Act1-5


ガコン、ガコン!
強烈な拳骨が白髪とピンク頭に容赦なく振り下ろされた。たんこぶができたのは片方だけだったが。


「だいじょーぶ?…ゴクン…ごめんね。私石頭だから」



ものを食ったまま話すんじゃない。夜蛾は静かに注意した。グラウンドクレーター事件が終了し、渦中の二人に拳骨をくれてやるも、なまえの頭は岩なのかと思うほど硬かった。ノーダメージである。むしろこっちが重症寸前。
右手を包帯で巻いた夜蛾はあまりの痛さに涙が出るかと思った。鉄拳制裁も効かないとは、また問題児が増えたことに胃痛待ったなしである。
お腹がすいたとまるで子供のようにごねるなまえをつれ、中華料理店にやってきた。なぜか悟に傑までついてきたが。硝子は腹減ってねーしパスとのことだった。なまえは念のためにと渡された日傘をさしながら店に着くまでまるでゾンビのようにふらふらと歩いていたが、メニューを見るなり全品くまなく注文した。何言ってんだこいつ、最強コンビはそう顔で語っていた。かくいう夜蛾もそう思った。おまえ、その細い体にそんなもん入るわけないだろう、と。思った自分を殴りたい。注文通りやってきたそれらはまるで水のように吸い込まれていく。ラーメン、炒飯、餃子。ラーメン、炒飯、餃子。エンドレスである。もうすでに一人で10人前は食っている。寮にある食堂に行かなくてよかった。食糧は食い尽くされ、寮母が瀕死するところであった。


「オェッ…見てるだけで吐きそうだわ」
「なまえの胃は四次元ポケットなのかな?」
「やふぉはねぇごふぁんだいふひふぁんだよお」
「ものを食ったまま話すんじゃない」


はあいと言いながらラーメンをかき込む。おい、ひと掬いで一人前がなくなったぞ。おかわりー!と元気よく注文するなまえにおそらく過去最高値のレシートを叩きつけられるのだろうと恐怖した。



「ごちそーさまでした!!地球のご飯おいしーサイコー!!」


膨れたお腹をぽんっと叩いて上機嫌ななまえは財布が薄くなった夜蛾に向き直る。



「怪我治してもらったし、ご飯もお腹いっぱい食べさせてくれたし、ありがとう。
で、更に迷惑かけそうで申し訳ないんだけど帰るとこないみたいだからさ、これからよろしくお願いします」


先程までの元気な表情はどこへやら、しゅんと落ち込んだ表情を浮かべるなまえ。食事中になまえがいた世界のこと、そしてこちら側のこと、情報の擦り合わせをしたところやはり彼女の話はまるで小説や映画のSFのようなもので、もし本気で言っているのであれば正気を疑われるような話だった。
それはどうやらこちらの話を理解したなまえも同じだったようで一瞬暗い表情を浮かべたが、すぐにへら、と笑った。


ひとまず夜蛾は今後のことをなまえに言い聞かせる。
ひとつ、元の世界に帰る手段を探すのは原因となった呪霊が消滅している以上、難しいことが予想されること。
ひとつ、こちらに戸籍が無い以上、呪霊に襲われた記憶喪失の行方不明者として上に報告し、力がある以上は高専に入学して任務を受けていくことになるはずだということ。
ひとつ、己の身の上は夜蛾正道、五条悟、夏油傑、家入硝子の4名のみにしか話してはならないこと。
である。夜兎特有の怪力は彼女の呪力がゼロであることから天与呪縛、フィジカルギフテッドとして振る舞うこととなった。日光への耐性の弱さは体質として処理される。
ふむふむと口を挟むことなく聞き入れるなまえは黙っていればただの美少女だった。肌が露出するところは包帯で肌を隠す厨二病のような風体でなければ、道ゆく人間から声をかけられるであろう美貌の持ち主に違いがなかった。



「いろいろ手を回してくれたのかな?こんな不審者に優しくしてくれるってすっごい懐深いよね」
「呪術師は万年人手不足だから使える人間なら使う。だが、保守的な人間もいる。お前のような存在はいつ殺されてもおかしくない」
「ふーん、人間相手じゃ私殺すの無理じゃ無い?」
「ハァ、ほんと脳筋だなオマエ。オマエみたいに肉弾戦特化型なやつばっかじゃねーんだよ。呪力のないお前には知覚できないような方法で殺しに来ることだってできるかもしれない、少しは気をつけろつってんだよ」
「殺気さえあれば絶対わかるよ。ーまぁ、私もすることないし、頭使うの苦手だからあれやれこれやれって言ってくれる方が楽だし従うよ。」



五条は明るく笑うなまえを不遜げに見つめていた。
言ってることは怪しすぎるのに、何故か本当なんだろうなと信じてしまう自分がいる。明らかに周りから異質な存在として認知されるこいつを自分と似てると思ってしまった。
逆に自分のことを特別だとして認識してこない彼女の態度に絆されてしまったのかもしれない。この世に生まれ落ちた瞬間からいつも周りにちやほやされ、畏怖され続けてきた自分は『普通』なんて言われたことがなかったた。だからだ、わざわざ面倒な上層部への手回しなんかをやってしまったんだろう。
どうしてこの女は急に変わってしまった自分を取り巻く環境にこうもすぐに順応しようとしているのだろうか。普通は、もっと怯えたり不安になったりするのでは無いだろうか。ただ馬鹿なだけなのか?



「でも私強いからさ!呪霊もぶっ飛ばせるようになるね!」
「オマエゴリラだから呪具でももちゃー呪霊狩れるだろ」
「えっそうなの!」
「術式ないやつなんてみーんな雑魚だけどな!」
「え?それ私のこと言ってる?また半殺しにしてやろうか?」
「オメーなんて術式使えば攻撃の届かないただのサンドバッグだよ」


また喧嘩を始めそうな雰囲気だったので夜蛾はとりあえず五条に左腕で拳骨をキメた。



「ってェ!!!なんで俺だけだよ!」
「こいつの頭を殴ったら左腕まで粉砕するからだ馬鹿」


殴られる五条を見てなまえはぷぷぷと悪い顔をして笑っていた。



「オッマエあとで覚えてろよ!」



ギャースカギャースカ。傍観を決め込んでいた夏油は二人とも黙っていれば眉目秀麗なのに仕方がないなとため息を漏らす。
五条に向かってかかってこいよと言いたげに右手の甲を向け、クイクイと揺らす女の身体は包帯で隠されているにも関わらず細くて艶かしい色気が漂っているし、その包帯の下には透けてしまいそうなくらい白い肌があったことを知っている。日傘に隠された彼女の顔は、高専のグラウンドをクレーターまみれにしたとは思えない虫も殺せなさそうな美少女である。目の前で煽りバトルを繰り広げる友人のキラキラした蒼い眼、六眼特有のものか似た目を持つ人間を夏油は見たことがなかったが、なまえの形良い瞼の中に在るその瞳は五条に比べると彩度が落ちるものの、キラキラと煌めく蒼い蒼いものだった。日本人でないことは明確である。それよりいつこの二人は喧嘩をやめるのか。夜蛾は隣で頭を抱えている。



「ま、でもあなたが強いことは認めるよ。五条悟」
「たりめーだろ最強なんだよこっちは」
「私が倒せなかった呪霊瞬殺だったんでしょ?それにさっき私本気だったのに死ななかったし。強い男って私好きだよ」
「あんなザコ負けるわけねーーーーーーは?」



ニコリ、紅い唇が綺麗な弧を描く。破顔した表情の背景にはぶわりと花が咲いた、五条には幻覚が見えた。
なんだ、笑うと可愛ーーーーちがう!こいつはゴリラだ!見間違えるんじゃない!ーーー五条は初めて己の六眼を疑った。



「いつか私がトドメさしてあげるからね



さ、帰ろーとあっさりと踵を返し高専に向けて歩みを進めるなまえ。はくはくと金魚のように口を動かすだけの木偶になってしまった友人を見て、夏油は面白いことになってきたなと珍しく声を出して笑った。彼らが高専一年目の夏の出来事である。





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