海老天と伏黒さん

*少し捏造あります。



十二月三十一日、一年の総振り返りのように流行した曲を代わる代わるアーティストが披露して行く歌合戦をBGMに垂れ流しながらこの年末はすごい忙しかったなあ、と振り返る。恵くんの育児で出席できなかった授業なんかの講義ノートを同じゼミの子に頼み込んで何とかゲットしてコピー室で永遠にコピー用紙を消費する一日であったり、寒さが本格化したせいで風邪をこじらせて熱を出した恵くんを一晩中看護したり、恵くんのお誕生日をお祝いしたり、クリスマスを盛大にお祝いしたり(伏黒さんの目が終始死んでたことは言うまでもない)、一年間溜まりに溜まった汚れを払うため家の中を隅から隅まで掃除したり、とにかく忙しい日々を送っていた。

そんな慌ただしい年末も残すところあと数時間、眠そうに船を漕ぎ始めた恵くんを伏黒さんが寝かしつけに行ってリビングにはさっきまでの喧騒は何処へやら、聞き覚えのある歌を披露する歌手の歌声だけが室内に響いていた。散らばったおもちゃを片付けていれば音を立てずに伏黒さんがリビングまでやってきて突然現れた巨体にびくうっと肩をびくつかせてしまう。


「びっっくりした…恵くんもう寝ちゃったんですか?」
「部屋連れて行くまでに寝てた」
「いつもより寝る時間遅くなっちゃったからかな…あ、年越しそばでも食べます?」
「オマエまだ食うのかよ」


あー、そんなこと言う人には作りませんから、なんて言いながら鍋にだし汁と適当な配分で入れた調味料を一度かき混ぜて火にかけ、沸々と湧き始めるのをじっと待つ。バタバタしたけどなんだかんだ楽しい年末だったな、なんて数日前までの出来事を反芻して一人笑みを漏らした。

いや〜〜伏黒さんのサンタ姿マジで傑作だったな〜〜でかあっ!人相悪!全然優しそうじゃないじゃん!サンタに謝って!ってゲラゲラ笑ってしばかれたのは痛すぎて死ぬかと思ったけど。頭かち割れそうなくらい痛くて、数分身悶えて「脳筋ゴリラ!」って悪口言ったら頭掴まれてほんとに脳漿ぶちまけるかと思った。


「おい沸いてんぞ」


私の頭が?と思ったけれど、沸いていたのは鍋の中だった。出汁の風味が飛んじゃう!なんて思ったけれどどうせ食べるのは自分と伏黒さんだしまあいいかと失礼なことを考えながら年末無駄に値段が上がる年越し蕎麦と銘打たれたいつもと同じ蕎麦にしか見えないスーパーの、ちゃちなビニールに包まれたそれを力一杯開けてぐつぐつ泡を滾らせている鍋に放り込んだ。鍋の中で絡まる蕎麦の先端だけがゆらゆらと踊っているのを見届けて、キッチンタイマーのボタンを押す。すっかり冷えてしまった海老天をトースターにぶち込んで、わさびと晩御飯作る時についでに準備していた薬味を小皿にあける。「伏黒さーん持っていってー」私の声に反応してでかい巨躯をのっそのっそと揺らしながらやってきた伏黒さんの大きい手に包まれた小鉢がやけに小さく見えてミニチュアみたいで笑ってしまう。絡まりが解け始め一本一本が鍋の中で自由にダンスし始めている蕎麦を一度かきまぜれば後ろでトースターがチンと焼き上がりを主張した。

先日買いに行った、たぶん初めてのお揃いの食器であるどんぶりを食器棚から取り出してキッチンタイマーを確認すれば残り10秒、もういいか、とまだ残り8秒残っていたそれを強制終了させてもうもうと湯気をたぎらせるお出汁と一緒に茹で上がった蕎麦をどんぶりに放り込んでいく。少し伏黒さんにはおまけしてあげようと私より蕎麦の分量が多くて嵩高くなったてっぺんに温まった海老天を乗せてダイニングテーブルに持っていけば、お利口に座って待っている伏黒さんが着物を着た演歌歌手が熱唱しているテレビをつまらなさそうに見つめていた。

「できましたよー」
「……おー」

もわっとした湯気を浴びて霞に揺れる伏黒さんはてっぺんに乗る海老天をほぼ一口で口の中に放り込んだ。私はてっぺんで存在を主張する海老天を端に寄せてズルズル、と蕎麦を啜る。焼き直ししたおかげでカラッとした衣の天ぷらが出汁に浸かってくたっと力なく沈んでいくのを拾い上げて口に含めは、じゅわ、と出汁が口の中で広がって幸せに包まれる。


「ん〜我ながらうんま〜」
「…海老天はカラッとしてんのがうまいんだろうが」
「ええ?うそ、絶対出汁吸ってベチャベチャになった方が美味しい」
「…あいつもそんなこと言ってたな…、」
「あいつ?」


懐かしむような伏黒さんの言葉に思わず聞き返してしまったが、ハッとしたように目を見開いてすぐに苦虫を噛み潰したような顔をした彼にこちらも心臓をつままれたような気分になった。突然流れた気まずい空気を断ち切りたい。目の前の彼がまた深淵を覗くような表情をするのが嫌で、必死に言葉を紡ごうとする私は滑稽そのものだった。


「…だって、天ぷらをお出汁にひたひたにして食べるのは全国共通の一番美味しい食べ方ですから、そう思う人は多いですよ、伏黒さんがわかってないだけです」
「………ハッ、そうかよ」
「そうです。ほら、早く食べないと年越しちゃいますよ」
「まだあと一時間以上あるわ馬鹿」
「あと一時間か〜今年は濃い一年だったなあ誰かさんのおかげでー」
「うるせえな。オマエの方こそあいつにデレデレの一年だっただろうが」
「だって恵くん可愛いんだもーん誰かさんと違ってー」


あー、恵くんほんとに私の子供になってくれないかなー?と言ってしまってから、はたと気づいた。私、いま、何つった???


「なんだそれ、下手なプロポーズかよ」


ふは、と笑った伏黒さんはいつもみたいに可笑しそうに笑っていた。私たちの間にはさっきまでもうもうと滾っていたはずの湯気はすっかりなくなってしまって、お互いを一枚隔てるような霞は何処へやら、クリアな視界が広がっていた。私は赤く染め上げてしまった顔を隠しようがなくて、どうすればいいかわからない。


「………は、オマエ何だその顔」
「ぷろ、ぷろぽーずなわけないでしょっ?!だ、だだだだれが伏黒さんみたいな将来性のかけらもないヒモとけっけけけけっこんなんて!」
「いや吃りすぎだろ」


ふーん?なんて意味深に顎に手を当てながらニヤリと笑ってこちらを見つめる伏黒さんのエロさときたら、もう鳥肌が立つくらいだった。強い。顔面が強すぎる。やだ、むり、こんなの直視できない誰か助けて。


「なに、ふーんって、本気にしないでよ、冗談に決まってるでしょ馬鹿なの?こっち見ないで!」
「オマエって焦ると馴れ馴れしくなるよな」
「は、はあ?!焦ってないし?!」
「はは、誕生日におもしれーもん見れたわ」
「見せ物じゃないんだけど?!……え、た、誕生日?」


大晦日が?誕生日?そう聞き返す私に残った蕎麦を啜り上げながらそー、と応答してくる伏黒さんに何でそんな大事なこと今更言うの?!と抗議した。


「はァ?俺の誕生日なんてどうでもいいだろ」
「どうでもよくないですよ!誕生日って、一年で唯一自分が主役になれる日でしょ?…私も最近は誰かに祝われた記憶ないけど…」


自分に特異な能力がないと思い込んだ瞬間期待外れだと途端に関心のなくなった親を思い出してそういえば誕生日を祝われなくなったのは何歳からだっただろうかと反芻して、やめた。
とっくに食べ終わったのか、丼の上に箸を乗せて眉間に皺を寄せて耳の穴をほじくる伏黒さんは本当に自分の誕生日なんて心からどうでも良さそうな態度で、少しやるせなくなった。
今年が終わるまであと一時間と少し。ケーキでも買いにコンビニ行きましょうか?と言えば女がこんな時間に外に出るなと呆れられる。…たしかに。伏黒さんに正論説かれるとは思わなかった。さすがに恵くんを置いて二人で外に出て行くわけにはいかないし、伏黒さん本人にコンビニに欲しいもの買ってきたら?なんて情緒のないこというわけにもいかない。うんうん唸っていれば呆れた表情を浮かべた伏黒さんが長い人差し指で私のどんぶりを差した。


「ソレ。出汁でひったひたになったまずそうな海老天くれ」
「─は?」
「全国共通の一番美味い食べ方なんだろ?俺にも味わわせろよ」


蕎麦が少なくなった出汁の海で泳ぐ海老天は天ぷらがふやけて海老の身が脱皮しかけていた。…これ?こんなのでいいの?口を大きく開けて待機している伏黒さん…あーん、しろと?今にも崩れ落ちそうな天ぷらが剥がれないように丁寧にお箸で挟みとって、彼の古傷がついた口元に運べば、さっきと同じように一口でお箸の先端ごとパクリ、と飲み込まれて行く。あ、まって、これっていわゆる、か、間接キスって奴なのでは?自覚した途端差し出したまま彼の口内で繋がるお箸を持つ手が震える。顔を顰めながら海老天を咀嚼する彼を見つめていることしかできない。


「…やっぱ海老天はカリカリが一番だわ」


んでもま、ごちそーさん。舌で唇をぺろりと舐め上げて不敵に笑ってみせた伏黒さんのせいで、体内の血液が沸騰したみたいに一瞬で頭までのぼせあがった。


「伏黒さんのエロ魔神!」


なんて幼稚な暴言だ。もう伏黒さんの口に一度招き入れられたお箸でなんてとてもじゃないが蕎麦を啜れない。私を馬鹿にしたように高らかに笑う彼とは対照的に項垂れる私の下で海老天から流れ出た油の浮かんだ出汁の海に沈んだ蕎麦の残りが出汁を吸ってふやふやにふやけていた。…海老天と違って全く食べる気にならなかったのは、言うまでもない。





Happy Birthday
2021 12 31

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