春の陽だまりの中で

「悟のご飯、おいしい」
「僕なんでもできるからね」


…そもそもすき焼きなんて素材がモノを言う料理、僕が作らなくてもうまいだろうけど。バカみたいなスピードで味わうこともせず胃袋に飲み込んでいくなまえにはもったいないほどの霜降りの牛肉がぐつぐつと煮えたぎる鍋の中に放り込まれてはなまえのでかい口に吸い込まれていく。
誰も取りやしないのにカチャカチャと大急ぎで飯をかき込むなまえは頬をぷっくり膨らませておいしいおいしいと満面の笑みで鍋から具材をさらっては茶碗を傾けていく。…A5ランクの肉が勿体無いなんて嘘。溶けそうなくらい目を緩ませて、頬を上気させるなまえが見られるなら牛一頭どころか三頭ぐらい買ったってお釣りがくる。やっぱりこいつの食ってる顔一番可愛い。暇なんて全然ないのにわざわざ時間使ってまで飯作るのはこの顔見たさで、高専入学前からは考えられないくらいすっかり人格が変わったような変化が起きたなと思うと自分でも笑えてしまう。
なまえがはふはふと口の中の熱気を逃しながら顔にかかる髪を耳にかける仕草をなんとなく見つめる。すっかり見慣れてしまった肩口で揺れる髪を見るたびに突然髪をバッサリ切り落としたなまえを思い出してため息が漏れてしまう。


「…さふぉふ?どうひふぁの」
「……まず飲み込んでからしゃべったら?」
「ん、……悟、怖い顔してる」
「なまえが馬鹿なせい」
「酷くない?」


悟もお肉食べな?ほらあーん、そう言って珍しくなまえが自分の茶碗の中にキープしていた肉を僕に寄越した。絡み合った溶き卵とタレがテーブルに落ちていくのも気にせず眼前に突きつけられるそれを口を開けて迎えに行けば「美味しい?」となまえが微笑む。可愛い。ショートヘアだって別に似合ってないわけじゃない。正直顔の小ささが強調されて普通に可愛いし、ロングヘアだった頃には見えなかった頸とか鎖骨とか見えて普通にエロい。なのになんで僕がこんなにずっとなまえのショートヘアに不快感を寄せているのかと言えば、なまえが髪を切ったきっかけだ。
あいつはそんなことないと頑なに否定するけど、絶対に髪を切ったきっかけは傑の離反だという確信があった。



『切っちゃった』

ずっと放置されていた傑の部屋を片付けたあとふらりと消えたなまえが腰まで揺れていた髪を切り落として帰ってきて、驚愕する僕の目の前でそう言ってへらりと笑ってみせた。なまえを拾った瞬間から、今日に至るまでくるくる変わる表情と一緒にふわりふわりなまえの背中で揺れていた、眩しいくらいに輝いて見えていたなまえの何度梳いたかも覚えていない髪が無くなってしまったことに胸が焦げつくほどの喪失感を覚える。傘の中で日光を遮りながら風を受けてたなびいてたそれ、月の光に照らされて夜の景色の中にいつも浮いているように見えるなまえの長い髪が好きだった。僕にとっての『春』の象徴だった。


『似合ってない。全然。ほんと。長い方がよかった』
『………そっか、それは残念』


口をついてでた攻撃的な言葉を否定も不快感も表さずに受け流したなまえの表情ときたら。憂いを帯びるような見たこともない大人びた表情を浮かべるなまえが、いつのまにか僕の知らない女になってしまったみたいだった。





「ねえなまえ」
「ん〜?」
「………髪伸ばしてよ」
「……、またその話?そんなに似合ってない?」
「似合ってる似合ってないじゃなくて、なまえの長い髪が好きなの僕は」
「…ふーん、」
「……おねがい、なまえ」


思ったより、懇願するような色を孕んだ僕のおねだりに一瞬目を見張ったなまえは鍋から取り出した肉を溶き卵にダイブさせた手をそのまま口まで持っていくのだろうと思っていたのにそこで止めてしまった。


「…悟はどんな私でも可愛いっていうのかと思ってた」


口を尖らせて拗ねたように毛先をいじるなまえは結構自分では気に入ってるんだけど、戦ってる時も楽だし、なんてごにょごにょ言ってこちらにチラチラと視線を送ってくる。なんだよそれ可愛いかよクソが。びっくりしすぎてサングラス割れるかと思ったわ。…っていやいや違う違う絆されるな。


「かわ…っいいか、かわいくないかで言うと、かわいい、けど」
「…けど?」
「…………オマエが髪切った理由に僕以外の男がチラチラ垣間見えんのがムカつくの!なんで傑の部屋片付けたあとすぐ切んだよ!!見え見えじゃん!あー、なんか思うところあったんだな!って匂うじゃん!匂わせてくるじゃん!やなの!なまえがアクション起こす理由は常に僕であって欲しいの!
………それになまえの髪が風に揺れて太陽の下に出てきてキラキラしてるのも好きだし、なまえが戦闘中暴れ回ってる時も髪の毛ひらひらさせてんの見るのが好きだったの!一緒に寝てる時髪触りたいし指に巻きつけてクルクルしたいの!わかる!?」


一度口をついて出たら留まる所を知らなかった本音を勢いのままに吐き出せば、いつもの二倍ぐらい目を見開いた目をぱしぱしと瞬かせていた。


「…………あは」
「……やめろその顔バカにしてんの?」
「んふ、…ふふ、んーん、悟ってほんと私のこと好きだね」
「………悪いの?」
「悪くないよ」


私も悟のこと好きだから、と頬を染め上げながら優しく笑うなまえの表情に、強い風がざあっと木々を揺さぶるみたいに心がざわざわとした。








突然何年も前の、だけどつい最近のことのようにも思える一幕を思い出したのは、風呂上がりにドライヤーを構える僕になまえが体を預けながらされるがまま、腰まで伸びたまだ濡れた髪を乾かしてやっている最中に、肩や首筋に張り付く桜色がやけに扇情的に目に映ったからかもしれない。ゴーゴーと爆音を立てながら凄まじい風圧に押されてで空中で踊るなまえの髪に室内の照明が反射してキラキラと煌めいていた。水分が飛んで軽くなった線の細い髪を手櫛で梳いてやれば指通りよく毛先までするすると解けていく髪が気持ち良くて指に巻き付けて遊んでみる。完全に髪が乾き切ったのを指感触で確認してドライヤーを切ればなまえが気持ちよさそうに「いい匂い〜」と鼻をスンスンと鳴らしていた。


「ん、おしまい」
「ありがとー、気持ちよかった」
「なまえ」
「ん?」
「…髪、伸びたね」
「え?あぁ……うん、今が一番長いかも」
「綺麗だよ」


背中をこちらに向けていたなまえが風呂上がりで少し上気した頬を嬉しそうに緩ませて抱きついてくるのを易々と受け止める。
さっきまで水分を含んで体に沿って流れていた長い髪が乾かしたことでゆるく体周りを纏うような形に広がっていて、キャミソール一枚しか身に付けていない身体を隠すように桜色の帳が下りているみたいだった。一房髪の束を掬えばなまえが「本当に髪好きだね」と可笑しそうに笑う。─オマエは全然わかってない。髪が好きなんじゃなくて、オマエの感情が乗ってるみたいに悲しそうだと一緒に震えて、楽しそうなら笑ってるみたいに大仰に揺れる、唯一無二のこの髪が好きなんだよ。


「……僕の恋の象徴みたいなものなんだ」
「ふふ、そこまで言われると伸ばし甲斐があるね」


毛先が座っているソファに届くぐらいの髪をまとめて片側に流した瞬間にふわりとドライヤーの前につけてやったヘアオイルの匂いがこちらまで香った。露わになった首元の白さと相まって思わずむしゃぶりつきたくなってしまいそうな強烈な色香が漂ってきてクラクラする。


「ずっと長いままでいてほしいな〜」
「…手入れするのすごく大変なんだよ」
「だから手伝ってるじゃん」
「悟にドライヤーしてもらえるの好き」
「僕もなまえの髪の毛触るの好きだからウィンウィンだね」
「…ん、」


なまえがソファに膝を立て、僕の肩口に手を当てて近すぎる距離で見下ろしてくる。サラ、と片側に流れた髪が僕の方まで包み込んでくるみたいにパラパラと降ってきた。なまえの腰に腕を回して抱き寄せればちゅ、と軽く唇を寄せられてより強く腰を引き寄せればそれが合図みたいに啄むようなキスだったのが、
ねっとりとお互いの唇を押し付け合うように触れ合って、こちらに垂れてくる髪をなまえの耳にかけて、そのまま後頭部に手を差し入れて舌を絡ませ合う。お互いの唾液を交換するみたいにこれ以上繋がれないくらい密着すれば、風呂で高まった身体はいとも簡単になまえにもっと触れたくてたまらなくなった。離れ難くて、せっかく乾かしてトリートメントとオイルまでつけてやった髪をぐしゃぐしゃと掻き乱すくらいにむちゃくちゃにして引き寄せる。


「さとる、」


目尻をトロンと垂らせて舌ったらずになったなまえとの間に透明な糸が繋がる。寝室まで行く手間さえ億劫でソファの上に沈み込ませれば、なまえの髪がソファに散らばってそれがなんて表現すれば伝わるのかわからないくらい美しかった。


「なまえ、好きだよ」
「私も好き」
「愛してる」
「…私も、あいしてる」


好きだというときは嬉しそうに微笑むくせに、愛してると伝えると照れたようにくすぐったそうにするなまえに感情が爆発しそうになる。

「ん、さとる、きて」

こちらに差し出す両手に招き入れられるみたいに、気づいたらなまえの腕の中にいた。
体がソファの中に沈み込むぐらい覆い被さってなまえの体に触れれば、もう抜け出せない海の底に引き摺り込まれて溺れていくような感覚に背筋が粟立ったが、もう今更だった。


「………愛してる」


他にもっとオマエへの愛を伝える言葉がある気がするのに、それしか紡げないことが歯痒い。身体の中で暴れ回らんとするこの感情を一発で昇華できる言葉はきっとこの世にないから、何度も小出しにして発散させることしかできない。


「わたしも、あいしてる」


だけど、愛の言葉を僕の口が溢すたびに何度も何度も嬉しそうに、幸せそうにオマエが笑ってくれるなら、一言でこの感情を言い切る言葉を見つけるよりきっとその方がいいんだろう。






椿さま、この度はリク企画にご参加くださりありがとうございました…!リクエストいただいてから半年以上も時間がかかってしまって本当に申し訳ありません…!
最後の最後のリクエストに開設当初から連載している闇い夜に煌めくはの番外編でかつ甘いお話を書かせてもらえて、なんだか感慨深いなあと思いながら書き上げることができました。
夜兎主が好きだと言ってもらえてすごくすごく嬉しいです…!本当にありがとうございます。
たくさん闇い夜に煌めくはの番外編を書かせていただく機会をいただけて、椿さま、並びにリクエストくださった皆様に感謝申し上げます。

椿さま、素敵なリクエストありがとうございました。


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