呪いにかけられて

*反転術式の本誌ネタ含みます。






三者三様、いろんな感情のこもった視線が私に向けられる。
大丈夫?って心配した表情を浮かべるけど「こんぶ?」とおにぎりの語彙を発する棘くん、「注意力散漫だからだよ」と呆れる真希ちゃん、「ウケんね」と薄ら笑いを浮かべる五条先生、「なんでパンダじゃないんだよ」と明後日なポイントに怒っているパンダくん。
項垂れる私の心境と一緒に垂れてしまった私の頭上で存在を主張するそれに触れて、明らかに自分の毛質とは違うそれになんであんな初歩的なミスをしてしまったんだとため息を漏らした。


「たしかに、パンダ耳だったらパンダくんに紛れられて目立たなかったかも」
「パンダに紛れるってなんだ」
「それに尻尾だって猫と違って目立たないし」
「パンダの尻尾ディスってんのかコラァ!」


─現在、私の頭上には猫耳が鎮座している。猫耳カチューシャとかではなく、血の通ったガチの猫耳。こんなことになったのも、今日跋除任務にあたっていた猫又呪霊のせい、だと思われる。祓うの自体は特に問題なく呆気ないものだったのだが、最後の足掻きよろしくトドメを刺そうとした瞬間にトラップ発動した術式にひっかかってしまい…この通り面白おかしい姿になってしまった。この耳の効果かは知らないが、普段より人の足音とか、風の音とかそういったものが良く聞こえて、あまりにもいろんな音が耳に入ってくるせいで、思わず耳を塞いだ。


「おい、なまえ大丈夫か?」
「硝子さんのとこいくか?」
「高菜、」
「悟、なまえの状態どうなんだよ」
「うーん、まあ直に元に戻るでしょ。なまえは元に戻るまで療養の方が良さそうだね、一人で寮戻れる?」


みんなの声が頭の中でぐるぐる廻る。なんとか五条先生の言葉を拾ってこくんと小さく頷く。真希ちゃんが心配そうに眉を顰めて珍しく、と言ったら失礼かもしれないけれど言葉を選んで寮まで連れ添おうか、という提案に大丈夫、みんなは稽古してて、とだけ誰に言うでもなくみんなのいる空間に放り投げて逃げるようにその場を後にした。なんとか寮の自室の扉を開けた瞬間、さっきまで騒がしかった世界に静寂が訪れて、ようやく安心できた。だけど急な体の変化に気力も、体力も何もかも追いついていなかったのか、急にぶるりと体の底から冷える寒気を感じる。

「…やばい、これ、熱、でるやつかも、…」

制服を着たままだとか考える余裕もなく、頭から布団をかぶってベッドの上でまあるく縮こまる。
ぎゅっと目を瞑っても、本当に時間が経てば治るのか、とか、なんであの時油断したんだろうっていう後悔がぐるぐる渦を巻いて、見えない何かに急に呑み込まれるみたいな不安でいっぱいになる。自業自得なのに。こんなことでぐるぐる悩んだって仕方ないのに。あの五条先生が言ってるんだから信じて時間が経過するのを待つしかないってわかってるけど、あんな呪霊に反撃されてこんな姿になっちゃうなんて、益々昇級が遅れちゃうかもしれない。ただでさえ埋まらないぐらい差がある彼のことを思い出すと自分があんまりにも情けなくてぎゅうぎゅうと布団を抱きこんだ。
…今この場に、優しい彼がいたら、きっと私のこと甘やかしながら慰めてくれたんだろうな、と思うと情けなさと寂しさでどうしようもなく泣きそうになる。


「憂太ぁ…、会いたいよ…っ」


急に何ヶ月も顔を見れていない恋人の姿を脳裏に浮かべてしまうと会えないことがどうしようもなく悲しくなって今現在唯一のつながりになり得る、ポケットに入れたままにしていたスマホを取り出した。特有の青白い光が布団の中で煌々と存在を主張したのも厭わずに目当てのアプリを起動させてから、通話のマークを押そうとしたところで手が止まる。

─そういえば、今いるところと、日本って時差、あるよね。迷惑かも。寝てるかも。それとも戦闘中かも。
あの五条先生から直接指示されて行ってる任務なんだもん、きっと、難しくて、大変で、私なんかじゃ手に負えない任務に当たってるに決まってる。こんなことで、迷惑かけちゃダメだ。我慢して、寝て、起きたら、きっと治ってる。早く寝て、早く治して、みんなにも心配かけてごめんね、って謝らないと。ぽろぽろ溢れる涙もズルズル垂れる鼻水も制服の裾で拭って無理やり目を閉じた。



─コンコン、


控えめなドアノックの音が、例の耳のせいでしっかりと聞こえた。…誰?真希ちゃんだろうか。もしかして、心配で様子でも見にきてくれたのかもしれない。一瞬布団を剥いでベッドから降りようとしたけれど、ベシャベシャに泣いた後の顔を見せて、また心配をかけるかもしれないと思うと気が引けた。真希ちゃんなら「こんなことで泣くなよ、」なんて笑い飛ばしてくれそうだったけれど、いつも懸命に地に足をつけて頑張っている真希ちゃんに、こんなことで弱っているなんてとてもじゃないが知られたくなくて、申し訳ないけれど寝ているふりをすることにした。きっと、一度目のノックで反応がないと思ったら寝てると判断するか、私が出る気がないと判断してくれると思って、もう一度瞼を閉じた。


─コンコン


………珍しく、二度目のノックが響いた。さっきのみんなの前での態度が気になったのかな。…申し訳ないことしたなあ。この耳がなくなったら、ちゃんと謝りに行かなきゃ。布団を被り直して、ぎゅうと力強く瞼を閉じる。


──コン、コン


………三度目のノック。せっかくきてくれたけど、今日は放っておいて、とメッセージを送ろうと再びスマホの画面に視線を戻せば、さっきまで見ていた憂太とのメッセージのトーク画面に一件メッセージが来ていた。布団の中で籠った熱のせいか、それとも私の体がひどく発熱しているのか、熱い息でスマホの画面が少し湿る。潤んだ視界でなんとか読み取った文字が全然理解できなくて、え?え?と混乱しながら慌ててかぶった布団から抜け出した。
─聞いたよ。大丈夫?今どこにいる?
何を聞いたの、今どこにいるなんて、こっちが聞きたいよ。すぐ会いに来てくれるみたいな文言、弱っちゃってる今、本気にしちゃう。まって、このノックの音、誰?もしかして、もしかして真希ちゃんじゃないの?


「─なまえちゃん、起きてるよね?僕だけど、開けるよ」


聞こえすぎる耳じゃなくても誰のものかなんてわかりきった声に驚いて返事をする前に開いた扉から顔を覗かせたのは、前にあった時より少し背が伸びた気がする恋人だった。背を少しかがめて、相変わらず困ったように笑いながら入ってきた人物を視界に入れて、さっきまでなんとか止めようと思ってた涙がびっくりしすぎてぴたりと止まる。



「え、…なんで?」
「ちょっと所用があってこっちに呼ばれたんだ。…けど、よかった。なまえちゃんが困ってる時にそばにいられて」


そう言ってゆっくり私のそばにやってきて床に膝をついた憂太は、私の顔を覗き込んで元から下がっていた眉をさらに下げて、大変だったね、と私の頭の上を見た。恥ずかしくて、情けなくて、咄嗟に隠そうとした私の手を捕まえるなり、限界まで下げていた眉毛を今度は吊り上げる。


「…すごい熱。測った?…とりあえず服、着替えよう。あったかくて、汗ちゃんと吸うやつ。いつものところに入ってる?」


私の馬鹿なミスの成れの果てを笑うことも揶揄うこともなく、真っ先に体調を心配してくれるその態度に、表情に、すごく安心できた。やっと触れ合えた少し厚くなった気がする掌に包まれると、さっきまで胸中を占めていた不安や心配事が吹き飛んでいく。やっぱり、わたし、憂太のことがすき。
こくん、と頷けば私の頭を一撫でして憂太は勝手知ったるといった風にチェストを開いてジュニクロのトレーナーを引っ張り出してきた。


「うん、………ありがとう、」
「こんなの、なんでもないよ」
「………ちがうの、私のこれ、…揶揄ったり、しないでくれてありがとう」
「揶揄う?誰かに揶揄われたの?」
「……五条先生は、『ウケんね』って言ってた……」
「五条先生は…うん、少し適当なところがあるからなあ。なまえちゃんのこと心配こそするけど、揶揄うなんてしないよ。あ、もちろん似合ってないとかじゃないよ。すごくかわいい」


少し照れたように頬を掻きながらそう伝えてくれる憂太のせいで、熱で上がった体温がさらに上昇した気がした。
着替えを持ってきてくれて、一人で着替えられる?と聞かれてコクンとまた頷けば、後ろ向いてるねと紳士然とした憂太の気遣いに胸がきゅうと狭くなる。…呪術高専ここにきたばかりの頃はおどおどして、自信なさげでずっと困った顔をしてたのに、いつのまにこんなに背中が広くなったんだろう。いつからこんなに頼りがいある男の子になったんだろう。


「着替えられた?」
「うん、ありがとう、」
「ううん。…それより、家入さんのところへは行った?」


フルフル、と首を振る。五条先生に真っ先に耳を見られて、時間の経過とともに解呪すると聞いて、硝子さんのところに行くのはやめた。反転術式って、すごく呪力の操作に神経を使う。ただでさえ貴重な反転術式の使い手として日々術師や補助監督さんたちの治療にあたってる硝子さんに、私のへっぽこなミスのせいで、しかもいつか治るこれを見せるのは憚られた。


「─なまえ」


ひやり、空気の体感温度が五度くらい下がったかのような冷たい声が憂太の口から漏れ出た。眉間に皺を寄せて、私を叱責するような表情。いつも春の陽だまりみたいに笑いかけてくれる彼から出たとは思えないその冷たい声色に身体が跳ねて、じわじわとまた視界が滲み始める。……ぁ、ついに、呆れられたのかも、嫌われたのかも。憂太に嫌われるのが怖くて、耐えられなくて、ごめんなさい、という何に対して謝っているのかわからない震えたか細い声が喉から絞れ落ちた。


「…あ、怖い声出してごめん…!ああ、なまえちゃん、泣かないで…僕の方こそごめん。その、いつも自分のことを後回しにして我慢しちゃうの、やめてほしくて。なまえちゃんの優しいところが大好きだけど、自分のことを後回しにして、いつか生き延びることも後回しにしちゃいそうで、怖いんだ」


熱すぎる私の手をもう一度ぎゅうと両手を握りしめるひんやりした掌。また困ったように眉を下げたと思えば、ひどく心配そうに私を見つめる憂太の言葉にハッとして、憂太が呪術高専に通うことになった理由を思い出した。


「…今回は、可愛いいたずらみたいな術式で済んだけど、本当に、任務の時は最後まで気を抜かないで。…あと、何かあった時は軽症でもなんでも、絶対家入さんのところへ行って。…僕がそばにいる時は必ず僕のところへ帰ってきて」


─絶対に、君のことは死なせたくないんだ。


私に懇願する憂太の言葉が、片膝をついて愛おしいものを見つめるような熱い眼差しをこちらに向ける憂太の姿が、まるでプロポーズみたいだと思った。


「…約束、できる?」


─はい、約束、します。

なんでか敬語になってしまった、ほとんど息みたいなか細い私の声を聞き届けた憂太は今度はいつもみたいに眉を下げて微笑んだ。グレーがかった瞳には窓から入る夕日が反射して赤みが差している。手は握られたまま、茜差す瞳は瞬きもせずじっと私を見ていた。どちらともなく、気づけば近づく距離。どうしてか、瞼を閉じるのがもったいない気がして、ずっと目を開けたまま、私の熱い息を飲み込むように久しぶりすぎるやわらかい唇が、私に、触れた。


その瞬間、ぽわん、とあったかい何かに包まれるような感覚に少しぼんやりする。憂太のキスっていつもすごくあったかい。ぽわぽわする。大好きな人と触れ合うって、こんなに幸せな気持ちになれるって初めて教えてくれた。何度か啄むようなキスを繰り返していれば、いつのまにか緊張も不安もゆるく解けて、憂太のことが大好きって気持ちでいっぱいになる。ゆっくりベッドに縫いとめられれば急に眠気に襲われて、気付けば憂太とキスをしながら眠りに落ちていた。







─少し、きつくあたりすぎてしまっただろうか。まさか泣かせてしまうなんて。だけど明らかに呪霊からの攻撃を受けたのに診てもらうこともせずに一人でベッドに蹲っていた彼女を思い出すとどうしようもなくまた怒り…ではない、心配が故のモヤモヤした感情が芽生え始める。
眠ってしまった彼女の涙の跡をなぞる。さっきまで彼女の頭上で感情のままに連動していた愛らしい猫耳と、尻尾はすっかり消失していた。正直見られなくなるのは勿体無いなと思うほど可愛い姿だったけれど、愛おしいなまえちゃんの体内に誰のものとは知れないどころか呪霊の呪力が循環しているなど、到底許容できなかった。手を握ったままキスをしながら反転術式を施したことも熱があったからか、それとも夢中になっていたからか気づかず眠りについたなまえちゃんから、猫又呪霊のものらしい残穢が消失していることにほっと安堵する。どうしても体調不良を治してあげることはできなくて、まだ熱を放出している頭に額に、頬に、手に、キスを送った。
キスで眠ってしまうなんて、僕はさながら悪い魔法使いみたいだな、なんて思いながらベッドで頬杖ついて可愛らしい寝顔を堪能する。


「君のことは、一生かけて守らせて」


呪ってしまわないように、ただ慈しむように、無防備な唇に恭しくキスを落とした。







大遅刻ですが、2022/02/22の日ネタです