Act1-27


二度目の満開の桜の木。自分と同じ髪の色が敷地中に咲き乱れるのは圧巻だった。初めて見た時も綺麗で好きだと思ったけど、二度目も好きだと思った。たぶん、三度目も、四度目も、何度目でもこの景色が好きだと思うんだろうな。
一級術師になってから危ない任務に放り込まれる機会が倍増した。相対する呪霊が強くなるのに比例して、自分の力も引き上げられていく気がして、どんどん五感が鋭くなっていってる感じがする。そこらの呪霊には多分負けないだろうなって驕りでも何でもなくそう思う。


「その細腕でなんでそれが持ち上がるんだよ」


呆れたように私を見る五条。高専内にあるウェイトリフティング用のバーベルを片手でアップダウンしていると同じくフィジカルトレーニング中の五条に珍獣扱いをされた。だいぶ筋肉がついてきてはいるが、まだまだ細い身体。「お前の身体まじでどーなってんの」とわきわきと体を触ってこようとする五条を裏拳で沈めた。わざわざ無下限切るなんて五条マジでドMなの?
日々トレーニングして力は強くなるのに引き締まってはきたが、それほどムキムキには変わらない体型に硝子からは最近「夜兎を解剖してみたい」とぎらついた視線を送られてくる始末。怖すぎる。


「あ、冥さんついたって。行ってくるわ」
「ふっ、がん、ばれ!」
「おー」


バーベルを下ろすことなく背を向けていく五条を見送る。今日は冥冥さんに依頼して無下限の実験を行うらしい。五条は淡々と日々何でもないことのように自身をアップデートさせ続けている。
私も置いて行かれないように目下筋トレの日々だ。私がアップデートできるのなんてフィジカル面しかないので。任務があろうとなかろうと毎日毎日筋トレに耽る私に硝子は死んだ目で「これ以上ゴリラになってどうすんの」と宣う。硝子は進級したと同時に任務への同行数が激減した。どうやら高専の医者になるらしく毎日勉強漬けで部屋が隣なのに会おうと思わなきゃ全然会わない。
五条や夏油はさすがは特級術師様、任務多すぎてマジで会わない。今日は超レアだ。日課のトレーニングのためにトレーニングルームに来たら五条が既にトレーニングしていた。冥冥さんとの約束の時間までの時間潰しだと言っていたので特に話すことなく黙々と二人でトレーニングに没頭していた。


もうすぐ私にとって二度目の繁忙期がやってくる。去年の秋から冬にかけて、そしてつい先日大きな天災があった。世の中で良くないことが起きると人々のマイナスの気持ちが大きく膨らんで呪霊が活発化しやすいらしい。今年は忙しくなると最近夜蛾先生が険しい顔をしている。
七海や灰原にも、気をつけるように言っとかないとな、と思いながら上げていたバーベルを勢いよく下ろしたら思いのほか大きな音がなった。



スポドリでも飲んでから部屋に戻ろうと自販機に足を向ければ、自販機の前のベンチに広い背中が腰掛けているのが見えた。先客がいるようだ。良く見知った背中はいつもより丸まっているように見えて、どこか寂しそうに思えた。特級術師様二人に会うなんて本当に今日は珍しいな。


「夏油?」


考え事でもしていたのか珍しく呆けた様子の夏油に声をかければ、夏油はいつものニヒルな笑みを浮かべる。



「なまえか」
「うん。なんかお疲れ?」
「そうでもないよ」
「ほんと?」


夏油と二人で話すのも久しぶりだな、と夏油の様子をジロジロ見ていればそれに気づいたのか困ったように眉を下げる。


「どうしたんだいそんなにジロジロ見て」
「ごめんごめん、なんか久しぶりだなと思って」
「たしかに。みない間に随分引き締まったな」
「えへへ、五条にも最近珍獣扱いされてる」


私の言葉に夏油の鋭くも柔らかい視線が少し瞠目したように見えた。何か変なことを言っただろうか。


「悟とはよく会うかい?」
「ぜーんぜん?今日たまたまトレーニングルームの時間被ったの。」



と言いながら夏油の座るベンチに並んで腰掛けた。驚いたような顔を一瞬した後また柔らかい表情に戻った夏油が近況を尋ねてきたので最近あったことをつらつらと語れば、夏油は話を聞きながら続きを促してくれたり、さりげなく脱線しそうな話を軌道修正してくれたりしてくれて、相変わらず話し上手だなあ、そりゃあ女の子にモテるわなあなんて考えていた。
いつも通りの夏油の話し方が心地よくてついつい長話になってしまった、思わずふふふ、と笑みが溢れる。


「何で今笑ったんだ?」
「いやあ、夏油と話すとつい長話になっちゃうな〜って。話しやすいからさ」



夏油は固まり、少し難しそうな顔を一瞬浮かべていつもの柔らかい雰囲気とは一転、パリッとした雰囲気がその場に流れた。なんだ?今日の夏油はなんだからしくない。


「なまえ」
「ん?どうしたの、そんな改まって」
「………、いや、いい」
「え?気になるよ」
「少し考え事をしてたんだが、なまえの能天気そうな顔を見てたら忘れてしまったよ」
「褒めてる?貶してる?」
「褒めてるよ。…あぁそうだ、呪霊玉があるんだけど、ここで飲んでもいいかな?」
「わ、久しぶりだ。任務別々でなかなか合わなかったもんね。何か飲み物買おうか?口直し」
「いや、いいよ。混ざって余計気分が悪くなるから」



一年程前に飲み込んだ呪霊の味を思い出して思わず口の中に大量の唾液が出てきた。食べるものがない時は腐ってるものも食べたことがあったが、日本に暮らすようになってもうすぐ二年、寮母さんの作るご飯や近くの飲食店で出てくる美食の数々で飼い慣らされた舌はもはや腐ったものなど口に入れたくはないほどグルメ舌になりつつあった。生まれた時から美味しいご飯を食べて育ってきたであろう夏油が、あれを平気な顔で今まで飲み込んでいたなんて尊敬に値する。
大きな口を開けて小さな卵くらいのそれを一飲み。ごくり、と大きく喉仏が動くのを見て何度見ても辛いなあと居た堪れない気持ちになった。



「…味、なんとかなればいいのにね」
「仕方ないさ。なんたって呪霊だからね」
「オブラートに包むとか?」
「…なまえがオブラートを知ってるとはね」
「まって!?そこまで馬鹿じゃないから!」


なまえが声を張り上げれば同調するかのように夏油は大きく口を開けて笑い始めたのでなまえはほっと安堵した。今日会ってから今まで、夏油の周りにはどこか張り詰めたような雰囲気があったがなまえの杞憂だったらしい。もしかしたら呪霊を飲み込むのが億劫だったのかも、だってあんなにまずいし。
いつも通り楽しそうに笑う夏油を見てなまえもつられて笑顔になった。そこでようやく談話室にきた当初の目的を思い出してなまえは自販機の前に立ち、小銭を入れてスポーツドリンクのボタンを押そうとして結局甘い炭酸飲料のボタンを押した。ゴトン、音を立てて落ちてきたそれを拾い上げ、カキッという音と共に張り詰めていた炭酸が少し漏れる音の後、それに口をつけた。


「……悟とは順調か?」
「んー?なにが?」
「好き同士だろう」
「五条から聞いたの?」
「いいや?みてたらわかるよ。…教えてくれなくて寂しく思うくらいにはね」
「聞いてないんだ…私は五条のことが好きだし五条も私のことが好きだけど恋人じゃないよ」


なまえが蓋を開けてしまった炭酸飲料の入ったペットボトルを両手で持ちながら特に表情を変えることなくそう言えば夏油は僅かに眉をピクつかせる。


「付き合ってないのか?」
「ないよ」
「どうして」
「んー?そんなことしてる暇ないからじゃない?『五条悟』は忙しいからねえ」
「………なまえはそれでいいのか」
「いいよ、私はこれ以上どうこうなりたいとかそもそも思ってなかったし」
「悟はこのこと知ってるのか」


なまえは夏油の言葉に思わず一瞬顔を顰めさせた。すぐに元の人好きのする笑みを浮かべたが。
夏油は五条から全て聞いていると思っていた。なぜならなまえは硝子にだいたいの事情を話してあったから。あれだけ親友だ二人で最強だなんだと言ってるのなら、自分とのことも報告しているもんだと思っていたなまえは拍子抜けしたのだ。男の友達は案外そういった話はしないのだろうか、それとも二人で顔を突き合わせて話す機会があまりないのかもしれない。


「私が五条のこと好きなこと?それとも分を弁えてるつもりなこと?」
「両方」
「…知ってるね。」
「なんで、」
「だって五条は『五条悟』だから。私みたいな宇宙人釣り合わないって思ったんだ、いつ帰っちゃうかもわかんないじゃん?そう言ったらめっちゃ怖い顔して『周りのことは五条家当主になって黙らせるし俺のこと好きって言ったならお前は元の世界には帰らせない』って言われたんだけど愛重くて怖くない?」
「………ハハッ、結局惚気か」
「そうだね、だから私も頑張らないとなんだ」


そう言って晴れやかに笑うなまえの笑顔に夏油は思わず不自然に視線を逸らした。前向きに直向きになっているなまえの顔が眩しくてぐちゃぐちゃになった己の心と真逆の顔をして笑うなまえの顔を見ていられなかった。


「…なまえは術師に問題なくなれそうだな」
「ん?どうして?」
「なまえはあまりブレないだろ」
「ブレない?」
「少なくとも私はなまえがブレたところを見たことがない」
「うーん、でも私、本当に『術師』って名乗れるのかなとは思ってる」
「それは呪力がないから?」
「そう、やっぱり未だにやいやい言われてるからね〜そりゃあ術式も呪力もないんじゃあ『非術師』だよねえって感じだし開き直ってるけど」
「なまえは『非術師』ではないよ」
「…そうかな。散々言われてるよ」
「なまえは守られる力のない弱者ではないからさ」


冷えた思考の先に醜悪な弱者の顔が蘇って先程飲み込んだ呪霊の味がまざまざと思い出される。また、ブレそうになる思考を無理やり停止させた。


「『非術師』は力のない弱者なの?」
「いつも言っているだろう?…私は弱者を守るために力を奮う、」
「………じゃあ、禪院…伏黒甚爾は?」
「………、」
「あの人は完全に『こっち』で生まれ育った人間。呪力を持たないんだから正真正銘の非術師だ。私みたいな紛い物とは違うよね。夏油は『非術師』を守ろうとしてるんじゃないでしょ。自分より『弱い』人間みんな守ろうとしてるんだ。無理だよそんなの」
「……、ー悟なら」
「…?うん?」
「ー、いや、何でもない」
「……私、夏油が弱いもののために頑張ってるの嫌いじゃないよ。偉いと思うし尊敬もしてる。だけどそんなに考えて考えて、他人のために不味い呪霊飲み込むの、辛いよ。もっと自分のために生きて欲しい」


一口しか口をつけていない炭酸飲料はなまえが両手で持つペットボトルの中でパチパチと泡が爆ぜ、手の温もりで温くなっていく。夏油は開きかけた口をしばし逡巡した後に閉口し、諦めたように笑った。


「なまえ」
「なあに?」
「ありがとう、少し気分が晴れたよ」
「ほんと?忙しいかもしれないけど五条とも話しなよ。たまには二人とも息抜きしないとしんどいよ」
「そうだね、考えておくよ」



そう言った夏油の言葉を信じてなまえはうん、と再び晴れやかに笑った。

夜蛾が想定していた通り、高専に報告される呪霊の数は日を追うごとに増していき、誰もが心をすり減らす程に任務漬けの毎日が始まった。五条と夏油はといえば、特級術師同士、任務は別々となりお互いに顔を突き合わせる機会が更に極端に減ってしまった。日常に忙殺されるうち、なまえに言われた言葉も実現することがなかった。そうこうしているうちに、なまえがこの世界に現れた夏が再びやってくる。
五条はついに無下限の常用という常人には辿り着けない極地に上り詰めていた。文字通り『最強』の名を欲しいままにしている。




___________


ゴツゴツゴツ、太いヒールのブーツが木目の床音を大袈裟に鳴らす。えらくオーラのある人間だな、となまえは靴音の出所である記憶にない人間が高専内にいるということに疑問符を浮かべた。

「君がなまえちゃん?」
「…誰?」
「そう警戒しないでおくれよ。ー君はどんな男がタイプだい?」
「ーハ?」
「ふふ、答えてくれるかな?」
「うーん、強い男かな。弱い奴に興味ない」
「成程成程。それで五条くんか。いい目の付け所だね」


なぜそれを赤の他人が知っている。目の前の女から底知れない何かを感じ肌が粟立つ。


「ー、あなた誰?」
「特級術師、九十九由基だよ」


特級術師、五条と夏油が成るまでは日本に唯一だった特級術師が彼女。思わず臨戦態勢を取って警戒してしまったなまえにきょとん、とした九十九はその後「あっはっは」と豪快に笑った。



「君とやり合うつもりはない」
「…じゃあなんで声をかけたの」
「勧誘しに来たんだ」
「……勧誘?」
「私と一緒に呪霊のいない世界を作らないか?」
「ーーーーーーハ??」



やばい、これって噂の電波女じゃない?なまえの脳内には二年ほど前に硝子から言われた言葉がぐるぐると頭の中を泳いでいた。


「どういう、こと?」
「君は呪霊がどうやって生まれるか知っているかい?」
「人間から出る負のエネルギーが変換されて形を成したもの…?」
正解イエス。人間から漏出される呪力が積み重なって呪霊という形を形成している。つまりはだ、人間から呪力を無くしてしまえば呪霊は生まれないってわけさ」
「!呪力を無くす…」
「君は天与呪縛で呪力が全くない。なのに呪霊が視えている。呪力を捨て去ることで呪いへの耐性を得た禪院甚爾と同じ特異体質。君の力を世界中の人類が共有すればこの世から呪霊は消え去る。私の研究を手伝って欲しいんだよ」


どうかな?と綺麗にウインクを飛ばす目の前の胡散臭い女になまえはゆらゆらと視線を彷徨わせた。



「九十九さん?だっけ。たぶんそれ、私じゃ無理」
「…ん?呪力がない人間はこの世界で君だけなんだよ」
「……………私人間じゃないし、この世界の人間でもないから」
「………は?」
「私を参考にしても仕方がないよ。呪霊がいない世界を作りたいなんて貴女理想主義者ロマンチストなんだね。」
「……君の存在がさらに気になるものになったが無理強いはできないね、残念、振られてしまったか」
「あとさ、今年忙しいんだから貴女も呪霊狩りちゃんとやってよ。理想語るのはご立派だけどやらなきゃダメなことやってからにしてね。みんなのクマ見て。私だって全然寝られてないんだからね」
「ワアオ。これは手厳しいね」


話は終わったとばかりになまえが歩き始めるとそれに伴って九十九もなまえの後を追うようについてくる。「五条くんは元気かい?」なんて訳知り顔でパーソナルスペースに入り込んでこようとする九十九に適当に返事をしながら歩いていると、疲れた顔をした夏油が灰原と自販機の前で話し込んでいるのが見えた。
めちゃくちゃに顔色が悪いが大丈夫なんだろうか、声をかけようと一歩踏み出す前になまえのポケットから音が鳴り響く。折り畳み式の携帯電話は最近売り出し始めたスマートフォンにとって変わった。着信を取れば任務の指示だった。今朝帰ってきたところだったのに今から行けとは本当に人使いが荒いな。夏油とは今度話せばいいか、と九十九に一度小さくお辞儀をしてなまえはその場を離れた。





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