あなたの罪につけこむように

二〇一八年一月某日。昨年末はあの頃と違うとわかっていつつもそわそわと過ごしてしまって、でもやっぱりあの事件は起きなくてとてつもなく安堵した。例年とは違った面持ちで迎えた平和な新年も、あっという間に過ぎ去った。はぁ、今年ももう1/12終わっちゃうなぁ、なんて思いながら至る所で目に入る鬼のお面や恵方巻きのポップにふぅ、と嘆息する。豆まきなんて、久しくやっていない。恵方巻きも、彼と過ごすようになってから、食べることも無くなった気がする。『来週、ちゃんと予定空けてるよね?』という連なる何度目かわからないメッセージにスタンプだけ返して、もうそろそろ、意地を張るのはやめようかと深すぎるため息をついた。







師走って文字通りすんごいスピードで駆け抜ける。今でこそF1級のスピード感を感じているが、年々早くなってる気がするのは気のせいだと信じたい。そして年が明けた一月、あけましておめでとーなんて会う人会う人に言ってる間に、気づけば月末。毎年そんな感じで一年のスタートダッシュが切られるわけだけど、まあ世間で言えばなんというか?ピンクが街中に溢れる無駄にチョコを送り合う文化の根付いた意味不明なイベントが待っているその十日ほど前。その日に向かって、ただただ毎年暴走する男がいる。大体あけおめのご挨拶と一緒に、セフレのくせに一月ひとつきくらい先の予定を抑えようとしてくるし、なんなら一日中デートしたいから有給使って仕事休んで、なんて普段なら言ってこない面倒臭いこと言ってくる。極め付けはXデーの一週間前くらいになるとちゃんと予定空けてるからの確認を一時間ごとくらいにしてくるし、普通にイライラしてくる。どこのメンヘラ女だ。
この一週間でうるさい!って怒鳴った回数は覚えてないし、そんなにうるさいならもう会わない!って怒ったら顔面蒼白にしてたのはちょっと、笑ったけど。…なんだかんだ予定は空けてた私に満足そうにしながら信じられない時間朝の八時に迎えにやってきたこの男に一日中連れまわされ、なぜか私の欲しいもの(欲しいなんて漏らしたこともないのになんで欲しいことを知られているのかは考えたくもない)を買い与えられた。食後のデザートを楽しみにするみたいに嬉しそうな顔をして、今年はいいところ予約したんだ、なんて言われてついてきたやたらの気合の入ったラグジュアリ〜なホテルに到着して、ナウ。

…………この男、毎年思うけど自分の誕生日の使い方バグってない?

はぁ……とデカすぎるため息をつけば、広すぎる部屋の空気に溶けて消えた。ハイブランドのアメニティがあつらえてあるその部屋を一通り物色してぼふんっと、一度腰をつけたらどこまでも沈み込んでしまいそうなソファに沈んでサイドテーブルにおいたままにしていたスマホを拾ってディスプレイを点灯させる。歩きすぎて少し浮腫んでいる気がする脹脛をマッサージして、サブスクリプションの動画配信サイトで視聴途中になっていたドラマを再生した。普段家で一人の時は続きが気になって睡眠不足になってしまうぐらい没頭してしまうのに今日はなんだか気もそぞろで、登場人物たちのセリフがうまく頭に入ってこない。


「なまえ?何してるの?」


バスローブを雑に引っ掛けて、昔から変わらない美しいペールベージュの肉体を惜しげもなく晒す男はシャワーを浴びて早々、まだ濡れた髪を乾かすことなくぽたぽたと水滴を垂らしながらこちらにやってくる。


「…ドラマ見てる」
「ふうん、面白いかい?」


ソファに体を沈み込ませながらスマホの画面を見つめていた私を抱き上げて膝に乗せ、肩口にぐりぐりと額を擦り付けて私が見てるスマホの画面を覗き込んできた。さっきシャワーを浴びた後に着たバスローブに水滴が垂れて、だんだん肩が水分を吸って冷えていく気がした。居心地のいい場所を求めて骨盤をぐりぐり動かしていたら、何を勘違いしたのか私のバスローブの合わせに手を差し入れてきた。パシン、とはたく。


「いたい」
「…ちょっと、髪濡れてる。長いんだからちゃんと乾かさないと風邪ひくよ?外の気温いま何度か知ってる?おばかなの?」
「…え、心配してくれてる?嬉しい。可愛い。好き」
「私が濡れるのやだから言ってるの」
「じゃあなまえが乾かして」
「やだ。傑くんの髪長いしめんどくさい」
「…………冷たい」
「ほら、ね?早く乾かしておいで」
「そういう意味の冷たいじゃないのに」


首にかかったタオルで濡れた髪を乱雑に乾かすせいでぴっぴっと水滴が飛んでくる。…昔から、こういうとこ結構雑なんだよなぁ。


「なあに、じっと見て」
「んー?水も滴るいい男だなーって思っただけ」
「……………ん?え?なんて?」
「ドラマの話」
「嘘だ。絶対嘘。今私の方見てただろ?っていうか今誰かが濡れてるシーンじゃなかっただろう?」
「勝手に見ないでー」
「なんで?今日は一日私に君を独り占めさせてもらう約束じゃないか。君がそれ観るなら私も一緒に観させてもらうよ」
「そんな約束してない」


観ないで、じゃないんだ。と思わず笑ってしまった。むうとしながら眉間に皺を寄せてあの頃みたいなちょっと子供っぽい仕草になんだか懐かしくなる。仕方ないからスマホをソファにポイと放り膝立ちをしてタオルを奪い取る。水分を吸って随分しっとりしているタオルでまだ濡れている髪を優しくドライしたら、気持ちよさそうにされるがまま瞼を閉じるから、先生や同級生、後輩の目を盗んで彼の部屋に侵入しては夜を一緒に過ごした日のことを思い出してたまらなくなる。
堪えきれずに無防備な額にキスをした。普段キスはしないと宣言している私のその行為に、目の前の男はすぐにこちらを見上げて、眉根を顰めて切なそうに顔を歪める。
首筋に唇を寄せてきた彼は「いい?」と確認しながら、バスローブの解き目を解こうとしていた。


「ここでするの?」
「…我慢できない。なまえが可愛いことばっかり言って、私をその気にさせてくるから」
「いつもは可愛くないみたい」
「………どうしたの?今日なんかちょっと変じゃない?拗ねるなんて珍しいな…」
「別に拗ねてないよ」
「いや、拗ねてる。なまえの拗ねる顔は、昔から知ってるから」


髪を一房攫われて、髪の毛に何度も唇を落とされる。普段見下ろされることの方が多いから、伏し目がちな視線とはよくかちあうけれど、上目遣いは珍しい。こちらを見上げる琥珀色に、部屋の照明がキラキラと反射していた。つけっぱなしになっているドラマの音がひどく五月蝿くて、気が散る。スマホに視線を移して手を伸ばそうとした。


「なまえ、こっちみて」
「まって、ドラマ消すだけ」
「いやだ。…今日だけでいいから私のことだけを見てて欲しい」
「……お誕生日のプレゼント、今年はそれでいいの?」
「……………だってどうせ君は、今年もくれるつもりがないんだろう?」
「言ってみないとわかんないんじゃない?」
「…いつからそんなに意地悪になったんだ」
「……傑くんこそ、私に誰を重ねてるの?」


ハッとしたように目を見開いてすぐに「ごめん、私また変なことを言ったね」とバツが悪そうに視線を逸らした彼。意地悪な質問をしたのは私の方だから、きっと謝らないといけないのは私の方だ。…傑が『私』に重ねている人は正真正銘私だから。

─輪廻転生、私はなぜか今二度目の人生を生きている。今は前世みたいにファンタジーのような力もなければただの人だけど。目の前の男は前世で恋人だったことのある男だ。…これだけ聞けば、大層ロマンチックな関係を想像するかもしれないけれど、今のところ私と彼の関係性を言葉にするなら『ただのセフレ』であるし、彼は私が『前世の記憶』がないと思い込んでいる。私は訳あって前世を共有していた男に記憶のないふりをし続け、この男からの好意を無視し続けている。

偶然この世界で顔を合わせた彼は、今世の私にも「好きだ」と告げてきた。その日から変わらない彼の願いを叶えもせずに『聞くだけ』に留めてきた、昔のことなんて忘れたふりをしてとぼけている私は相当性格が悪い。自覚がある。…だけど、これは復讐だから。
なんの相談もなく勝手に消えて勝手に『最悪の呪詛師』に身を落として私を身勝手に捨てた彼への私のとっておきの仕返し。

今日は二月三日─、傑の誕生日。毎年、等価交換を要求するように私にいろんなものを買い与えて、日付を超える直前に『見返り』を求めるみたいに私からの愛を乞うてくる日。彼の願いを、彼がいつか私を捨てた時に吐いたひどい言葉と同じものを重ねて退けている私の性格の悪さは、前世のいろんな出来事を経て熟成されて歪んだせいだ…と思いたい。呆気なく私に願いを棄却される頃にはいつも日付を超えて、その頃には『本日の主役』とばかりにわがまま言いたい放題だった彼は諦めたように笑って「今年も付き合ってくれてありがとう」と、ただのセフレに戻る。

いつか、まだ十代だったころ、恋人だったはずの人が、…張り詰めてた糸がきれたみたいに、大量虐殺をして消息が掴めなくなった。絶望の最中にいた私の前にふらりと蜃気楼のように突然現れたあの日。彼がこれから何をするかなんて想像できなかったわけじゃないけど、傑と一緒ならそれでもいいと『私も連れて行って』と泣き喚く私に彼はあっさりと『君に構ってる暇はないんだ。』そう言い捨てて、何も説明せずに背を向けて行ってしまった。あんなに冷たくて、なんの興味もなくなったみたいな顔をされて、たくさんの人を無慈悲に殺して、私の心をぐちゃぐちゃに壊した男。あんなに冷たく突き放したくせに、泣き崩れる私に聞こえるか聞こえないかくらいの震える声で、『ごめん』なんて呟かないでほしかった。謝られたって一生許さない。…いや、一生はとっくに終えた。二生になっても許せてないんだから、なんとまあ根強い呪いだろうか。

本当は、今も私のことを覚えててくれて嬉しいのに。本当は、恋人だったあの頃みたいに優しい彼に泣き喚いて縋りつきたい。…覚えていない私に意地になって執着している気がする彼に優越感を覚えている浅ましい自分。全部告白したら、いつかまたあんな風に捨てられるかもと思うと、少しだけ怖い。復讐なんて言ってるけど、本当は臆病になってるだけなのかもしれない。もう、前世の気持ちと今の気持ちがこんがらがってて、本音が自分でもよくわからなくなっていた。


「なまえ、君のことがずっと、好きなんだ」


─お願いだから、私の恋人になってくれないか。
毎年、例年通り、同じ願いを呟いた彼にぎゅうと、胸元に縋り付くみたいに抱きつかれて思わず動きを止める。
 
ぐりぐりと胸元にねじ込んでくる頭はまだ少し濡れていて、はだけたデコルテがひんやりとする。…昔から、こんな風に甘えてきてくれたらよかったのに。昔から、嫌なことは嫌だって言えばよかったのに。昔から、ワガママ言えばよかったのに。


「すぐるの、ばか」
「──え?」
「私のことあっさり捨てたくせに」
「…………なまえ?…もしかして、思い出した?」


パァっと、煌めいた瞳、だけどすぐに少しだけ不安そうに揺れた。


「ずっと覚えてた」
「え………」
「あんな風に私を捨てた薄情者のことすぐに許すと思う?─っきゃ?!」


突然視界が反転した、と思えば重すぎる体とフカフカのソファにサンドイッチされた。さっきまで傑の目に反射していた照明の光源が、直接網膜に刺さる。…眩しい、重い。


「…傑、重い」
「…………なまえ、やっぱり意地悪になったね」


バスローブに顔を埋めたままもごもごと話すせいで、バスローブがしっとりと水分を含んでいく。肌に張り付くくらいだった髪は、いつのまに乾いてしまったのか傑の動きに合わせてさらりと揺れる。


「そりゃあね。誰かさんに無慈悲に捨てられたらやさぐれもするよねあーあ、あのときの傑のせいで傷ついたなー今でもトラウマだなー」
「…ぅ、ごめん」
「…………ゆるしてほしいの?」


苦しげに歪められた表情を浮かべた傑が、私を見上げる。


「…許さなくていい」
「……へぇ、」
「私のこと、ずっと許さないで。君のことを傷つけた男のことを覚えてて」
「………忘れたくても、忘れられないだろうけどね」
「なまえ、自惚れていい?─君もまだ私を好きだって」
「………………好きなんて、私言ったことないでしょ。傑くんと付き合う暇なんてないって、毎年言ってた」
「うん、傑くんとは付き合えなくても、傑とは付き合えるだろ?だってなまえは傑のことが好きだから」
「…ねえ、傑そういうのね、図々しいって言うんだよ?頭のネジ前世に忘れてきたんじゃない?」
「だって、セックスしてる時、君昔と同じ表情カオしてる。私のことが好きだって、そういう表情カオ。そのくせいっつも冷たい言葉この口が吐くからその度に致命傷を負ってた私の気持ちにもなってくれ。私のこと好きじゃないなんて、今更言わせないよ。ほら、早く頷いて。私のこと好きだよね?」
「っぁ、ちょ、まって、…っん!」
「好きだって言ったらひとまず止まってあげる」


プレゼントの包装を剥がす子供みたいな嬉しそうな顔をして私のバスローブの結び目を解いた傑が胸元にきつく吸い付いてくるせいで、体が勝手に反応してしまう。
…ずるい。傑はずるい。何をしてもどれだけ時が経っても私に好きなままでいさせる傑がずるい。


「………なまえ、君からの『好き』が欲しい」


網膜を焦がしそうになっていた照明を遮った傑の真剣な表情に見下ろされて、不覚にも胸を跳ねさせてしまったけど、気付かれないように平静を装った。


「……ねえ、今年が何年か知ってる?」
「…え?………二〇一八年だけど…」
「うん、去年、傑は私とクリスマスイブを過ごしたよね」
「…え?あ……」
「なんか、やっと今の『傑くん』が『傑』と違うって思えたのかも。だから、今日を限りに、あの頃のことは水に流して復讐はやめることにする」
「ふ、復讐???」
「うん。前世で傑が私を捨てた復讐をしてたの。効いた?あ。絶対謝らないからね。傑が私のこと捨てたのが悪いんだから。……その代わり、傑ももう、あの頃のこと、私に謝らないで、いい」
「は、はぁ〜〜〜〜………、」
「ぐえっ」


へにゃへにゃと脱力した傑がまた私の上に倒れ込んでくる。


「おーもーい!自分の体重わかってる?!もう二倍ぐらいあるんじゃないの!?」
「堪能させてよ。…やっと私の誕生日プレゼントになってくれる気になってくれた君を」
「返品したりしたら今度こそ呪うからね」
「ッハハ!…そんな勿体無いこと、絶対しないよ。…ハァーーー…よかったほんとに…いつ『もう会わない』って言われるかヒヤヒヤしてた。…カマかけても全然記憶あるそぶり見せないし」
「ふふ。主演女優賞でも狙えるかなぁ」


くふくふと意地悪く笑ってやれば頬を膨らませた傑がこちらを見上げてくる。すべすべの頬に手を寄せて顔に流れた髪を耳にかけた。


「傑に、ずっと言いたかったことがある」
「……なんだい。小言でも、説教でも、…なんでも聞くよ」
「………お疲れ様、がんばったね」


頭を優しく撫でると、顔をクシャッと歪めた傑がまた私の胸元に縋り付いてくるから内臓が変な音を立てる。まるで子供をあやすように、まあるい頭を撫でて抱き締めてやった。


「……好き、傑」
「…もっと言って」
「……この続きはベッドの上がいいなあ。今日はなんか、ぐちゃぐちゃに乱れそうだから」


バッと飛び起きた傑が鳩が豆鉄砲を食ったような顔しているのがなんだか可笑しくて、両腕を差し出して「連れてって?」とせがむ。勢いよく身体を持ち上げられて忙しなく大股でベッドまでズンズン突き進んでいく傑のはだけたバスローブを脱がせにかかれば待ってと咎められた。

少し雑にベッドに放られて、勢いよくバスローブを脱ぎ放った傑に、いつもみたいに拒絶する間も無く噛みつかれるようなキスをされて、私もそれを受け入れた。久しぶりのキスだけで、蕩けてしまいそうなほど気持ちが良くて、愛おしさが溢れ出す。


「好きよ。…すき。傑、ずっと、愛してた。…今もこれからもずっと、愛してる」
「……今日は私が満足するまで、ずっと好きって言って」
「満足する時が来るの?」
「こないかも。だからずっと言ってて」



また面倒くさいメンヘラ女のような言葉を吐いた傑には、思わず笑ってしまったけど、そんなことさえも愛おしくて、本当はずっと傑とこうしたかったの、と甘えてみれば興奮した傑に朝まで離してもらえなかった。



2022.02.03 Happy Birthday