これぞ正に破れ鍋に綴じ蓋


※五も夢主も倫理観欠如してます



晴天の中に映えるような真っ白のドレスを着た美しい友人は今まで見たことがないほど幸せそうな笑顔を浮かべて微笑んでいる。そんな彼女を後ろから支えるように腰に手をやり慈しむような表情を浮かべる男性。誰がどう見ても幸せの象徴の絵画のような理想の世界が眼前に広がっている。日々悍ましい呪いを祓いながら生きている自分には目を開けていられないほど眩しい光景だった。


独身女性に向けて手向けられる新婦からのブーケトスは最近は嫌がられる風潮にあるらしいが、彼女の友人たちは存外それに積極的で、新婦の周りには人だかりができ、「こっちに投げてねー」なんて声も聞こえてくる。今日のおかげで久しぶりに再会した共通の知人に連れられるがままその余興に参加させられ苦笑いを浮かべると背を向けた友人が投げたブーケは放物線を描いて己に向かって速度を落とし落下し始める。「あ。」と思わず漏れた声と共に落としてはならないという意識のみが働き手を伸ばした。まるで吸引力の変わらないだかなんだかを銘打っている掃除機でも手先についているのかという勢いで吸い込まれてきたそれをキャッチしてしまった。


「なまえ!こっち!」


満面の笑みで幸せの象徴を持つ私に手招きしてくる彼女に従って女性陣の人混みをかき分けていけばニコニコ微笑むカメラマンに促されるまま美しく着飾った友人と対照的な黒に身を包んだ私はカメラに向かって微笑んだ。
もうずっと長いこと、黒を身につけ続けた私には、着飾る時だって何色が似合うのか自分では判断できないところまで来ていた。


「忙しいのにきてくれてありがとう。次はなまえの番だね」


あのかっこいい彼とまだ続いてるよね?もうそろそろ結婚じゃない?、幼稚園から中学校まで一緒で非術師な彼女は悪気なくそう宣った。周りは術師ばかりの私が唯一呪術のことなんてなーんにも知らないのに今まで連絡を取り合っていた彼女。私の事情なんて何も知らない彼女は少しも悪くないのに思わず顔が引き攣ってしまった。


「おめでとう。幸せになってね」



彼女からの一言に返事をすることなくお祝いの言葉を送れば特に気にした様子なく彼女はありがとうと微笑んだ。終始幸せそうなその会は時折涙を浮かべる人々から祝福されるがままお開きとなった。
カツカツ、普段履くことのないピンヒールを鳴らしながら披露宴で配布された大きな紙袋とブーケを持って帰路に着く私の心の中には虚無感しかない。
結婚願望なんてないと思っていたのに、幸せそうに笑う彼女を見て私にもこんな普通の女性としての生活を送る未来もありえたのだろうかだなんて想像してしまえば、今の自分が置かれている状況を全てゴミ箱にでもぶん投げてしまいたい衝動に駆られた。



「……そろそろ潮時か」



彼女の言う『あのかっこいい彼』とはもうかれこれ十年程度の付き合いとなるが、彼女の言うような『結婚』なんてものとは程遠い関係だった。
お互い忙しい身の上同士デートなんてものをしたのはもう多分数年前の話で、会う時はどちらかの家、朝になったら彼はいない。『愛』を囁かれたことも、初めの数年こそあれど、最近は気持ちよくはなれるが最早作業のようなものだった。
あまつさえ彼には不特定多数の女性がいる。何度も彼が別の女を連れ添っているところに遭遇してきた。その度に見ないふりをして彼を咎めることなど一度もなかった。きっと私もそんな女性たちのうちの一人に成り下がっていて、『交際している』なんて思っているのは自分だけなのかもしれない。それを明確にするのも怖くて、捨てられるのが怖くてこんな状況を甘んじて受け入れてきたが、それももう終わりにしなければならないのかもしれない。
私も彼も呪術師を生業にする家で生まれたことに変わりはないが、その立場は雲泥の差がある。私は術師家系の中でも末端も末端、もうお家断絶待ったなしの勢いで衰退した家出身の有象無象の術師の女の一人に過ぎないが、彼はこの世界で宝とされるべき人間だったから。不釣り合いにも程がある二人だ。実家からは特に身を固めろと言われているわけではないが、もう『いいお年頃』だ。なんなら呪術師界隈における結婚適齢期から若干逸脱し始めていると言ってもいい。そういう面からとってももう、『潮時』は眼前まで迫っていた。
そして今日の幸せな光景が私の踏みとどまっていた最後の一歩をタックルする勢いで背後から崖に突き落としてきた。もう見ないふりをし続けるほど、子供でもなければ耐えられるメンタルを持ち合わせてもいない。
もうやめよう、そう思った途端、白と黒しかなかった己の視界が急に晴れ渡った気がした。



タイミングよくスマホが小気味良い振動を知らせて画面を見れば『五条悟』の文字。なんてタイミング。まさに天啓。ドクドクと嫌な音を立てる心臓を一息ついて落ち着かせ、普段と変わらない声で彼からの電話に応答した。


『お、出た。今日結婚式行ってたんだって?』
「うん、」
『そっか。どうだった?』
「いい式だったよ、感動した」
『へえ、お前もそんなこと思うんだ』



どういう意味?と言いそうになった口をなんとか噤んだ。結婚なんて一度も仄めかさなかった女が結婚に前向きになったことを感じて嫌気でも差した?察しのいいこの男が電話口でどこまで私のこの変化を感じ取っているのかがわからなくてピンヒールで立つ足が震えそうになる。



「悟」
『ん?何』
「別れてくれない?」
『……は?』


声まで震えそうになったが、なんとかそれを押しとどめて冷静を装う。私から別れて欲しいなんて言うと思わなかったのか、それともセフレに別れるもクソもないだろと言いたいのか男から返ってきたのは冷たい音だった。



「………ごめん、言葉間違えたね。終わりにしよう」
『何言ってんの』
「私結婚するから」
『……は?誰と?』
「まだ決めてないけどとりあえず悟との関係終わらせないと結婚できないでしょ」
『マジで何言ってんのお前』
「もう私たち今年29だよ?30になる前にそろそろ動かなきゃ手遅れになっちゃう。そういうことだから」
『や、別れないけど?』
「ーえ?」
『別に僕でいいじゃん』
「どういう意味?このまま訳わかんない関係続けろって?話聞いてた?」
『ハァ…急にヒス起こすなよ。結婚したいんだろ?僕でいいじゃん』
「悟が私と結婚?できるわけないこと言わないで」
『なんでできない前提?』
「……まず家柄。次にあんたの女性遍歴、最後に私は平穏な幸せを掴みたい」
『家のことなんて僕が当主なんだから結婚しちゃえばどうとでもなるでしょ。女の遍歴って何?お前以外に恋人作ったことないし。平穏な幸せ?出来もしない理想掲げてんのはお前だろ』
「………本当に信じられない二度と私にそのツラ見せないで」



声を震わせないようにするのが精一杯でこれ以上電話を続けられる気がしなくて一方的に切った。さすがにいつ死ぬかわからない仕事をしてるんだから世間一般に言う穏やかな結婚生活は難しいかもしれない。だけど私のことだけを愛して、慈しみ合える人と添い遂げることくらい望んだっていいはずだ。これのどこができもしない理想なの。悟といればそりゃあこんなこと叶えられない。きっとあいつなら私と結婚したあとだって女は寄ってくるだろうし私に対して誠実に振る舞うようになるわけない。私のことだけを愛してくれる人が、きっといるはずでしょ?
あいつは私なんかのためになんて変わってくれない。だって十年以上一緒にいたのに何も変わらなかった。
もうやめる。あんな男を好きでいるだなんて今日をもって終了する。紙袋の中に入ったブーケの中にある真っ赤な薔薇が目に入った。そうだ、こんな真っ黒の服ばかり買うのもやめる。私は自由だ。

そう思えば軽くなった足取りでいつもならば入らない華やかなブティックに誘われるがまま、入店して仕舞えば普段目につかない派手な色の服が目に飛び込んでくる。いつもなら絶対に試着なんかしない真っ赤なワンピースを店員に勧められるがまま着替えた。あの忌まわしき男を欠片も連想させない真っ赤なワンピースは、燻んでしまったように思っていた自分の顔色を明るくしてくれた気がした。営業トークなのだろう「とてもよくお似合いですよ」の言葉を卑屈になった私はあいつを連想できない色が似合うなんてやっぱり相性があってなかったんだろうななんて考えたりして嫌になった。やけくそになって恐ろしいヒールのあるパンプスもついでに購入して、赤いワンピースを着たまま帰路についた。先ほどまで感じていた虚無感は綺麗さっぱり消えていた。ついでだ。もうこのまま全て動いてしまおう。先ほどからうるさいほど鳴っているスマホを取り出してその番号からの着信を拒否。家を知られてるんだからもしかしたらあいつがくるかもしれないしそもそも色んな思い出のあるあの家にはしばらく帰りたくないな、としばらく自宅には帰らないことを決意した。持て余す貯金を利用してしばらくホテル暮らしをすることにしよう。うん、気分転換にもなるだろうしいい考えだ。
悟のことを紹介してほしいと虎視眈々と私の立場を狙って来ていた呪術家系の御令嬢たちには別れたことを報告しておく。そうすりゃ勝手に縁談でもなんでも始まるでしょ。もう私は無理だ。どうぞ誰か私の代わりに生贄になってください。
ついでに実家の建前上父親である当主に電話をかけた。



「お久しぶりです。そろそろ結婚を考えていて、手頃な方を見繕っていただけませんか」
『五条様はどうした』
「私なんかが釣り合うと本当にお思いですか?もう終わりましたので」
『…ハァ。わかった。釣書を送る』



なんだ、案外泥沼から抜け出すのなんて簡単なんだな、と思った。
その後何件か送られてきた釣書に目を通して、全て一度お会いすると返事した。どうやら私と悟がいい仲であったことから有名な家からは軒並み断られたらしい。我が家と同じように衰退した家や、呪力がなくて婚姻できない男性ばかりだった。もうどうでもよかった。私を愛してくれる人だったら誰でもいい。
予定はすぐに決まり、その日が訪れるまで私は時間があればさまざまな男性と会った。これまで抑圧されていた何かが爆発したみたいに私は愛に飢えていた。



「なまえさん、少し庭を散策しませんか」


そうこうして来たるお見合い。一張羅の振袖を着付けられた私はそう言って手を差し伸べてくる目の前の男性の手をそっと握った。
優しそうな表情でこちらを慮る様子を見せる男性は呪術家系出身ではあるものの呪力に恵まれなかった次男坊らしい。結婚後は婿入りをしてくれるということで父や母からの婚約者第一候補だった。持てるネットワークを駆使して彼のことを探ったが、悪い印象を持つ人は一人もいなかったし、呪術家系の男性には珍しく女である私にも周囲にも柔らかい態度で接する男性だった。どうしてこんな人が今まで結婚してなかったんだろうと思うくらいには私にはもったいない人だった。


「やっぱりどの家の方も術式のある方を優先されるので、呪力さえ持たない私なんかは今まで誰にも相手にされなかったんですよ。なまえさんは優秀な術師でいらっしゃるのにこんな私でも本当に大丈夫なのでしょうか」

少し眉根を下げてそう語る目の前の男性に、見た目は冴えないけれども、この人となら結婚できるかもしれない、と私は思った。しかも私は十年間もあの顔を見続けて来た。あれ以上の男なんていないしあれ以上を求めたら私は誰とも結婚できない。もう顔なんてどうでもよかった。



「問題ありません。我が家は特に地位に固執しているわけでもありませんので。もし呪力のない子が生まれてきても、仕方ないねということで終わると思います」


そういえばあからさまにホッとしたように嘆息した男性に私も安堵した。


「では、なまえさん、私の婚約者となっていただけませんか」

優しそうにそう微笑んだ彼にはい、と返事しようとしたところで見知った気配を感じて思わず体が強張った。


「やっと見つけたと思ったら何してんの」


ヒヤリ、絶対零度、もはやマイナス、一人で北極を生み出しそうなほど冷たい空気を醸し出す男は突然視界に現れた。いつもサングラスや目隠しで遮っている六眼は血走って瞳は轟々と青い焔が揺れているかのようだった。あまりの恐ろしさに、なんで、と思わず紡ぎ出した声は震えていた。となりの男性を見れば五条悟の顔までは知らなかったのか「お知り合いですか」と私に尋ねてくる始末。


「なまえ、何してるのって聞いてるんだけど」
「な、にって、貴方には関係ない…」
「関係ない?ハハッ、僕という完璧な恋人がいるのにお見合いするなんて酷すぎるんじゃない?」
「…え?こい、びと?」
「そう、僕彼女と十年以上付き合ってる恋人なの。君なんてお呼びじゃないからさっさと帰ったほうがいいよ。彼女とはちょっと喧嘩しちゃってさ。僕への嫌がらせに付き合わせて悪かったね」
「何勝手なこと言ってるの…!もう終わった話でしょう!」
「勝手なこと言ってるのはどっちだよいい加減にしろよ。お前のわけわかんねー電話の後からいろんな家から縁談の話ひっきりなしにくるわお前は毎日毎日男とっかえひっかえしてるわ最終的には婚約?こんな冴えない男と?さすがの僕も堪忍袋の尾が切れたね」
「あんたが今まで散々やってきたことでしょ!」
「あ゛?」


高専時代の悟を彷彿とさせる柄の悪さに背筋が凍る思いがすると同時に、私が好きになったあの頃の悟を思い出してなぜかひどく泣きたい気持ちになった。どうしてこんなことになったんだろう。一緒にいられればそれでよかったはずなのに。婚約者となるはずだった隣の男性は状況についてこれてないのかフリーズして固まっている。もうこの男性との縁談は難しいだろう。さすがの父も母も怒るだろうなとどこか冷静な自分に思わず自嘲する。



「私は私のことだけを愛してくれる人と結婚したいの」



だから悟じゃ無理なの、今まで我慢して来たその言葉を発すると共に張り詰めた気持ちが切れてしまったのか膝から崩れ落ちた私は庭土が一張羅につくこともどうでもよくなってへたり込んだ。こんなドロドロな気持ち、みっともなくまだ彼を好きな気持ち、全部知られたくなかった。
突然ぐん、と引っ張り上げられたせいでバランスを崩した私は引っ張り上げた張本人、悟の腕の中に閉じ込められた。
この男はこの後に及んでまだ私を振り回すつもりなんだろうか。こんなことをされてまだ胸を高鳴らせてる自分自身を殺してやりたくなった。



「なまえ」
「………」
「ハァ、お前も本当強情だよね。でも、なまえの理想は叶えてあげられそうだよ」
「はあ?」
「平穏な幸せなんていうからどんなメルヘン拗らせてんだよって思ったけど余裕じゃん」
「あんたなんて平穏から程遠い人間でしょ!」
「なまえのことだけ考えてる男だったらいいんだろ?僕、今までお前のこと以外考えたことないけど」
「どう言う神経で発言してるの?あんた何回浮気して来たと思ってるの?」
「いや、待ってよ。あれは浮気じゃないだろ?性欲処理じゃん。オナニー、いやトイレと一緒だって」
「ハ?」
「愛してるのも一緒にいたいのもお前だけ。セックスしてる時に愛おしく思うのもお前だけ。他の女とするのはお前が生理の時とか任務でいない時に排泄?的な?感じなだけであってマジでオナホに1ミリも気持ちないから安心してよ。浮気の意味ちゃんと知ってる?僕一回も他に目を向けたことなんてないよ」
「待って、待って。クズすぎて理解が追いつかない」
「わかった。わかったよ。排泄も嫌なんだな?あーワガママ。でもいいよ、わかった。お前の唯一の願いだもんね。じゃあお前以外とセックスしない。今までは毎日僕の相手するなまえを任務に行かせるの可哀想だなと思ってそうしなかっただけ。セックスした次の日の任務も僕が肩代わりしてきたんだよ?お前も一級術師になっちゃったし寝不足なんかで任務に当たったら危ないだろ?できるだけ淡白に済ましてたけどお前がそれが嫌だって言うなら僕は毎日お前を抱くよ。」


いつの間にか、隣にいたはずの男性は姿を消していた。そして私を抱きしめている目の前の男のあまりのクズっぷりと今までの悟の行動の意味を理解して私は開いた口が塞がらなかった。どういうこと?浮気の概念まで覆されそうだった。今まで浮気だと思ってたのはただの排泄ですって?最低にも程がある。…でも、私のことしか愛してないって、本当?なら、いいんじゃない?もう他とセックスしないって言ってるんだし。私の胸の内に広がったのはこの男から愛されているかもしれないことに対する優越感だった。



「ハハッ、ぽかーんとして可愛いなァ、キスして欲しかったならそう言いなよ」



そう言って恍惚とした表情で私の唇を奪った男の久しぶりの舌の感触が気持ちよくて私は目を閉じた。



「結婚願望なさそうだったからまあいいかと思って言わなかったけどそんなに結婚したかったなんてねー!さっさと入籍しちゃおっか!…あと、お前がいろんな男とここ数日ヤリまくってたの許してないから」
「なんで知ってるの。ていうか悟の理論じゃそれだって排泄じゃん」
「はァー?結婚相手探してたくせにそれ排泄なわけなくね?」
「だって私が好きなのは悟だけだし。私のことだけ愛してくれる人間探してただけだから」
「お前のこと愛していいの僕だけだからやっぱりなまえのはアウトでしょ。お仕置きね。決まり」




満面の笑みでそう宣う悟に本当にこれでよかったのだろうかと思わないでもないが、私の頬を撫でる悟の顔が殊の外友人の伴侶となった男性が浮かべていた表情と似たようなものだったのでまあ、結局のところ好きな男と結婚できるんだからいいか、と目の前の男に身を委ねることにした。