼が灰原と同じように死ぬことがないのかと思うと少しだけ安心した。











私と硝子と悟が呪術高専を卒業してから、何度目かわからない春がきた。相変わらず高専の中でそれぞれ忙しく働いている。硝子は高専所属のお医者さん。最近仕事が増えて寝れていないみたいで飲酒の量が尋常じゃなくてすっごい体に悪そうなんだけどいけてる?歌姫先輩の決死の助言もあってついにヘビースモーカーだった彼女は禁煙を始めたらしくイライラが抑え切れないようで私はとばっちりをよく受けている。

悟は夢ができたらしい。クソみたいなこの呪術界を変えたいんだって。狙うはクソの掃き溜めのような上層部の刷新、術師の意識改革。御三家もどうにかするつもりなんだろう。そのためにまだまっさらな若い子たちの力をつけさせて、強い術師を育成するため正式に高専の教師になった。私みたいな講師ではなく、歴とした先生。だけど忙しくてどうしても生徒につききっきりというわけにはいかないから、彼が受け持つクラスの補助もしている。他の学年の子の面倒も見てるからなかなか忙しい毎日だ。



「なまえ〜!」
「なにー?」
「いいお知らせがあるよ」


珍しく高専内でウロウロしていた悟は私の姿を確認するなりにぱーと花でも舞ってるような顔でスキップして近づいてきたので思わずひくりと頬を引き攣らす。ウキウキ、ワクワクとも言いたげな悟は目元の見えない顔で器用に表情を作っている。こういう態度をするときの悟に良いことがないということは長くなってしまった付き合いでだいたいわかるのでスマホに視線を移して学生から送られてきたメッセージに返事を返した。彼は最近サングラスではなく目元に謎の包帯を巻き始めた。最初にこの姿を見た時は流石にギョッとして「遂にとち狂ったの?」と言ってしまったのがもはや懐かしい。本人はイケてるつもりらしいのが辛い。



「ちょっとー聞いてんの?」
「なんだろー?来年の新入生が期待大、とか?」
「うーん、なまえってばいつの間に教育熱心な先生になっちゃってるの?僕よりGTじゃん。」
「?ぐれーとてぃーちゃー?」
「ぅおっほん!そんなことはおいといて、明日なまえの大好きな七海くんが帰ってきまーす!!」


ーーーは?思わずつる、とスマホを落としかけて地面にぶつかる前に慌てて拾い上げる。ー今なんて?


「…あれれ?思ってた反応と違うなあ」
「さとる、なんて?」
「七海から連絡もらったんだよね。術師に復帰したいってさ」
「なんで!」
「さあ?サラリーマン嫌だったんじゃない?知らないけど」


サラリーマン、確か非術師の大半が就く仕事。何年か前にここで別れたきり、七海からは結局ご飯には誘われなかった。一度も会っていないし連絡もとっていない。その方がいいだろうと思って、私からも連絡をすることはなかったけど。何をしていたのかなんて全く知らなかった彼がまさか術師に復帰するだって?


「むー。大好きなーって言ったけどその反応本当にお前七海のこと好きな。なに?妬かせたいの?」
「冗談はやめてよ」
「何キレてんの。いいじゃん。強い術師が帰ってくることはいいことだろ?万年人手不足なんだから」
「…そう、だけど」
「はぁー。喜ぶと思って知らせたのになー」


お前七海やめてから寂しそうだったしなんていう悟の言葉に思わず眉間に皺を寄せてしまう。


「複雑、なの」
「うん」
「七海は優秀だしいてくれたらすっごい助かる。頼りになるし他の術師の負担も減ると思う。悟の夢だって、きっと後押ししてくれる」
「そうだね」
「でも術師やめるって聞いた時安心したの私」
「馬鹿だね、お前って。もっと信用したら?そんなすぐやられるタマじゃないよあいつ」
「それに関しては悟以外信用してない」
「はー、僕が死んだらどうすんのさ」
「悟が言ったんでしょ?悟が死ぬ時は私の死ぬ時だって」
「あ、そうだったか。寂しがりやだね。おいで」


ここ外だし。生徒に見られるかもしれないし、いっぱい言い訳はあったけど、広げられた両手で空いた胸元に吸い寄せられるように抱きついた。


「ははっ素直じゃん」
「たまにはいいかなって」
「いつでもいいけど?」
「たまにでいいの」


とくんとくん、一定の速度で刻まれる心臓の音。学生時代のようにバクバクと異常なスピードを奏でることは無くなったけれど、今の方が安心する。
私が我儘全部言うようになったら叶えきれなくて悟困っちゃうよと言えば胸にくっついてたはずの体を急にべりっと剥がされて少しびっくりした。


「なに、お前ほんとどうしたの?僕を殺したいの?」
「はあ?」
「あーびっくりした。誰かが成り代わってんのかと思ったけどお前は相変わらず呪力カケラもなくて安心した」
「え?急なディス何?」
「何言ってんの?最高の褒め言葉じゃん」
「悟が何言ってんの??」


相変わらず意味わかんない男だな、と睨みつければあー可愛いなんて言いながら顔中にキスを降らされた。








「ご無沙汰してます」


学生時代より少し疲れた表情をして高専に戻ってきた七海は相変わらず真面目でスーツをきっちり着こなして懐かしい鉈もちゃんと装備して私の前に現れた。
戻ってきて欲しくないと思ってたはずなのに、七海の顔を見た瞬間込み上げてくるものがあって、それに気づかれたくなくて誤魔化すように飛びつけばさらりと躱されてしまった。む、鍛錬は欠かしてなかったみたいだね!といえば七海は優しく微笑んで「なまえさん、今度こそ奢らせてください」というので私も満面の笑みで頷いた。


「おかえり、七海。私にご飯食べさせたい時は破産を覚悟しなよ」
「…やはり割り勘でも良いでしょうか」


眉間に皺を寄せた七海はちっとも昔と変わっていなかった。


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