ただただ楽しかったあの頃

…暇だ。行こうと思っていた任務が突然なくなった。何故か予定の時間に補助監督の待機する場所に行けば「五条術師が行ってしまいましたので夏油術師は本日お休みいただいて大丈夫です」なんて言われて、なんで?と思いつつ教室に行けば夜蛾先生も任務が入ったのか、黒板にはデカデカと『自習!!』の文字。思わずため息をつく。突然暇になってしまった。なまえや硝子は何しているだろうか。なまえが暇なら体術の稽古でも、と思っていれば前から硝子がやってきた。


「暇そーじゃん」
「うん、悟が一人で任務に行っちゃったみたいでさ。なまえと体術の稽古しようかなって思ってたとこ」
「……あいつ用事あるとか言ってたよ」
「え。そうなの?ちなみに硝子は?」
「私はこれから急患来るって連絡きた」


じゃあな、とあっさりすれ違っていく硝子を振り返れば、窓の向こうで傘をさしたなまえが屋根をぴょんぴょん飛んで高専のロータリーの方向に向かって駆けていくのが見えて、今日は本当にぼっちらしいことを悟った。


「仕方ない、か…」


ぽつりと呟いた言葉が木造の廊下にやけに響いた。






読みかけだった風俗史の書籍を読み終わる頃には、ぐるる、と腹から小気味良い音が漏れた。民間信仰のある地域には呪霊が湧きやすいから、次はこの地域に行ってみるのもいいな、とあたりをつけながら時計を見やればそろそろ昼時。食堂に行って昼食でも食うか、とまだ読み終わっていない方の古めかしい本を傷めないように気をつけながら貸出記録をつけて寮に向かって歩き始めた。一度自分の部屋に寄って汚れない場所に本を置いてから、いい匂いの漏れる食堂へ向かう。食堂には数名の人の気配があって、わいわいと何やら賑やかな声が聞こえる。その中には朝自分の任務をもぎ取って行った悟や、朝から元気に屋根を飛んでいったなまえの声もあって、なんだ帰ってくるの早いな、と思いながらガラ、と扉を開けた。


パァン!!!


耳を劈くような一瞬の爆音と、少しだけ火薬の爆ぜたような煤臭い香りの少し後にパラパラと食堂の蛍光灯を反射した小さな紙吹雪が舞い落ちてきた。
─へ?
上手く反応できない間に、楽しそうに笑った見知った級友たちの雑なハーモニーの不揃いなバースデーソングが演奏され始めて、今日の日付を思い出した。


「「「ハッピーバースデートゥーユー!」」」
「ちょっと待て!下手すぎんだろ!なまえ音痴か!」
「だってだって、練習ちゃんとできない間に夏油きちゃうんだもん!」
「あと硝子やる気なさすぎだろ腹から声出せ」
「腹から出る声はない」
「夏油夏油!ほら見てー!さっきケーキ買ってきたの!!揺らさないように気をつけたから帰ってくるのすごい時間かかっちゃってさ、任務より疲れたんだけど!頑張ったと思わない?!褒めて!」


なまえがそーっと持ち上げている生クリームと苺の装飾が美しいケーキにはすぐるくん おたんじょうび おめでとう とまるで子供の誕生日を祝うようなチョコレートのプレートが乗っていて、何が何だかわからないはずなのに、それを見たらなんだかどうしようもなく笑えてしまった。
もしかして、悟が今朝一人で任務に行ったのは私に休暇でもくれるつもりだったのだろうか。


「あはは!なに、みんな私の誕生日お祝いしてくれるつもりだったの?」
「はぁ?何当たり前のこと言ってんだ」
「ほら、これフーってするんでしょ?はやくはやく!」


キラキラと星でも混ぜたようななまえの青い瞳の中でロウソクの火がゆらゆら揺れていて、フーッと勢いよく吹き飛ばした。


「夏油おめでとー!!!」
「おめでと、夏油」
「傑!!おめでとー!くらえー!!」
「……っえ?」


ぐちゃん、突然顔面にやってきた柔らかくてどろっとした嫌な感触と白い世界。悟の「ギャハハ!一回やってみたかったんだよなー!」という下品な笑い声で今自分は所謂『パイ投げ』とやらを食らったらしいことを理解して顔面にへばりついたそれを雑に手のひらで拭って、そのまま悟に押し付けようと、した。


「なまえバリアー!」
「は?…っぶ!」
「あ。ごめんなまえ」


悟に向かってクリームまみれの手のひらを押し付けようとしたら突然悟に肩を掴まれたなまえを身代わりにされて、ケーキを死守しようとしたなまえにそのままクリームをぶち込んでしまった。…やばい。


「んも゛〜〜っ!なに?!おいしいからいいけどね!」


顔に垂れるクリームを舌を伸ばして舐めるなまえに、その場にいる全員がぽかん、として急に火がついたように笑い出す。


「もー何?!みんな私のこと笑ってる?!そんなやばい顔になってるー?!」
「妖怪みたいになってんぞ」
「妖怪〜〜〜?!ていうかベットベトなんだけど!誰かケーキ持つか顔拭うかして?!」
「仕方ないね…ほらなまえタオル持ってきたよ」
「やっぱり硝子大好き〜〜〜っ五条も夏油も覚えときなよ!さっき買ってきた豆?であんたらのこと祓ってやる!」
「はぁ〜〜??やってみろよ豆なんかで祓えるわけねーだろ」
「はは、なまえ節分知ってたの?」
「買い物行った時になんかめちゃくちゃ豆売ってたから買ってきた!」




顔がベタベタのままなまえの買ってきた豆で豆まきを始めたらなぜかヒートアップして、なまえが投げる豆が段々ピストル級の威力になって全員で震えながら悟の無下限バリアに隠れることになった。悟に当たらなかった豆が壁にめりこんで二次災害を起こして、夜蛾先生に死ぬほど怒られたのは言うまでもない。

四人仲良くたんこぶのできた頭をお互いに見合えば可笑しくて可笑しくて、こんなに笑った誕生日は初めてだなと思った。


「みんな、ありがとう。君たちが同期で本当に良かった」


これからもよろしく─、普段なら少し照れ臭いような言葉もなんだか言ってしまえて、クリームが溶けて少し形が崩れたケーキを四人でつついた。




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