Act1-6


ミーンミーンミーン、蝉が忙しなく鳴いている。今年の夏は記録的な猛暑らしい、蝉の鳴き声がその暑さをさらに加速させている気がした。



「ーして、呪いは生まれるわけである」
「あづい…せんせ、溶ける……しぬ…」
「おい!お前のために補修しているんだぞ!しっかり聞いておけ!」


机と机を付き合わせて難しい文字がいっぱい並んだ本を解説しながら読み上げる男の声をなまえは右から左へ受け流していた。

目の前には暑苦しい真っ黒の服着たごっつい夜蛾さん…いや先生と慣れない勉強机。自慢ではないが生まれてこの方学校に通った経験もなければ勉強なんてしたことない。
もはや勉強の仕方がわからない。勉強って必要?呪霊ぶっ殺すのにほんとにそれ必要???



「必要に決まっている。呪いの等級や生まれた場所、背景なんかでどういった呪霊が発生しているのかを予測することもできるし、対処法を事前に練った上で取り組むこともできる。ー誤って等級違いの高度な任務についてしまった場合、知識があるのとないのとでは大きな差が出ることにもなるだろう。」
「ふうん、そんなこともあるの…」
「学生のうちはそんなことはないだろうが、卒業したあとはより任務に放り込まれることになるからな」



だから今のうちにしっかり勉強しておくんだ。目を逸らさずじいっとなまえを見つめる双眸は呪力のない己の行く末を心配しているようにも見えた。




「術師の多くは生まれながらに生得術式が刻まれていて、使用できる術式が決まっている」
「しょーとくじゅつしき」
「…ここだ。」


夜蛾は目を回しかけているなまえを見て書物に記載のある『生得術式』を指し示す。


「負のエネルギーである呪力を順転させて術式は発露する。」
「……じゅりょくをじゅんてん」
「体の中のエネルギーを持って生まれた術式に流すことで術式を行使するんだ。」
「はぁ。みんな難しいことをやってるんだね」
「悟の無下限術式や傑の呪霊操術なんかがそうだ。」
「無下限ってあの攻撃が届かないやつだね。夏油のは見たことないや」



要するに、わたしには術式が使えないってことだね!と言うと夜蛾はそうだ、と頷く。



「お前の場合、呪詛師などの人間を相手する場合はその体術があればそう簡単にやられないだろう。だが相手は呪力を用いた術式でお前を攻撃してくるし呪霊は呪力をもって相敵しなければ祓えない」
「私はなんで呪力がないのに呪霊見えてるし声が聞こえてるの?
一般人にも多少なりともあるもんなんだよね?それでも彼らは見えないんでしょ?
それによく私に向かって言う天与呪縛もよくわかってない。」
「…天与呪縛にもいろいろあってな。お前の似てるものはフィジカルギフテッドといって本来持って生まれてくるはずだった呪力が極端に少ない代わりに五感や肉体が非常に優れているような人間も僅かだが存在する。彼らは特別な呪具を用いて呪霊を認識するそうだ。ただ、呪力がゼロのやつはみたことがない。呪力がゼロということで天与呪縛の力が引き上げられ呪霊を認識できる者もいるのかもしれないが俺は知らん。お前はその夜兎とやらの血が流れる強い肉体、優れた五感で殺気を感じ取るように呪霊を知覚しているのかもしれない」
「はぁーなるほどお。」



力が強くて身体は丈夫でも、呪力や呪霊、術式などのことがわからなければ負ける戦いもあり得るということがよくわかる説明をその後も懇々と聞かされた。
そもそもなぜ先生とマンツーマンで勉強しているのか。それは先日の中華料理屋からの帰宅後、寮を案内しようとなまえを待機していた家入との何気ない会話が原因だった。ちなみに寮の前で男どもとは解散した。帰宅中は夏油とたくさん話した。あいつはいい男だ。怪しい女を奇特な目で見ることもなく、これからよろしく。慣れるまで大変だろうから困ったことがあったら声をかけるんだよ、と微笑みながら気遣う姿勢を見せてくれた。どっかの白髪アオリイカやピンク頭の孫悟空とは雲泥の差である。…そういや最強最強言ってるあの2人ってちょっと似てるな?
夏油も強いのだろうか。地球人の割に鍛え抜かれた身体だったし、もしかしたらそこそこやれるのかもしれない。今度手合わせ願おう。



寮についてすぐ、今更だけどちゃんと自己紹介するね、硝子って呼んでよと名前を名乗ってきた家入。さっぱりした性格のようでなまえは彼女に好感が持てた。春雨にいた頃は周りは屈強な男ばっかりで女の子と触れ合う機会も少なかった。生まれて初めて友達なるものができるかもしれない。



「ここが食堂だよ」
「おおっここが無料バイキング…」
「ご飯を頼む時は事前にここに書いておくんだよ。じゃないと作ってもらえないからね」
「はあい」
「寮母さんがいない時は、ラップに名前書いて置いておいてくれるから自分の分とって食べてね」
「それは…気を…つけるね……」



五条や夏油の分を食べない自信はなかった。硝子はいい子だし怪我治してくれるし、食べないように気をつけよう。硝子の食糧には手をつけないことを心の中で誓った。



「それよりなまえってさ、何歳なの?年齢不詳すぎるよね」



そう投げかけられた問いに、なまえはそういえば今は何歳なのだろう?うんうんと唸り始めた。



「自分の年齢わからなくなるってやばいぞ」
「うーん、待ってね。えっと、団長に拾われたのが10歳くらいだったのかな?だからーえっとー今は15歳か16歳くらいだと思う」
「拾われた?」
「ああ、うん。親に捨てられてたからねえ。1人で傭兵もどきのことしてたの」



なんだ、年齢もきちんと同級生だったのかと思っていれば、ニコニコ笑いながら何の気なしになまえの口から出た言葉にピシリと家入は固まった。



「ごめん。そんなこと聞くつもりじゃなかった」
「え?あぁ、いやいや。私の故郷ではよくある話だから大丈夫だよ。」
「…そうなの?」
「うん。夜兎ってみんな血の気が多いからさ、親殺したり子供殺したりって昔から結構あったみたいなんだー、私はまだ捨てられてただけましってことだよ」
「そんなの、許せることじゃない」
「うーん、そうだねえ。硝子たちにとっての普通って、所詮は地球人目線だから。
ほらさ、動物だって親が産むだけ産んで後は弱肉強食でなんとか生き残ってくやつだっているでしょ?それとおんなじだよ。見た目が地球人ぽいし、意思疎通も図れるから、硝子は気にしてくれたんだね。」



本当に気にしなくていいんだよ、というなまえ、家入は地雷を踏んでしまったとバツが悪くなって申し訳なさそうな表情を浮かべる。
しかしなまえはあまりにあっけらかんとしていて、へらへらと笑っていた。『地球人にとっての普通は所詮地球人目線』という言葉に、本当に目の前の女の子は同じ人種ではなくて、そもそも動物として違う生き物、考え方を持っているんだなと漠然と感じた。はじめはただの厨二病患った電波少女かと思ったが。
なまえはいまだ難しい顔をしている家入を見て、困ったように笑うとうーんそうだなあと悩み、一つの考えに至った。「夜兎のこと、何も知らないんだから不思議に思うよね!ごめんごめん」そう言って、今まで出会った仲間のことを語り始めた。中でも彼女が饒舌に話すのが『団長』という人物のことで、彼女にとって特別な存在なのだろうなと言うことが家入には見てとれた。




「私を拾ってくれた団長は私とおんなじ夜兎で家出する前はお父さんの腕ぶっ飛ばしたって言ってたし、久しぶりに再会した妹には本気で殺すのかと思うくらいボコボコにしてたよ。ただの喧嘩が命がけになっちゃうの。
本気で怒らせたらもーほんと殺されるかと思ったこともあったけどいっぱい修行つきあってくれたし、ご飯も食べさせてくれたし。春雨にはそういう、はみ出しものみたいなのが集まってて…それが家族みたいなもんなの。だからほんとに気にしなくていーよ」
「……そっか。確かに、自分の尺度に当て嵌めて判断するのはよくなかった。」
「あは。硝子ってすごいね。すぐ受け入れるじゃん」
「それはなまえもでしょ。普通こんな状況すぐ受け入れられないって」
「えー、でもいままでもエイリアンぶっ殺したりしてたしそれが呪霊?になっただけであんま変わんなくない?…たしかに、もうみんなに会えないのは寂しいけどね」



哀しそうに眉を下げて笑う、意識を取り戻してから今を受け入れるまで、ずっとヘラヘラしていたなまえが初めて見せる表情だった。
イカれたやつだと思っていたがこれから同級生になる唯一の同性同士、それになんだか面白そうな奴だし仲良くできればいいと思っていた家入だが、人並に感傷に浸るような一面も持ち合わせていたのかと驚きと同時に安堵感も広がった。



「ずっとヘラヘラしてたから何も考えてない能天気なやつかと思ってたけど、色々考えてたんだな」



そうだよ、馬鹿だけど、色々考えてるんだよと自慢げにいうなまえに、家入は口を大きく開けて笑った。
出会ってまだ数時間、交わした言葉も少ないが、なまえも家入も互いをよき友人になれそうだと認識した。




「そういや、高専ってなにするとこ?修行?」
「体術とか術式の訓練はもちろんあるけど座学もあるよ」
「ざがく?」
「お勉強だよお勉強」
「おべんきょー?おいしそうだね」
「それはお弁当だろ」




先ほどまでの気まずい空気はどこへやら、和気藹々と寮の中を案内されながら歩いていると、いつの間にか家入の部屋の前まで来ていたらしい、手慣れたようにドアノブを開け、部屋に入っていった。ドアは開けられたままでスッキリした部屋の中がよく見える。なまえの部屋は私の隣だよ、と左側を指さす。
家入はクローゼットを漁ると何着かのシャツとジーンズやスカート、下着などをまとめて紙袋に入れて突き出してきた。


「呪霊にやられたときに服ダメにしてたから。制服できるまではこれ着てな。下着はまだ着てないやつだし買いに行ったらもう捨ててくれてもいーよ。今度買い物行こ」
「ありがとう…」




なまえからの返事に満足したのかニコニコとする家入。
並んだ本棚には何やら難しそうな本がたくさん並んでいる。家入はその中からひょいひょいとかき集めてなまえの腕に本を積み上げていく。



「エット、これは?」
「教科書。私はもう必要ないからあげるよ」
「キョウカショ?」
「え?うそだろもしかして学校も行ったことない?」
「ないね」
「…………」




硝子の目が死んでしまった。申し訳ない。
そうこうして、硝子が夜蛾に事情を説明するとあれよあれよと言う間に夜蛾先生とのマンツーマン授業が開幕した。他のみんなは夏休みとやらで授業はないらしく、任務が入ったり、自主練したり、遊びに行ったりしてる。硝子には一度、買い物に付き合ってもらった。お金は借りた。任務に行けるようになったらお金がもらえるみたいだから、返すねと言ったら最初は大したことない報酬だからとっときなよっと笑われた。まじか。
ちなみに一緒にご飯食べて帰ったらもう二度となまえとメシは食わないって言われた。ひどくない?????
教室の窓から見えるグラウンドには、白髪と見たことのない和装の女性の姿。あの服、地球でよく見たなー、いつもセットの夏油は見当たらない。任務だろうか。女性は一方的に蹂躙されているように見えなくもないし白髪の男はゲラゲラと楽しそうに笑っている。私も体動かしたいなァ。
グラウンドをずっと見ていると先生にハリセンで叩かれた。ハリセンは一回でひしゃげてた。ごめんね。




先生からは、さっさとやるぞと言わんばかりのやる気を感じる。つらい。
とりあえず硝子にもらった本を読むことにきめた。寝るかもしれないけど、とりあえずはがんばろう、そう思った瞬間ガラガラ、と教室の扉が開いた。



「なまえいる?」



大きな紙袋を携えた夏油が扉の前に立っていた。



「今おべんきょーしてるの」
「偉いね」
「傑、どうした?」
「あぁ、任務から帰ってきて報告書を提出したらついでにこれをなまえに届けてくれないかって。制服ですよ」
「!」



ちら、と夜蛾を見るとなまえの視線に気づき仕方がないなとばかりにため息をついて手にしていた本を机の上に置いた。



「やったー!着てみていい?」
「いいぞ…ってここで脱ぐ馬鹿がいるか!」



今日はもう終わりにするから寮に帰ってから着替えなさいと言って夜蛾は机の上を片付け始めた。



prev next