Act1-8



しんと静かな部屋にはなまえが定期的に本を捲る音のみが響く。文字の羅列をゆっくりと追いかけていると、段落が変わったり行が変わるたびに次を見失う、一生懸命読むことに集中しすぎて内容がなかなか頭に入ってこない。
読書が苦手なのか、それとも本の内容に理解が追いつかないのかページを捲るペースは亀の歩みのように鈍い。
きちんと内容が理解できていないと判断すればもう一度全部読み直しだ、と言われた時は絶望で立ち上がれないかと思った。誤魔化そうと思っていたのも、なんとか力技で押し通そうと思っていたのも見破られていた。あれは本気でやらせるつもりの顔だったな、となまえは遠い目をしながら思い出した。
いかほど時間がたっただろうか、漸く最終頁に辿り着き、本を持つ手は解放されたと言わんばかりにその本を手放し、ぐぐっと伸びをする。



「あ〜やっとおわったあ〜〜」



苦手な座学のひとまずの修了に感動で涙さえ出そうななまえは急いで夜蛾の元に向かう。なんとか合格をもらわなければならない。ガラッと教職員のいる戸を開ければ目当ての人物は何かぬいぐるみのようなものを作っているようでせっせと針を動かしていた。



「せんせ。終わった」
「…きちんと読んだか?」
「うん。あんなに座って本読んだの生まれて初めてだよ」



凝り固まったように感じる肩を回せばぐきぐきと鈍い音が鳴る。夜蛾はその様子を見てふ、と微笑んだ。


 
「それなに?」
「これは呪骸だ」
「…呪いを宿した人形!」
「きちんと学んだと言うのは本当のようだな」
「えらい?」



褒めてと言わんばかりにニコニコとするなまえの姿に、初めはどうなることかと思ったが蓋を開けてみれば今年入学の一年の中では最も素直で単純で悪く言えば馬鹿。体術になった途端色んなところを破壊し始めること以外はまともな生徒だった。
思わず小型犬のふりふりするしっぽが見えてしまうくらいには目の前の少女に絆されていた。偉いぞ、といえばわかりやすく破顔する。
なまえ同席のもと家入にちらと聞かされたなまえの過去をして、幼い頃から愛情とは無縁の生活を送ってきただろうに、ここまで素直に生きていると言うのは俄かに信じ難い。さらには漸くできた仲間とも言える者たちからも不慮の事故で分断されてしまった。なんとか元の場所へ戻すことはできやしないかとできるだけ秘密裏に探っている。が、何の手がかりもないためおそらくそれは絶望的だろう。なにせ前例もなければ世界を渡ってきたなど信じ難い事象だ。
しかし彼女の容姿や体質、話しぶり、そして呪力がないにも関わらずあの五条悟と渡り合う実力ーー彼女の話を鵜呑みにするしかないほど説得力のある力を持った女だった。せめて、自分だけでも彼女の理解者たらねばならないと夜蛾は考えていた。



「そろそろ呪具を使った稽古に移ろう。お前はもう何もしなくても体術だけなら4人の中で1番だろう」
「術式使われちゃったら手も足も出ないけどね」
「それに対応するためにも合う呪具を選ばなければな。何か獲物の希望はあるか?」
「うーん、番傘使って闘ってたけど、そんなのないよね?棍棒でも、ヌンチャクでも、刀でも、銃でも…たぶん何でも扱えるし特にこだわりはないかな。小物は持ってて損はないし色々使いたい」
「番傘?」
「いちおう日除け兼武器だったの。石突きのところから発砲できる仕組みになっててね、夜兎はみんな持ってるの」



なるほど番傘か、夜蛾は呪具庫の中身を思い出し、心当たりはなかったかと逡巡する。



「唐傘があったか。1級呪具だし、丁度いいだろう。」


ついてこい、夜蛾はそう言って立ち上がる。はあいと間延びした返事をするなまえは夜蛾の後を追った。




重々しい扉を開けば、所狭しに並べられた呪具、呪具、呪具。それぞれが放つ悍ましい気配にこれはすごいなとなまえは戦慄した。先日相敵し、敗北を喫した呪霊から感じた気配、なまえはそれと似たようなものを呪具から感じた。


「これだ」



ガタイの良い夜蛾でさえも両腕でなければ持ち上げられないのか、手渡されたのは多くの骨組みで構成された紫紺の傘だった。その色は図らずもなまえが以前使用していたものにそっくりでずっしりとした重みも懐かしいなと思えるほどには手に馴染むものであった。



「この傘は術式が付与されている。一定数の呪力を吸収するそうだ。万能ではないがな。階級についてはきちんと把握しているな?」
「うっ、うん、下から四級、で1番上が特級だよね。私は四級……」


五条や夏油はすでに一級。私が四級なんてぜーったいおかしい!と憤慨した時はケラケラ笑う五条には「呪力ねーからな大した実績もねーし妥当だろ」なんて馬鹿にされるし苦笑いした夏油にも上から目線で「なまえならすぐ三級くらいには昇級できるよ」なんてフォローされた。むかつく!


「そうだ。一級までの呪霊であれば互角にやりあえる逸品なのには違いないが、持ち運ぶにも重いし使い勝手が悪く使い手がおらん。その点お前には丁度いいだろう。好きに使うといい」
「また番傘使えるなんてうれしい」
「……くれぐれも校舎は壊すんじゃないぞ」
「あはは。それより早く慣れて任務行きたい。誰か慣らしに付き合ってくれるかな」
「あぁ、悟はさっきうろついてるのを見たが」
「五条なら手慣らしに丁度いいね!探してくる〜」



ありがとせんせ〜!と言いながら走っていくなまえを見送る。今までも、きっとこれからも五条悟を“手慣らしに丁度いい”などと評価するものはきっとあいつだけだろうなと夜蛾は独言た。







やっと手に入れた武器にうきうきして、ぴょんぴょこ跳ねるのが辞められない。まさか前みたいに番傘で闘えるなんて!最高!とばかりに早く使ってみたくて、夜蛾先生の言う通り、五条を探してみることにした。教室にはいない、寮にもいない、グラウンドにもいない。日除けにともらったばかりの傘を広げながらクルクル回してうーん、と考えていると目当ての気配が近づいてくるのを感じ、振り返る。


「!」


私が振り返るとは思っていなかったのか五条はサングラスの向こうの元から大きな目をまんまるに見開いて、近づいてきた足をピタリと止めその場で硬直した。なんで微妙な距離感で固まってるの?とは思わないでもなかったが、先日制服を披露したときに揶揄ってしまったことを思い出してあれのせいかなあ、なんて思いつつも私には、今、やらなければ、ならない、ことがあるッ!ので傘を持ってない方の手でぶんぶんと大きく振り声をかける。


「ごーじょー!」


声をかければ「おー。」なんて言いながら固まった足は再びこちらに向かって歩き出す。
なんでもないように近づいてくるのでこの前のことはもう気にしていないようだ。長い足は離れてた距離をいとも簡単にゼロにしてしまう。
あまりにも急に目の前まで来るので傘の手元をくいと持ち上げ露先が上がり視界が広くなる。傘のせいで下半身しか視界に入っていなかったが、ようやく顔まで見渡せた。相変わらず大きな男だな。
じぃ、と私の持つ傘を見つめ、五条は口を開く。



「何、それ」
「んふふ、夜蛾先生にもらった〜手慣らししたいから付き合ってくれない?探してたの」
「夕方出るからそれまでならな」
「十分!対呪霊でどれだけやれるか確認したいから無下限使ってよ」
「…俺のこと小手調に使うやつ多分お前くらいだよ」



贅沢なやつだなと真面目な顔していう五条に思わず吹き出す。え、それ、自分で言う…?どんだけ自信満々なの。本当に最強気取りじゃん。いつか無下限張ったこいつをぶん殴って泡吹かせてやることが私の目標だけど、叶う日は来るのかな。



「今日もマイリマシタって言わせるからね!」
「おい待て、一回も言ったことねーわ」



ポケットに手を突っ込んだままゲラゲラ笑ってる五条に調子こいてられるのも今だけだよと闘志を纏う。
ヘラヘラしてた顔はそのままだったけどポケットからは自然と手は出て構えの姿勢に。五条を纏う空気感がパリッとひりついて、あぁ術式纏ってるんだなってすぐわかる。「いつでもどーぞ」余裕綽々に言った一言が開始の合図となった。


ぐっと爪先に力を入れまずは一撃、と少し離れた位置から閉じた傘をぶん回す、いつもなら無限に阻まれて弾かれるはずの間合いに入ったが傘から異様なエネルギーの流れを感じて違和感を覚えるも動きは止めない。五条も異質な傘の力に驚いているようだった。あれ、もしかして一撃入るんじゃない?なんて油断したのに気づかれたか五条は指で何かの印を組んだと思えば纏うオーラが変質して空間が引っ張られる。その先で僅かに動いた五条の体の動きから右ストレートが入る!と予測し傘を放って手を側転の要領で地面につかせ、遠心力も利用して振り下ろした右足で五条の右腕を蹴り下ろす。もちろん攻撃は阻まれたので無下限の上に着地した瞬間に上空に跳ねる。そのまま飛んで行った番傘を掴み地面に叩きつけ、地面の砂や石を跳ね上げた。それに乗じて思いっきり傘を振り回したことで、跳ね上がっている砂塵をその風圧に巻き込み五条にぶつけるが全て届く前にぴたりと止まってしまった。さらさらと落ちていくそれを見つめてたらりと汗が頬を伝う。



「やばいなー無下限。チートじゃん」
「おい、その傘なんだ」
「エ?えーっと、呪力を吸うらしい!よ!!」



再び五条につっこんでいくと五条はやはり違和感のある傘を警戒しているらしい。とりあえずゴリ押しで行くかと殴っては無限に阻まれそのまま飛び、殴っては飛びを繰り返す。
うーん、なんかいつもと無下限の間合いが違う?思ったより通ってる気がするんだよな。これが呪力を吸ってるってこと?ま、結局届かないんだけど。
全力でやっても死ぬどころか傷一つつかない五条の姿に楽しくなってきて攻撃の手数もどんどん増やしていく。
もう少しで破れそうなんだ!これだけの術式なんだからきっと普段から術式使用にかかる情報処理量は多いはず。あほみたいにいろんな種類の攻撃をぶつければ、オートで情報処理できていなければ脳が先に悲鳴をあげるはず!ついでに呪具庫で試しにと借りて仕込んでおいた小刀や銃なんかで攻撃を挟んでいけば五条も楽しげに笑っていた。



「やっぱオマエいーよ!センスしかねぇ!」
「私も楽しい!!!」









チュドーン、バゴーン、あははサイコー!、ガガガガガガ!、バギィ!さまざまな爆発音や破壊音が響き渡るグラウンドはもはや壊滅状態だった。

補助監督の運転する車から降り、轟音の発生源の近くに到着した夏油は煙草をふかしながらグラウンドを見つめる家入に近づく。夏油の存在に気づいた家入は器用に煙草を咥えたまま夏油に声をかけた。


「今日もやってるよ」
「わ、ついになまえも呪具かい?」


いつもより凄まじいねと夏油が笑うと、番傘を五条にひっつかまれたなまえがそのまま蹴り上げられるところだった。容赦ないなあと思いながらなまえを見れば空中でひらりと体制を翻し喜色を顔に浮かべながら恐ろしいスピードでフェイントをかけながら五条に再びつっこんでいく。



「おーい、そろそろ止めろよなあれ」
「うーん、そうしたいところは山々だけど、せっかく調伏した呪霊が瞬殺されそうだ。なまえを飲み込んで止めてもあの呪具で腹を破られそう。そもそも今日は使用許可もらってないしね」
「あれが四級ってマジで言ってる?五条とあんだけやりあえてて?グラウンドだけ世紀末なんだけど」
「上層部の決定だから仕方ないよ。あ、なまえの目がイっちゃってるね」
「……」



ハァ、と家入がため息をついた瞬間遠方から飛んでやってきた夜蛾の激昂がグラウンドに響いて何度目かわからない世界大戦に一応の終止符が打たれた。
ブチギレた夜蛾により五条は拳骨、なまえは頭をグラウンドに埋め込まれている。
ははは、と夏油が笑っていればそれに気づいた五条が「傑もまざるー?」と声をあげたのでさらに拳骨を打ち込まれていた。
夏油は仕方がないなとばかりに「はやくなまえを地面から抜いてあげなよ」と言いながら馬鹿二人を迎えにいくことにした。

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