論外

キャンキャンキャン、子犬のような鳴き声がする。何を言いたいのかわからないけど必死に何かを伝えようとしているんだろう、でも私は犬じゃないし、何を伝えたいのか全くわからない。これだけ伝えたい何かがあるなら理解してあげたい気持ちはやまやまだが、申し訳ないがどう頑張っても理解できそうになかった。ごめんね、と言いながら頭を撫でて未だキャンキャン泣き喚く犬に申し訳なさそうな顔だけ浮かべて立ち去ることにした。すると腕を掴まれる。なんで犬が私の腕を掴めるのかはわからないが、とにかく腕を掴まれた。だが非力な犬にどれだけ腕を掴まれても所詮犬なので私の行く手を阻むことはできない。力を入れすぎると犬の前足を折りかねないのでそーっとそーっと力を込めないようにやんわり犬の前足を退けた。「ごめんね、私ワンコと戯れたい気持ちはあるんだけど、今お仕事できてるからね、私を呼び出した男は遅刻してるんだけど、行かなきゃ。ごめんね。」再度よしよしと毛並みのいい頭を撫でてやれば吊り目がちな綺麗なお目目をこれでもかと大きく見開き瞳孔を開いて「ぁ゛?」なんて柄の悪い言葉を紡ぐお口にふむ、と一考する。もしや犬ではない?たしかに前足だと思っていたのは私より大きな手だし、撫でていた頭は私よりも高い位置にあるし二本の足で立っている。どう考えても人間だ。だけど本当に何を言っているのかわからないしずーっとずーーーっときゃんきゃん吠えているので、脳が勝手に犬だと判断したらしい。人間ならなんで言葉がわからないんだろう?不思議だ。





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ここのところ、家の中で巡るおもろい噂話がある。
以前家の人間がちょっかいかけた呪力のしょぼい猿に返り討ちにあった話も仕掛けた奴情けなさ過ぎておもろかったんやけど今回は六眼と無下限呪術を使いこなす御三家の頂点とも言える五条家の悟くんにまつわる話や。ついに先日正式に当主についたらしい悟くんは婚約者候補として一人の女を指名したようで、その女が例の猿らしい。我が家にいる例の双子よろしく女に生まれてきた時点で詰みやのにさらには呪力もミソッカスで終いには呪術家系でないほんまもんの非人。それが五条家の悟くん狙うなんてなかなか大したタマやんかとそこは褒めてあげたい。ま、身の程知らずすぎてもはや笑えへんけど。やけど胎としての価値もない猿を選ぶなんて悟くんどうかしてるとしか思えへんなあ、女の趣味悪いんちゃう?なーんて思っていれば噂で聞いていた通りの見た目の女が雨も降ってへんのに大きい傘差して会合が開かれるはずの料亭の庭園でぼーっと突っ立ってんのが見えて、そういえば今日この場に悟くんがくることを思い出した。これは弄らずにはおられへんなあとばかりに声かけたってんのに意味わかってへんのか申し訳なさそうな顔で頭を撫でられるしなんやこの女気狂いか?と踵を返そうとする女の手を掴んでやれば聞き捨てならん言葉が聞こえた。「ワンコ」?誰のこというてんねんこのアマ。躾がなってへんのちゃう?悟くん。



「悟くんと付き合うとるらしいやん。御三家の間で有名やで。五条家の当主ともあろうもんが猿にご執心ってな。ま、呪力ない君みたいな猿やったら体売るくらいしかできることないかー。悟くんたらし込むってどんな手練手管使ったん?俺にも教えてーな」
「ここまで人間に見えるワンちゃん初めて見たなあ!でも躾がなって無いね?どこの家の子かな??ほら、お手はできるかな?ハイお手!」
「殺す」
「アハ、ワンちゃんがそんな言葉使っちゃダメでしょ?私が躾けてあげるよほらおいで?」


その瞬間目に宿った殺気に幼い頃実家で見た『強さ』を垣間見た気がして頭を振る。ーは?人間以下の雌猿の分際でなんやその態度は。能天気そうな顔してヘラヘラして、なーんも考えてなさそうな頭の色した頭悪そうな女。そんなんがあの甚爾くんと同じ訳ないしましてや自分の立場がわかっていないその態度。調教したらなあかんと思わん?


「ん?意外と賢いワンちゃんなのかな?あれだけ言えば飛びかかってくるかと思ったけど」


さっきまでと同様にヘラヘラしてるピンク頭した女に調子乗んのもええ加減にせえよ、己の立場ちゅーもんをわからしたらなあかんな、と術式を発動させ、一瞬で距離詰めて叩く。コケにされた分くらいは痛い目には遭うてもらおう。何が起こったかわからんまま庭で気失ってるとこ今日集まる上層部に見せもんにしとくん可哀想やなあ、なんて一ミリも心にもないこと思いながらスピードに乗ったまま女を日本庭園風に誂えてあった砂利に沈める。ー?なんやこの感覚。呪力がまるで感じられへん…全く?つくづく女の趣味悪いんやな悟くん。まあいい。こんな小手調でやられる程度、やっぱり女なんて所詮吠えとるだけでこんなもんや。



「堪忍なあ、会合終わるまではここで寝といてや」
「ふふ、たしかにこんなにくすぐられたら眠たくなっちゃうかも」


腹に完全に入ったと思っていた拳を受けたくせに無傷で笑う女に思わず眉を顰める。なんや、この違和感。嫌な予感、まさか、いやそんなはずない、こんな能天気そうで見るからに阿呆そうな女が『あの』甚爾くんと同じな訳ー、


「今のが全力なんて言わないよね?まあいいや、初手で手ェ抜く奴に碌な奴いないもんね」


ふわり、と笑う目の前の女の手が己の首に伸びる。首にかかった女の手をはたき、術式を発動させ、助走ののち女を再び地面に沈めたるー!


「ふぅん。なるほど、仕組みがわかんなきゃ反則技みたいに速いね」


お綺麗に笑う女の顔でもぐちゃぐちゃにしたらおもろいな、とペナルティで固まる女の顔を思い切り殴りつけたのに拳の形に顔が少し歪んでいるだけで全く痛みも感じていなさそうな様子に何か冷たいものが背筋に伝う。なおもこちらを射抜く蒼は怒りも興味も恐怖も何も映していない。なんやこの女は…?


「一秒間に24回かぁ、すごいね、習得するの大変だったんじゃない?でも速いだけじゃ駄目だよ!出直しといで」


まさか呪力も碌にないこんなひ弱そうな女が初見で見切ったんか?そんなことを思う間も無く頭を鷲掴みにされて脳が揺れる感覚を受けた瞬間に何かに打ち付けられたような衝撃が頭と体に走る。大きな水飛沫を上げて全身が水の中に浸かっていくのがわかった。ぴちぴちと自分の周りを鯉が跳ねているのを見て、庭園の池に沈められたことを悟った。



「ふふ、鯉の餌にはおっきかったかな?」



血塗れの視界の向こうで女の蒼い双眸が三日月のようににんまり歪むのが見えて、次会った時は殺したると思ったのと同時に、ああなんや、やっぱり強い人間が選ぶ人間は『そう』なんやなと心のどっかで納得している自分がいた。







「おーこんなとこにいた、なまえなにやってんのー」


躾のなってない気絶したワンちゃんの上でぴちぴちと跳ねてる鯉を見つめながらぼーっとしていると、私をこんなところに呼び出したまま一向に姿を表さなかった男がようやく現れた。



「もー、悟。今日の遅刻はちょっと酷いよ。悟のせいで犬に絡まれちゃったじゃん」
「えー、なに呪力感じたから見に来たんだけどこんなとこに犬?…ってマジ??ウケるお前何してんの」
「さあ、なんか話しかけられたんだけど何言ってんのかよくわかんなかったからとりあえず躾けてあげようと思って」
「ちょ……これ禪院とこのだよ?オッカシー!駄目だこんなん笑う」


腹を抱えて笑い出した悟に思わずムッとする。あんたが遅刻しなけりゃ絡まれることなかったんだけど!!…まあ、犬は言い過ぎたかな。高専にいる生徒達より遥かに強いしできる子だ。久々に楽しい戦いができた。


「ぜんいん…ああ、例の」
「何があったらこんなことなるの??」
「悟が遅刻しなけりゃこんなことにはならなかったねえ」
「えー、僕のせいではないでしょ。早く行くよーなまえのせいで遅れちゃう」
「はあ?絶対私のせいじゃないでしょ一回殴っていい?」
「なまえの拳は受け付けてませーん。唇だったらいつでも大歓迎〜」
「セクハラお断りでーす」
「あはは照れ屋なんだから〜」


水嵩が少し減ったせいで、なおも鯉がぴちぴち跳ねてる池をチラとみて、このまま立ち去るのも可哀想かと禪院くんを砂利の上に引き上げておくことにした。


「結構楽しかったよ!また会ったら勝負しようね!名前も教えてね!」
「なまえーはやくー」
「んー、いまいくー」


結局その後の会合も、何言ってるかわかんない連中ばっかりでいつのまに動物園に来ちゃったんだろなんて思いながら喧しい犬はポイポイと池に一人ずつ投げ込んでゲラゲラ笑う悟と一緒に高専帰ったら、夜蛾先生お手製の呪骸にボカスカ殴られた。解せぬ。



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