Act 2-7

「はあ、ゲトウさん、ですか?」

慌てて追いかけた女性の怪訝そうな表情に面食らってしまった。私の頭の天辺から爪先までジロジロと何往復もさせたあとにそんな知り合いはいませんと不審者を見るか如く私を見つめるその瞳に嘘は見受けられなくて、本当に覚えがない相手に声をかけてしまっただろうかと内心焦る。
まさか、勘が鈍った?いや、違う。目の前の女性の肩口からお腹周りにかけて呪霊がいた気配があるし、なによりその上から上書きされているような気配は絶対見間違うはずない、夏油の残り香だ。


「………えっと、きれいな長い黒髪…いや、長さは今わかんないか…、眼が切長で、えっと、肩幅が広くて、背が高くて、耳に大きなピアス…いや、耳たぶが大きくて、……」

夏油の特徴を伝えようとして、彼がもう私の知ってる夏油じゃなくなっているかもしれないことに今更気付いた。よく知っていたはずの夏油の特徴さえ説明できないことが歯痒くて思わず唇を噛み締めてしまう。

「……あー、もしかしてあなたあの宗教団体関連の人ですか?」
「……宗教団体…?」


こちらを訝しむ視線を相変わらず送る女性にはどうやら私の言った特徴の男に思い当たる節があるようだったので、必死に懇願した甲斐があったのか、重々しく口を開いてくれた。ここ数日病院に行っても原因不明の体調不良を訴えていたことを心配した彼女の知人のそのまた知人が出入りしている宗教団体の代表がそういった人間を救済しているということを聞きつけ、その知人に連れられるがまま行ったところにいたのが私の言う特徴に似た男だったらしい。男と少しだけ会話したらずっと感じていた体調不良があっという間によくなり、逆に恐ろしくなってしまってもう近づきたくないし関わりたくないとの話をしてくれた。
…おそらく、ビンゴだ。宗教団体の代表?そんなことしてたの?呪いの憑いた非術師から呪霊を取り込んでいたのだろうか…あのクソマズイ呪霊玉まだ飲んでるんだ………、
その宗教団体の場所を教えてくれないかと言う私の必死さが伝わったのか、女性は相変わらず怪訝そうにはしていたが覚えている範囲でその宗教団体の特徴を語ってくれた。車で行ったから住所までは覚えていない、と大体車に乗っていた時間を聞いて、女性とは別れた。かなり範囲は広いけれど、虱潰しにそういう施設を探し回るしかないか。
ー…、なんだろう。胸がザワザワする。十年。十年間何の音沙汰もなく消えていた彼が生徒に接触してきたり、接触した非術師をたまたま見つけたりするなんて、突然彼の存在を強く感じることに違和感を覚える。何か、大きなことをしでかすつもりなのかもしれない。なんだろう、非術師の虐殺でもするつもり?ならなんで棘と憂太に近づいたんだろう。


「非術師皆殺しにするならまずは私から殺しなよ」


どうしたって届かない言葉が闇い夜に、人の波に吸い込まれるように消えて行った。







びゅうと吹く風がずいぶん冷気を伴い始めた。つい最近夏がやってきたと思っていたのにいつの間にか秋になったどころか冬さえすぐにやってきそうだ。年々季節のサイクルが早くなっていく気がする。

季節が変わっても相変わらず口を開けば乙骨を何とかしろやら釘を刺してくる老害共が鬱陶しくてたまらない。交流会でちょこーっと暴れてしまったとはいえ、少しは若人の成長見守るってことができないのかねー?あーヤダヤダ。年取ると皮膚の水分と一緒に新しいものを受け入れる許容量も減るのだろうか。


「はあー。ほんと頭でっかちな老人共は困っちゃうね、なまえ」
「んー、そうだねー」
「憂太も交流会からちょっと下がり気味だしなまえ体術訓練よろしくね」
「…うん、そうだねー…」
「…………ね、僕って今日もナイスガイで最高だと思わない?」
「…んー、そうだねー……」
「………」


最近なまえの様子がおかしい。上の空だし、なまえのくせにやけに考え事してるし、今だって飯食ってるはずなのにいつものように目を爛々とさせてない。無心で手を動かして食べ続けているのはもはや本能で動いているのだろうか。なまえの生態については出会って十数年経っても謎な部分が多い。やけにぼーっとしてるのもそういう気分なのかと初めの頃は放っておいたが、こうも毎日生返事を返されるとさすがにイラッと来る。
任務も最近帰ってくるのが遅い。というか伊地知が言うには同行した補助監督を任務が終わった後先に帰してその後自力で帰ってきているらしかった。


「ねー、なまえ。最近任務の後何やってんの?」
「んー?うん、そうだねー…」


表情一つ崩すことなく相変わらず心ここに在らずななまえの態度にだんだん腹が立ってくる。絶対聞いてないじゃん僕の話。え?何?今までこんなことあった?まさか……浮気でもしてんの?え?なまえが?あのアホのなまえが浮気?交際が始まってもうすぐ八年。巷でいう倦怠期なんてものとは無縁なラブラブな毎日を過ごしてきたはずだけど、ここへきて浮気?嘘でしょ?用意周到に五条家その他諸々に根回しして下準備も済んでるのにゴールイン目前でこいつ何やってんの?ていうかこの馬鹿力体力馬鹿ゴリラと付き合える男って僕以外にいる?誰?しかも戦闘狂のなまえの好みのタイプは『わたしより強い男』だ。そんなのこの世界に数えるくらいしかいない。セックスの相性だってバッチリ。なんなら初体験が僕なせいでなまえは僕のサイズを標準だと思ってる。そこらのへにゃちんで満足できるはずがない。……いや、冷静に考えて浮気はない。まずこの馬鹿にそんな器用なことできるはずないし、僕より強い男なんてこの世にいないので浮気相手足る人材がいない。とはいえこんなに上の空になる原因が自分以外にあるというのが癇に障る。


「……なまえ」
「!は!え!なに?」


少しばかり怒気を孕ませて名前を呼べばようやく僕の機嫌が良くないことに気付いたのか自分と同じ青の瞳がこちらを向いた。


「なんか僕に隠してない?」
「……へ?」
「ここ最近上の空でしょ」
「や、夏油のアジトがなかなか見つかんないなって。もしかしてわたしの探し方効率悪いのかなーって…」
「………は??」
「………え??」


今何つったこいつ??傑のアジト???は??何してんのとは思ったけど本当に何してんのこいつ??
傑のこと探してたの?急に?もしかして棘と憂太に、接触してきたから?何の手がかりもなく?突然何やってんの馬鹿なの??一切報告どころか相談も受けてないけど?何キョトン顔してんだよマジで。


「僕、何も聞いてないけど?」
「…え?うそ?言ってなかった?ホラ憑いてた呪霊取り込まれたのか夏油の気配が残った女の子偶然みかけて、その子が夏油っぽい人間と会ったっていう宗教団体探しててー、って話」
「………初耳中の初耳なんだけど」
「………嘘でしょ?…そういえば、探すのに必死で言うの忘れてたかも」


あれれー?言ってなかったっけー?なんて能天気な顔をしているなまえの態度にさらに苛立ちが増す。傑の居場所なんていう最重要案件僕に報告してなかったことも腹立つけど僕の目の前で今まで傑のこと考えてたっていうのが一番腹立つ。あははー、なんて笑っているなまえを何も言わずに見つめていれば僕が怒っているのが伝わったのか肩を縮こませ始めた。


「…ご、ごめん。そんな怒んないでよ」
「お前の頭の中今までずっと傑でいっぱいだったってことでしょ?…ねえ僕のことそんなに怒らせて楽しい?」
「は、はあ?!なんでそうなるの?夏油が何かやらかさないかって心配してるの!生徒が巻き込まれるかもしれないんだよ?」
「ヤダ。なまえが別の男のこと考えてるのが許せない。」
「!…な、なに急に…男って…夏油だよ?」
「お前が僕以外の要素でアクション起こすのって大抵傑じゃん。傑がいなくなってわんわん泣いてたのも、長い髪切ったのもムカついたし」


目をまん丸に見開かせて驚いた様子のなまえはすぐに視線を逸らして気まずそうな表情を浮かべた。髪の一件で一度小さな喧嘩に発展したことを思い出したのか、「あれは、別にそういうんじゃないって言ったじゃん」と口を尖らせている。


「…とにかく一人で探さない!もし一人の時に傑のこと見つけたらお前どうすんの?……傑のことは僕がやるって十年前言ったよね」
「……それは、」
「あの時もお前非術師巻き込んだの覚えてないの?帳もおろせないなまえが街中で傑とやりあうのは分が悪すぎるでしょ」
「…………、」


それは確かにそうだね、と小声で不満そうに溢したなまえは不機嫌さを隠さない。眉間には深い皺が刻まれておりぶすっとぶうたれている。ホンット負けず嫌い。気も強いしゴリラだしなんでこんなの好きなんだろうと思わなくないけれど、そんなところも未だに可愛く思ってしまっている自分に呆れてしまう。十年以上前の夏の日、呪霊の中から飛び出してきた出会いから存在から全てがぶっ飛んでるこの女のことがどうしても好きで堪らないのだ。自分の知らないところで死ぬかもしれないと思うと、自分の中には無いと思っていた恐怖さえ感じるくらいには。



「…傑のことは僕に任せて」
「………わかった」


納得いってなさそうな声色だったが、軽率だった、勝手に動いてごめんね、と呟くなまえの表情には反省の色と一緒に焦燥感のようなものさえ浮かんでいて、きっとなまえも感じているのだろうと思った。長い長い青春の幕が下りるのがもうすぐだということを。




prev next