Act1-25


※モブの強姦を仄めかす表現があります。ご注意ください。




帰りたい。ただその一言に尽きた。呪霊の活動量は一時期に比べるとマシになったが、呪霊は年中無休で存在し続ける。完全に仕事がなくなることなどないというのがこの半年でよくわかった。回数は繁忙期と呼ばれる頃に比べれば少ないけれども、まだ一年生という経験の浅い人間でさえぽんぽんと任務に送られる。任務の帯同の九割は快活な同期でコンビネーションや会話も随分慣れたもので相手の考えていることくらいはなんとなくわかるくらいまでにはなっていたし、そんな彼と向かう任務は道中のストレスなどないようなものだった。故に任務が始まる前から帰りたいなど思ったことがなかった。


「今日は七海とだね〜よろしく〜」


快活な表情は同期を彷彿とさせるものがあったがそもそも性別も学年も違う。尊敬はしてるが少し苦手な先輩が今日の任務の同行者だった。なまえさんはどうやら京都で行われた姉妹校交流会での活躍が目に止まり、一級術師に昇級したらしい。呪力がないのに俄には信じ難いが彼女の戦闘スキルは確かに一級術師のそれといって遜色ないのかもしれない。自分には未到達の次元だ。上級生の先輩二人は特級となってしまうしいやはや恐ろしい。できれば深く関わりたくないのが本音だった。


「七海と灰原ね、二級に推薦されたみたいだよ。今日その査定の一つだって」


私に査定させるってほんと人手不足にも程があるよね、と笑うなまえさんに顔が引き攣った。
適当な彼女のことだ。今日の討伐内容がどうあれ絶対に自分を昇級させるつもりだと悟った。


「…身の丈に合わない昇級となると困ります」
「ん?どういうこと?」
「普段から等級の高い任務にあたることになります。二級ということは単独も任される。適当に査定されるのは困ります」


そういえばきょとん、とした顔でこちらを見つめるなまえさんに思わず眉間の皺が濃くなった。



「ふむ、七海は意外と自己評価低めなんだね」
「…いつも貴女方先輩との力量差を思い知らされてますから」
「えー!強さを他人と比べても仕方ないよ。自分を高めるためには自分を褒めてあげないと」


あまりにもまともな回答に思わず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまった。それに気にすることなくなまえさんは尚も続ける。
 

「七海はその鉈の使い方も上手くなってきたし、呪力コントロールも上手だよね。肉体が本来発揮できる以上のパフォーマンスがいつもちゃんとできてる。術式だって使い勝手いいから重宝されてるし。最近は拡張術式?にも取り組んでるでしょ。まだまだ全然未完成みたいだけど。真面目だし、伸び代あるし、いつもしごきには文句言わずついてくる。上を目指す意思もあるからそりゃあ昇級するでしょうよ。私じゃなくてもGOサイン出すよ」


親指をぐっと立てて舌をぺろっと出してアピールしてくるがそれよりもなまえさんから発せられる言葉に驚きを隠せなかった。いつもボコボコにされて地面に沈められて「弱い」とだけ言い放つ彼女が自分をここまで評価してくれていたなんて。


「ーありがとうございます」


思わず頭を下げてそういえばまたきょとん、とした顔をしてすぐに彼女は楽しそうに笑った。


「自分だけが強くても仕方がないでしょ」


そう言う彼女は自分を『強者』と認識しているのだということがありありと伝わった。五条さんや夏油さんもそれぞれ『強者』としてご自身を認識している。彼女もまたそうなのだろう、彼らはお互いそれぞれの『強者』としての認識については思うところがあるようで、よく衝突しては高専内を巻き込んだ喧嘩を起こしているが、彼女はどちらかといえば五条さん寄りの考え方をする人だ。そういう点でも気が合うのだろうなとなんとなく思った。



「ということで、出発しようか」


そう言って待っていた補助監督の車に乗り込んで二級昇級査定の任務が始まった。





___________


「ラブホテル、ですか」
「はい。まだ高校生の年齢のあなた方をアサインするのはどうかと思っていたのですが…上はそういったことに無頓着なようで。すみません。」


申し訳なさそうな表情を浮かべているのが車内のバックミラー越しにわかった。車内に乗り込んですぐ渡された資料によると今日の任務地は都会から田舎町に向かう途中にある寂れたラブホテル跡地らしい。跡地といっても、手入れがされなくなった建物がそのまま放置され、廃墟寸前のそれは夜になると心霊スポットとして地元や少し離れたところから人が集まってくるポイントとなっているらしい。そもそもそういう施設なんかは呪霊が寄り付きやすいし、それが潰れて廃墟になって、心霊スポットとなっているのであればもはや呪霊ダンジョン化していてもおかしくない案件だというのがすぐにわかった。



「ま、二級だからね。術式持ってるやつもいないだろうし、いても私がいるから大丈夫だよ。安心して思ったように戦いな」


ドン、と自分の胸を叩きながら誇らしげにしているなまえさんの様子に少し胸を撫で下ろした。肩に力が入りすぎている。こういう時こそリラックスしなければ、力を発揮することができない。ふー、と息を吐けば全身の筋肉が弛緩していくのがわかる。思ったより緊張していたらしい。それを見たなまえさんは満足げに笑っていた。ーーふいに電子音が鳴り響き、なまえさんは顔を顰めた。資料を確認している間何回も彼女の携帯が着信を告げていて、携帯を確認する度に眉間に皺を寄せて何もなかったかのようにポケットに入れる、という作業を車内に乗り込んでから彼女は5回ほどは繰り返していた。またかかってきたようだ。



「出なくていいんですか?」
「えっ?」
「いや、ずっと鳴ってますよね」


目をまん丸に見開いてこちらを驚いたように見てくるなまえさんにこんな表情は初めて見るな、とこちらが驚かされた。とにかく彼女は感情が波立たない。ふざけたように見せながら、貼り付けた笑顔を浮かべて己の心のうちを見せない彼女の新たな一面を見た気がして、さらに踏み込んでみたくなってしまった。



「い、いい…!」


ふい、と視線を逸らした彼女を怪訝に見てみれば顔を真っ赤にさせていてさらに驚いた。鳴り止んでいた彼女の携帯電話が再び大きなバイブレーションと共に存在を主張する。慌てたように携帯を開けた彼女は思わず通話ボタンを押してしまったようで、絶望したように携帯を見つめていた。


『ーーーなまえ?』


エンジン音だけが響く静かな車内に、ドスの効いた地を這うような低い声が小さく響いた。五条さんだ。
慌てて耳に携帯電話を押し当ててこれでもかと車窓に寄り背中を丸めて会話をこちらに聞かれないようにか背中を向けた彼女にため息を一つ漏らした。何か面倒なことに巻き込まれそうな気がしてならない。


「ごめん、今から任務だから、また後で」
「いや、ほんとだって、今はむりだよ、終わってからにして」
「…………詳細?なんで」
「横に七海いるよ。これから査定なの!」
「はァ?!何わけわかんないこと言ってんの?だーかーらー、これから◯×市のえーっとなんだっけ、ラブホテル?に湧いたー」
『〜!!!!!!』
「うるっさ!何?!もうほんとうるさいから切るよ!」
『ーい待てなまえ!』

五条さんからの電話を強制的に切って鼻息荒くこちらを見やったなまえさんの様子にげんなりした。これ、確実に何かに巻き込まれていやしないか。結局また着信がかかってきてイラついたのかついに彼女は電源を落として物言わなくなったそれを無造作に車のシートに投げ出した。
暫くして己の携帯電話が短い着信を告げて嫌な予感がして開ければ新着メッセージ一件の通知。ボタンを操作して開ければ、『なまえに変な気起こしたら殺す』という殺害予告が予想通りの人物から送られてきて今すぐに帰りたくなった。誰が任務中に変な気を起こすというのか。続け様にブブ、と振動するそれを開く気にもならなくて制服のポケットに仕舞い込んだ。はぁ、と深くため息をつけば隣の彼女は「どうしたの?」ときょとんとしている。誰のせいだと思っている。不運としか言いようがない。もう彼女と一対一の任務なんかごめんだし、さらにいえばこんな場所に査定をセッティングしたどこぞの誰とも分からない上の人間を術式で致命傷くらわせたい気持ちになった。今なら拡張術式も完成するかもしれないと思えるほど呪力が満ちている気がする。




「結構湧いてるね」



車通りがままある道路沿いのそれは、看板が外されて経年劣化で色褪せたまさに廃墟だった。補助監督によって帳が降ろされ中を確認しに入れば彼女の言う通り、低級からそこそこの呪霊が割と湧いている。こんなところに肝試しで入っていくなんて本当に見えないということがいかに恐ろしいかがわかる。
特に手出しするつもりがないのかなまえさんはニコニコしながら壁に背を凭れさせてこちらを見ていた。


祓って祓って祓って、どんどん奥に進んでいくと気配が濃くなっていく。あまりいい予感がしない。ついになまえさんも傘を肩に背負い左手には小刀をいくつか携帯していた。それを確認して奥へ奥へと進んでいけば、僅かに人の話し声のようなものが聞こえて思わず顔を顰める。「うわーまじか」緊張感のある今この瞬間に場違いな能天気な声が聞こえて振り返れば、げぇ、とでも言いたげななまえさんの不機嫌そうな表情が目に入り自分が何か気づいていない大変なことでも起きているのかと警戒レベルを上昇させる。

「あー、ちがうちがう。いや、いるんだけど、準一級に近い二級くらいかな、それはいいんだけど。
うーん、声、聞こえる?」
「…はい、人の話し声が、」
「あー、七海にはそれぐらいか。うーん、はっきり言うとね、ヤってるっぽい。こんなとこでヤってるとかヤバいね。自殺志願者かな?…あ、もしかしてラブホテルってそういうとこ?あ、なるほどそれで前もー。」

うげ〜、と言いながら固まる自分を通り過ぎて迷いなく進んでいく彼女にハッとして慌ててついていけば、声の出所が近くなる。…確かに、なまえさんの言う通りだった。耳をよくよく澄ましてみれば特有の悲鳴のような甲高い声が耳を通り抜ける。最悪すぎる。
彼女が臆することなく扉を開ければ、まぐわう男女の姿。そして呪霊の術式か、仮面のようなものが大量に部屋中を埋め尽くしている。思わず冷や汗が流れた。

「ヒィッ!」
「なんだ?今俺たちがお楽しみ中だからちょっと待っててくれる?」

突然現れたこちらに驚きつつも何を勘違いしたのかニヤニヤ下卑た笑いを浮かべている男と怯えている女性。震える唇は声にならない助けを求めているように見えた。それを見て思わず顔を顰める。


「貴女、見えてるの?」
「っっっ、はぃ、た、たすけて、」
「はぁ?何言ってんだ?てか君可愛いね。この子終わったら次君どう?後ろのボクよりはうまいと思うよ?」


聞いていられなくてなりふり構わず二人を囲う呪霊を祓うべく駆け出し仮面を攻撃するも本体を叩かなければ意味がないのか無限に湧く。くそッ、どこだー
突然鉈を振り回す己の姿に驚いたのか下半身を晒した男が尻餅をついてこちらを見ているのが視界に入り、思わず舌打ちをした。男の口腔内、小さな呪霊がニタニタと嗤ってこちらを見ている。アレだ、と確信した。どう攻撃したものかと逡巡していると今まで静観していたなまえさんが動いた。

「ちょっと失礼」

男の顎に恭しく手を添えてまるで今から口付けするのではというほど顔を近づけたなまえさんに何を勘違いしたのか男は怯えの姿勢から一転、下衆のような表情を浮かべ、なまえさんを押し倒そうと動くー、あ、この人死んだな、と思った。



「ほがっ?!」
「うーん、喉の奥に逃げられると貴方ごと倒さなきゃいけなくなるなあ、はやくでておいでー」


無遠慮に指を男の口に突っ込んだなまえさんは埒があかなかったのかそのまま手の甲まで口にぶち込んでいく。顎が外れそうなほど口を開かされている男はうまく息を吸えないのか、嘔吐きながら白目を剥いている。


「つーかまえたハイ、七海よろしくう!」


もう用済みとばかりに男の腹を踏みつけて気絶させ、唾液まみれの手でぎゅうと握って捕まえた呪霊をこちらに寄越してきたなまえさんに思わずため息を漏らした。もうそこまでやったならなまえさんが祓えばいいのでは、と思ったが一向に彼女は仕留めるつもりがないらしい。こちらを見て怯える女性が可哀想だったのでさっさと祓ってやると、部屋中に溢れかえっていた仮面が一つ残らず消え去った。


「七海、思ったより動けてて驚いた。ちゃんと最後の呪霊も目視できてたし対応できたね。偉い偉い」
「…ありがとうございます」
「貴女、大丈夫?」
「はっ、はっ、こわかっ…」
「コレ、恋人かなんか?」
「いえっ!急に、車に押し込まれてここまで…」
「えっゲスじゃん…こいつ、どうする?」


思ったよりも不遇だった女性に自身の上着をかけてやるようなまえさんに脱いで渡せば、きょとんとした後に「七海の気遣い力カンストしてんな」と言いながら女性に上着をかけるため気絶したまま転がっている男をもう一度ぐい、と踏みつけてから男から離れていった。


「後のことは補助監督に任せては?この男のことは警察でもなんでも呼んでもらいましょう」
「それもそだね〜、立てる?立てないなら抱っこできるけどどうする?」
「た、たて、ます」


いまだ震える女性を連れて廃墟を後に、諸々の処理を補助監督に指示するなまえさんに手慣れたものだなと感心した。
気がついた男は縛られている自身の状況を把握できていないのか、何が起こっているのかわからないような顔をしていた。この場所には三日前に友人と肝試しにきたことがあって、中に入るなり気分が悪くなってその日はすぐに帰ったらしい。それからずっと体調の悪い日が続いており、今日家を出てからの記憶がなく、気づいたらこの場で縛られていたと話した。おそらく肝試しにやってきた『そういう気質』のある人間に例の呪霊が取り憑いてこういう事件を何度か起こしていたのかもしれない、この男性もその呪霊にされるがままとなっていたのだろう、というのが補助監督となまえさんの見解だった。とはいえ犯罪は犯罪なので男と女性を警察に引き渡し、任務は完了した。





___________


「七海お疲れ!じゃね!」

高専に着くまでそわそわしていた彼女は、補助監督の運転する車から降りた瞬間に焦ったように駆けて行った。何か急ぎの用事でもあったのだろうか。瞬きしている間にももう目視できないほどの距離まで文字通り『飛んで』行ってしまった。やはり規格外。ぴょんぴょんと屋根から屋根へ跳ねていく彼女の身体は一体どんな作りをしているのだろうか。



「七海ィ!」



呆けているうちに背後から聞こえた声にああ、忘れていたと肩を落としたと同時に彼女の行動の意味を悟った。後輩を売りやがって。だからなんでこっちを巻き込むんだ。はあ、とため息ひとつこぼして覚悟を決めて振り返れば予想通りの人物が般若のような顔をして立っていた。こんな核爆弾のような人間を後輩に押し付けて立ち去るなんて、僅かに抱いていた彼女への尊敬の念がサラサラと零れ落ちる砂のように減っていくような気がした。


「なまえは」
「……到着するなり飛んで行きました」
「チッ!!!」


彼女は呪力がないせいで残穢も残らない。潜伏されると後を追えないそうでさすがのこの先輩も逃げる彼女を捕まえるのは困難らしい。


「なまえ見つけたら俺がくるまで捕まえとけよ」


何故自分が、と言ってやりたいのを飲み込んで否定も肯定もしなければ不遜な先輩は不機嫌な様子で去っていった。なんなんだ一体。痴話喧嘩か?ますます自分を巻き込むなと言ってやりたい。やっぱりこの人たちには深く関わるものじゃないなという認識を強めて報告書でも書くか、と脱力していた脚を動かした。


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