Act1-28

※原作捏造あります





関西地方に来るのは二度目だ。関西の任務に派遣されるなんて珍しいこともあるもんだな、と思いながらなまえは見慣れぬ土地に足をつけていた。京都校の人間も今年の呪霊の多さに首が回らなくなり、東京に応援要請が来たらしい。蛆のように湧いた呪霊をバッタバッタと単純作業のように祓っていれば、なまえのスマートフォンがけたたましい音を鳴らした。



「ん?七海…?」


ディスプレイに表示される珍しい名前に嫌な予感から胸騒ぎを覚えながらなまえは慌てて通話のボタンを押す。


「なまえさんッ、今どこですか?!」
「今?大阪だよ、どうした?」


普段は落ち着き払っている七海が絶望したように「おお、さか…」と漏らしたのに思わず顔を顰める。なまえは慌てて近くにいた呪霊を傘の一振りで一気に祓ってしまう。スマホから紡がれる背景の爆発音や七海の焦る息遣いに異常事態を察して近くに呪霊の気配を感じないことを確認し、補助監督の車に乗り込むことなく昨日降り立った新幹線の駅まで全力で走った。


「クソッ…!!今任務で○○県にいるんですが」
「強い呪霊がいたんだね」
「……っはい、二級案件と聞かされてたのですが、恐らく一級案件の産土神信仰のもので、ッく、」
「一級…?!今逃げてるの?」
「灰原と、応戦しながら…ッ」
「だめ!!!!速攻逃げな!!!!クソッ、ここからじゃすぐに行けない…、五条に連絡するからなんとか持ち堪えて…!」


苦しそうな七海の声に思わず顔を顰める。通話を切って七海たちのいる場所への最寄の駅までの新幹線のチケットを購入しながら五条に電話をかける。早く出て早く出て…!!


『なまえ?珍しいな、どうしー』
「五条今何してる?!」
『はあ?任務に決まってんだろ』
「七海と灰原が死にかけてる!!すぐ飛べる?!」
『…どこだ』
「○○県!×△町の産土神信仰のものらしいの…!」
『チッここから遠いな。お前は』
「私は大阪で、今から新幹線に」
『それなら俺の方が早い、俺がいくからお前はー』
「私もいくから!」
『…わかった』


通話が切れたスマホをぎゅっと握ってやってきた新幹線に飛び乗る。一度も着信のかかってこないスマホを握る手がどうしても震える。座ってなんていられなくてずっとドアの近くで窓の外を眺めながら早く早くと心の中で叫ぶも、これ以上スピードの上がらない新幹線に無力さしか感じられなかった。



高専に問い合わせ七海と灰原が向かった任務の詳細をスマホに送ってもらうと、何度か電車を乗り継がなければ着かない目的地に思わず舌打ちをした。そこまでいくためには各駅停車の電車しかなく、埒があかない。新幹線から降りるなり目的地まで再び全力で駆け抜けた。


大きな帳の降りた場所を視認して力のぶつかり合う気配を感じながらそこまで駆けつければ、帳の外に血だらけの灰原を背負う七海の姿を確認した。



「なまえ、さん…」
「七海ッ!無事?!」
「ハイ…五条さんが…来てくれました」
「よかった……」
「……あれだけ気をつけろと言われていたのにッ……」



片足のなくなった力なく七海の背中に凭れかかる灰原の体を背負いながら、七海が悔しそうに顔を歪めて今にも泣き出しそうな表情を浮かべていることになまえは絶望した。


「七海、電話くれたのに間に合わなくてごめん、本当にごめん…」


灰原を背負ったまま崩れ落ちた七海を抱きしめて、七海の背中におぶられている生気のなくなった灰原をなまえは優しく横抱きにした。どこもかしこも傷だらけで、いつも太陽のように笑っていた顔は青ざめ、溌剌とした瞳はもうこちらを見てくれることはないのだと思うと虚しさと自分への怒りでどうにかなってしまいそうだった。



「なまえ、きたのか」



いつのまにか大きく張られていた帳は解除され、傷一つない五条がなまえと七海の前に姿を現す。
なまえは情けない顔をした自分を見られたくなくて五条に視線をやることなくこくり、とだけ頷いた。五条は眉間に皺を寄せるだけでそれ以上なまえに声をかけることなく任務の完了を待機していた補助監督に淡々と伝える。


「……なまえ、別の任務入ったから俺は行くぞ」
「…うん、忙しいのにごめんね、ありがとう」


ぽんぽん、となまえの頭を撫でてそのまま五条は現場を後にした。





___________


灰原が亡くなって数日、夏はもう過ぎ去っても良いはずなのに、繁忙期はまだ終わらない。喪に服する間も無く、みんなが毎日毎日呪霊を祓い続けている。
疲れた体を堪えて高専まで戻ってくると、四年生の山ちゃん先輩と佐藤先輩がそれぞれ違う任務で殉死したと硝子から聞かされた。擦り減った心はすぐにそれを受け入れられなくてそうなんだ、とだけ返して部屋に引きこもった。だから弱いのは嫌いなんだ。勝手に知らないところで死んでいく。強くないと生きられない。強くなり続けないと死んでしまう。強くなり続けると弱い仲間に置いていかれる。早くみんな強くなって。私を置いていかないで。誰も死なないで。
自分勝手なその我儘を誰にも発散できずに枕に顔を埋めて思いっきり叫んだ。ビリビリと枕が声を拾って震えるけど、部屋の中にまでは広がらず枕と布団の中に私の叫びは収縮されていく。
私より強い五条を、私はきっといつか置いていってしまうんだろうなと思うとようやく涙が出てきた。


そのまま疲れて寝てしまって、その日は久しぶりに熟睡できて、夜中にかかってきていた夏油からの電話に私は出ることができなかった。次の日の朝折り返しても夏油は電話に応答してくれなくて、忙しいのかなとメッセージだけ入れておいた。
だけどその返事も、折り返しの電話もあれから何日経っても終ぞかかってくることはなかった。




「なまえ」



青ざめた顔の夜蛾先生に呼び止められて、ああまたか、と思った。今度は誰?誰が死んだの。もう聞きたくない。最近見ていない顔といえば五条と夏油。この二人が死ぬことなんてまずないだろうから選択肢から消す。でもあまりの先生の狼狽ぶりにまさか、と胸が早鐘を打ち始めた。



「傑が離反した」
「……りはん?」
「任務先の集落の人間を皆殺しにした」
「………………はっ?せんせ、つかれてるの?あたまおかしくなった、?」
「なまえ、落ち着け、やめろ。壊すな」
「面白くもねー冗談言ってんじゃねーよ!!疲れてんだよこっちは!!夏油が人間殺すわけないだろッ!」
「……現場に傑の残穢が残っていた。親も手にかけている。呪詛師と認定されたんだ」



意味が、わからない。夏油が呪詛師?あんなに真面目で優しくて思いやりのある人間が?弱者非術師を守ることをあれだけ大切にしてた人間が?弱者を殺した?は?何言ってんの?

夜蛾先生は憔悴し切ったように頭を抱えていて、これが冗談ではないことを言葉にせずともわかってしまって二の句が継げない。
そして、最後に見た夏油の疲れ切った表情を思い出して思わず手に持っていた傘をぼとりと落としてしまう。なんで私、あの時声をかけなかったんだろう、任務なんてすぐにいかなくてよかったじゃん。でも、夏油とはまた今度話せばいいやって。『また今度』なんて絶対じゃないなんてわかっていたはずなのに。


私、最後に夏油と話した時何言ったっけ、急に爪先から全身が冷や水を打ったように冷たくなっていくのを感じた。




ピロン
最近、気付けばぼうっとしてしまう。軽快なスマホの通知音で意識がハッと戻った。夏油は本当に帰ってこなかった。スマホになってから入れてあるメッセージアプリにどれだけメッセージを残しても、既読にはならない。
もしかして夏油かも、と通知音に慌ててスマホを開くと硝子からだった。


《今新宿、迎えに来て》


滅多にこないメッセージの内容にまさか硝子にまで何かあったのかと慌てて高専を飛び出した。






多くの人が行き交う都会の一角、雑踏の中で私の目はその人しか見えていないくらいその黒以外何も映していなかった。
硝子を迎えに行くなんてことも忘れて私はただその黒だけを見つめていた。
相変わらず大きな背中は、いつもと違って少しだけ丸めさせて猫背になっていて、いつも前だけ見てたその顔は少し俯きがちにゆっくりと雑踏の中を一歩一歩と歩いていた。
最後に会った時に比べると、少しスッキリしたような顔つきで、だけどやっぱりどこか寂しそうな顔だった。


「夏油、まって」


思ったより声が出なくて、自分でも聞いたことがないくらいか細い声だった。それでも私の声が届いたのか緩慢に面を上げた夏油は作り笑いのような笑顔を貼り付けて「や」と楽しそうに笑っている。


「夏油…なんで?」
「硝子に聞いてない?」
「硝子?会ったの?」
「……偶々なのか。ふふ、そうか。」
「質問に答えてよ……」
「…泣いたのは君だけだな」
「……電話に、出れなくてごめん」
「いいよ、別れの挨拶をしようと思っただけだから」
「もうあのときには殺してたの」
「そうだね」
「なんで」
「………もうこれ以上仲間が傷つくのを見てられなかったんだ」
「それが!どうして!こんなことになるの!って言ってるの!!!」
「術師だけの世界を作りたいからさ。知ってるかい?術師からは呪霊が生まれないんだ」
「………は?」
「だから非術師を皆殺しにする」


『呪霊が生まれない』という言葉に引っ掛かりを覚えた。つい最近、そんな話をしなかったか。そうだ、九十九由基、九十九由基が少し前高専に来て私に言った。呪力ゼロの私からは呪霊が生まれないと。そのあと、胡散臭い彼女の誘いを断って、一緒に歩いて、任務の連絡が来て、夏油を見つけたけど話さずに九十九とそこで別れた。もしかして、もしかして、あの後、あの女が変な知識を夏油に与えた?影響されて、そんな考えに及んだの?


「九十九由基から何を聞いたの」
「驚いた。知っていたのか」
「…私も誘われたから。私から呪霊が生まれないから研究させてくれって!呪霊のない世界を作りたいってね!!」
「…私が聞いたのはその先の話さ。呪力のコントロールができている術師からは呪霊が生まれない。非術師さえいなければこの世から呪霊が消える。そうすれば仲間術師は傷つくこともない」
「なんでそうなるの…?」
「君が私に言ったんだよ。『自分のために生きて欲しい』ってね。もう非術師のために生きるのはやめたんだ。あんな猿共を守るために生きなくてもいいんだと。ありがとう、なまえ。私に新しい生き方を教えてくれて。もうずっと笑えなくて闇の中にいるみたいだった私の中に光が差したよ」
「…………わたしの、せいなの」
「違うよ、感謝してるんだ。君が気づきを与えてくれたから。……君が悟のことを愛していなければ私が君を愛したいくらいには感謝している」
「私だって猿だって言ってるじゃん!!!!!!!」
「君からは呪霊は生まれない。やっぱり君は『非術師』ではなかったね」



ぽたぽたととめどなく涙が溢れてくる。どうして私あんなこと言ったんだろう、辛そうな夏油が見てられなくて、非術師のためじゃなくて自分のために生きて欲しかっただけなのに。結局夏油は今度は術師のために生きる生き方を選んだの?なんで人のために生きるの?もうずっと笑えなかったって、五条の隣じゃ、私たちの隣じゃ笑えないの?あんなに楽しそうに笑ってたじゃん。あれは作り物の笑顔だった?無理してたの?私にはわからないよ。

ぐい、と涙を拭って夏油を見ればとても晴れやかに笑っていて、こんなに楽しそうな顔を見たの、いつぶりだろうなんて思った。


「殺し合い、しようか」
「フフ、本気の目だね。猿どもがたくさん沸いているけどいいのかな」
「関係ない。これ以上犯罪者野放しにしておくほうが人類にとって危険でしょ」
「……フッ、悟より肝が座っているな」


そう言うなり呪霊で空を飛ぼうとした夏油の呪霊を引っ掴んだ瞬間祓う。「逃げるな」自分でも思ったより低い声が出る。驚いた表情を浮かべ伏黒甚爾から奪ったのか、見覚えのある呪霊から呪具を取り出し応戦してくる夏油に腹が立った。私に呪具使うなんて意味ないのわかってるくせに!真っ先に呪具を破壊していく。同時に呪霊を放ち近くの人間を襲い掛からせる夏油に胸がズキズキと痛んだ。本気なんだ。非術師を殺したいって気持ち。手加減しない、夏油相手に全力でやるのは初めてかもしれない。夏油の相手をしながら奪った呪具を投げて呪霊を祓っていくうちに、突然暴れ出したわたしたちに悲鳴をあげて非術師たちが逃げていく。私は帳を下ろせないから怪我はするかもしれないけど、誰も殺させないから。夏油はここで必ず殺す。渾身の力を込めて殺意を込めて攻撃していく。口から血を吐き片膝ついた夏油にとどめを刺すべく頸動脈目掛けて回し蹴りをかまそうと地を蹴ろうとしたのに、足が動かなかった、迂闊だった。呪符だ、またいつかと同じミスをするなんて。



「っ、君がまだ、脳筋で助かったよ。さようなら、なまえ」


行かないで。そう呟いた言葉に返事はない。首に重い一撃を食らって意識を失う直前、血塗れの美しい微笑みを湛えてどこかへ行こうとする夏油に後悔が見えなくて、苦しんだあなたがこれで幸せになれるのなら、もしかしてこれでよかったのかもなんて思ってしまった。


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