僕の推しが最高な話を聞いてほしい

待ち合わせに指定した場所に先に彼の方がついているのは珍しい。
周りから頭一つ二つ分飛び抜けた白髪が、いつもはふわふわと風に乗っているのに今日はセンターパートされ耳にかけられていたせいで一瞬自分の恋人とは別人か、とさえ思ってしまった。いつも常人ではないようなオーラを携えている人ではあったが、今日はもはやハリウッドで活躍していますと言われても納得してしまえるようなそんな出立ちで、なんだか恐縮してしまう。浮世離れしたようなその人は、サングラス越しに私と目があった途端いつもと同じようにくしゃっと顔を綻ばせた。─あ、やっぱり悟だ。

「なまえちゃん!」

人だかりができた定番の待ち合わせスポットで他の人なんて目に入らないのか、それとも特別な人間は周りから配慮されるようになっているものなのか。周囲の人が勝手に彼を避けていくように人並みをかき分けてこちらへやってきた。そういうところがやっぱりどうやっても自分の恋人だということを再認識して、普段と違う髪型というだけでこんなにどぎまぎさせられるのかと、出会した一秒で心臓がいつもと違う音を立てた。私の目の前にやってきた彼は私が彼の頭の上からつま先まで視線を行ったり来たりさせるのと一緒で、私の頭の上からつま先までもを何度も往復していた。二人して何をやっているのかと笑われそうだが、先日『この服、悟に似合いそうだな』と思っていた膝丈のチェスターコートとハイネックを合わせた悟は「パリコレは僕の庭」と今にも言い出しかねないスタイルで。要するにかっこいい。…見惚れてしまうのも仕方がないと思う。


「〜〜!かーわーいーいー!ってか…我ながら天才すぎるコーディネートで自分の才能が怖い…なまえちゃんのこと世界で一番可愛くできる自信ある。はー、僕の推しが安定に可愛くて今日も尊い」
「悟も似合ってる、かっこいい」
「……へ?え?嘘、っも、もっかい言って…?!録音…ッ!!今の音声着信音にしたら伊地知に無茶振りされてもいらつかずに仕事できそう」
「もう、なに馬鹿なこと言ってるの」


クスクス、と笑えば恋人はぎゅうと私を抱きしめながら「なまえちゃんも、すっごいかわいい」と砂糖を煮詰めたような甘い言葉をぬるま湯みたいな温度で伝えてくれる。嬉しい。コートのせいかいつもより広く感じる背中に手を回してぎゅうとしがみついた。
お互いに相手に着せたい服を選んで、待ち合わせをして、これからデートをする、そんな恋人らしいデートなんて久しぶりで、しかも普段よりかっこよく決めた悟の姿に私だって浮き足立っているのだ。

「どう?悟の選んでくれた服、似合う?」
「かわいい、ほんとに似合う。なに着ても似合うけど今日はほんとに特別似合ってる。でも思ってたよりエロくて戸惑ってる。僕が見るのはいいけど他の野郎に見られたくないから僕のコート上から羽織ってくれる?なんでなまえちゃんのジャケットショート丈にしたんだよ僕……いやめちゃくちゃ可愛いんだけど……」
「………え?嘘でしょ?私悟にきて欲しくて選んだのに?」
「無理、選んだの僕だけどこんなにエロいと思わなかった。ニットのワンピースってこんなにエロいの?肌なんて全然出てないはずなのにおっぱいもくびれもプリケツも脚のラインも全部出てるのなんで?意味わかんない。緩く髪まとめてるのもうなじ見えるし後毛とか全部エロいし正直ムラムラする。ほら早く羽織って。ここまで一人で来て変なやつに声かけられなかった?」
「誰も声なんてかけないよ」
「絶対嘘じゃん。ほら、今もめっちゃ見られてる。僕のなまえちゃんに声かける命知らずはどこの誰?ちょっとお仕置きしてくる」


急に殺気を孕んだような鋭い視線が私がやってきた方角に向けられる。こわいこわいこわい。もう、急にスイッチ入るのやめてよね。無理やり剥ぎ取られたツイードのジャケットは悟の腕に、代わりのようにかけられた悟のコートでずん、と肩に重みが乗る。今にも駆け出そうとする悟のドロップショルダーのニットによって隠された意外と逞しい腕を掴んだ。


「悟とのデートで悟以外の声なんて聞こえないのに、私のこと信じてくれないの?」


今にも涙を零し落としそうなくらい目元を潤ませ、わざとらしいだろうかと思いながらも悟の腕をぎゅうと胸で挟み込めば悟の形の良い眉がきゅうと寄せられる。悟が『私の顔』に弱いことも、『私の体』が大好きなこともとっくに知ってる。そのことにモヤっとさせられた日もあったけど有効活用できるときは使わなければ。今にもスリムなシルエットのスラックスに包まれた長い足を利用してすっ飛んでいきそうな悟をなんとかして押し留める。

─私たちは恋人同士といっても日がなずっと一緒に時間を過ごせるというものではなく、デートというものも仕事と仕事の合間に挟まれるものだったり、ちょこっと食事をしたり、というものが多い。それはなにより彼が超多忙に尽きるが所以だけれど。故に彼はデートは仕事着のまま来ることが多かったし私もそれを是としていた。…異性のファッションに対して関心が薄かったというのも要因に挙げられる。
方や私はといえば、どうやら私のことを好きに着飾って愛でたいという特殊性癖をお持ちの恋人によって今日はこれ着て、あれ着て、と指定されるのが日常だった。恋人の家のウォークインクローゼットは八割強が私の服で埋め尽くされ、『その日』も私に着せたい服を選びに行こうという恋人の発案でショッピングに出かけていた。セレクトショップで端から端までと言い出しかねない恋人をなんとか宥めていると、ある服に目が留まった。
─あ、この服悟に似合いそう。
頭の中で目の前の服を着ている恋人の姿を想像する、普段恋人が私に対して行っているであろうその行為が、意外と楽しくて、ああ、彼はこんな気持ちで私の服を選んでくれていたんだ、と気づけば顔が綻んでいた。
「なまえちゃん?」
めざとく恋人は私の異変に気づき、私の視線の先を追う。これが気になるの?メンズだよ?と言う彼に「悟に似合うと思って」と言えば一瞬キョトンとした後、慌ててサングラスをずり下ろした彼は星を混ぜたみたいな瞳に私が指さした服を映した。

「僕の服、選んでくれるの?!」

190cmを超える背の高い男がラグジュアリーなショップで足を飛び跳ねさせ、きゃいきゃいとティーンの女子のようにはしゃいだ様はきっと忘れることができないだろう。




閑話休題、そんな先日のやりとりから、お互いに選んだ服を着て、ついでだから髪もセットしてもらってデートをしよう、ということでついに迎えたそのデートの日が今日だ。今日のためにいくつかの任務を巻きでこなしていたらしくここ数日は特に忙しそうにしていて、ろくに顔を合わせない日だって多かった。そんな寂しい日々を思い出しながらぎゅう、とニット素材に包まれた硬い二の腕を握りしめ、涙腺を更に活性化させて角膜を涙で覆う。─久しぶりのデートなのに私以外の人間優先しないで、と強請ればついに悟がぐぅ、とうめき声を上げた。私をエスコートするべく掴んでいた腕を絡めさせてくれた悟は「そうだよね、ごめん。行こっか」と優しげに眉を下げる。いつも長い前髪が垂れているか、目元を何かで覆っていることが多い顔は今日はヘアセットのおかげで表情がわかりやすくて、きゅうと心臓が少し縮む。─勝った。勝利を確信した瞬間今まで角膜を揺蕩っていた涙が一瞬で引いていった私の様子に悟が「あ!嘘泣きじゃん!」と大きな声をあげる。べ、と舌先を出していたずらに笑えば頬を両手で挟み込まれた。…ブサイクになるからやめてほしい。


「ちょっと、可愛くない顔させないでよ」
「は?なまえちゃんはどんな顔してても可愛いから。…もう、ほんとずるい。僕がその顔好きなの知ってやってるでしょ」
「……だって、せっかくのデートなのに、しかもお互い美容院まで行って綺麗にしてもらったのに。私のこと放置して一人にするつもり?」
「〜〜〜〜ッもう…!そんな可愛いことばっか言ってるとデート中止して家帰るよ?!」
「イヤ。今日は悟とデートするの。ほら早く。エスコートして?」
「〜ク…ッ…!!あーもうなまえちゃん可愛い大好き尊い無理!」


いつもの掛け声みたいな悟の褒め言葉によってついにデートを始めるべく二人並んで歩き始めた。






ホットサンドメーカーが欲しいと言った私に「じゃあ探しに行こうか」と連れてきてくれた家具のセレクトショップや雑貨店でついつい、いい匂いのデュフューザーや食器なんかの余計なものまで買ってしまって、すっかり重くなった荷物は悟の左手によって軽々といった感じで運ばれていく。

終始柔軟に私をエスコートする彼に連れられるがまま進むデートは穏やかで楽しくて、このまま時間が止まってずっと二人でいれたらいいのに、なんてありきたりで人並みな、そして絶対に叶いっこない願いが何度か頭をよぎった。

ビストロで軽く食事をしてから、甘いものが食べたいという悟とお酒が飲みたいという私のリクエストの結果、ホテルのラウンジで悟は苺がたくさん乗ったパフェを食べて、私はちまちまとカクテルを煽る。ちょこちょことツマミのように苺を私の口に運んでは美味しい?と笑いかけてくる悟の姿は親鳥のようだな、なんて思った。

「悟、楽しい?」
「え?なにその質問。愚問すぎる。僕は息してるなまえちゃんの隣いるだけで楽しいけど?」
「そ、そっか…」
「…楽しそうに僕との生活想定しながら雑貨見てるなまえちゃん可愛くて悶絶しそうになるし、美味しそうにご飯食べてお酒飲んで幸せそうにしてるなまえちゃんのおかげで僕は明日からも健康に生きていけるよ」
「………大袈裟すぎない?」
「全然?はぁ、照れてるなまえちゃん世界で一番尊い………」

相変わらずのオーバーリアクションで私を褒める悟に苦笑を漏らしはするけれど、本当のところは褒められるたびにじわじわと胸の内をあったかいものが駆け回っていく。悟はよく私といると幸せだというけれど、それは私の方こそだ。

デートらしい一連のイベントをこなしていくと、ああ、家に帰って眠るのが惜しいなあ、と楽しくて幸せでずっとうきうきしていたハッピーな気持ちに寂しさの影が差す。生きていると幸せな時間ばかり過ごせることなんてないことは昔からよくわかっていた。楽しいことがあるたびに大なり小なり寂しい別れは常にあって、決して今、一生会えなくなる別れでも男女としてのお別れを迎える寸前だとかそういうわけではないけれど、このままデートを終えて家に帰ってこうしてお互いに選んだ服を脱いで、綺麗にした髪も解いて、一緒に眠りについて、起きたらもうこの人は隣にいないのだと思うと、帰るのが惜しくなる。「帰りたくない」なんて我儘を言えば、彼はどうするんだろう。私のすることはなんでも“可愛い”と認識する彼なら可愛いと褒めそやして、いいよ、もう少しゆっくりしよっか、なんて私を甘やかしてくれるだろうか。それとも、僕も帰りたくないよ、なんて我儘を言い返してくるだろうか。少し酔っているのかもしれない、それともおしゃれして普段より少しキラキラと輝いているように見える彼に大袈裟に甘えてしまいたくなっているのかも。じい、とクリームたっぷりのいちごを食べる悟の横顔を見つめる。綺麗なおでこ、真っ白のまつ毛、パフェスプーンを絡む長い指、甘いパフェを迎え入れる薄い唇に視線が囚われる。


「…………なまえちゃん、そんな顔してどうしたの」
「………どんな顔してる?私」
「ん、僕とキスしたいって顔」
「うん、キス、したい」
「していいよ、いつでも。大歓迎」


ほんとは、帰りたくないなってちょっと困らせるつもりだったのに、ラウンジの間接照明が女の私も嫉妬してしまうほど艶やかな唇をきらきらと照らしていて、無性にその唇に触れたくなる。スプーンに触れていた指が私の手に絡んできたのが始まりの合図みたいに、誘い込まれるように気づけば唇が重なっていた。さっきまで甘いものを食べてた悟の唇は甘くて、やわらかくて、あったかくてもっと触れたくなる。
帰りたくないのに、二人きりになりたい。
目を細めて私を見下ろす悟はとっくに私の邪な我儘に気づいているのだろう、絡められた指を締め付けて、私の唇についていたリップが移って赤く色づいた唇が弧を描いた。


「悟、」
「…うん、なあに」
「部屋取ってるんだ、って言ってくれないの?」
「あれ、バレてた?」
「………ほんとに取ってた?」
「なんだあ、カマかけただけ?…僕が選んだ服着て可愛い格好してるの見た瞬間から絶対ヤるって決めてたけど、家に帰る時間も惜しくて部屋取っちゃった」
「……全然紳士じゃない」
「そうだよ、だって今日のデートの間中ずっとその服脱がすことばっか考えてた」
「………ばか」
「馬鹿?はは、知らないの、なまえちゃん。服を贈るのってね、『その服を脱がせたい』って意味があるんだよ。…今まであげた服は全部脱がせてきたと思うけど、どう?」


手を引かれ自然とハイチェアに腰掛けていた体が一瞬浮いてアンクルブーツの爪先がラウンジの柔らかいカーペット材に着地した。やけにぎらついた碧眼で私を見下ろしながら「ジャーン、なまえちゃん御所望のブツはこちらでーす」なんて言って、いつの間にチェックインしたのかカードキーを持つ左手を見せつけられる。私がどうしても二人きりになりたいのも、今すぐ悟に触れて欲しいのもバレてるのが無性に恥ずかしくなり「呪術師じゃなくて手品師みたいね」と皮肉を言えば悟は少し驚いたように目を丸くして、「僕なんでもできるからね」とすぐに笑ってみせた。




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