慈善活動始めました

一夜明けてー、いや、恵ちゃんの夜泣きが凄まじすぎて、一夜明けた感がない。
ピピ、と特有の機械音の後細長い体温計を小さな身体から引き抜いて、そこに表示された体温に安堵する。昨日の『お願い』が効いたのか、それともこの子の回復力のおかげかはわからないが。
全身に赤いポツポツができているのが可哀想だが、昨日のお医者さんの話を思い出してその言う通りになっていることに現代医学ってすごいなあ、と感心した。
あの男性ー、昨日の病院で呼ばれていた名前は伏黒さんだったが、まだ自己紹介を受けたわけではないので男性と呼ばせていただくー、かなり疲れた様子だったけど少しは休めているだろうか、なんて思いながら私のは恵ちゃんを抱っこしながらパソコンでオムツの替え方を調べていた。


昨夜はリビングのソファで寝ていたのだが、何時間かおきに起きる恵ちゃんの泣き声と、男性がミルクを作りにかリビングにやってくる音で全然寝られなかった。段々男性の馬鹿でかい舌打ちが聞こえるようになり、これはやばい!と明け渡していた寝室をバーンと開いて侵入すると男性は床に座り込みながら耳を塞いで放心状態で、恵ちゃんは今にもベッドから落ちそうなほど暴れていた。ーヤバ。


「私!恵ちゃん抱っこします!貴方疲れてます!寝てください!!」


呆然としながら、口を開けて私を見る男性の顔は間抜け面もいいところだったが、また暗黒オーラを背負っていた。なんなら恵ちゃんを見つめる目が死んでいた。…なんとなく、あんまりよろしくない目だと思った。そりゃあ、疲れる。たまにニュースになる凄惨な事件も、あってはならないことだけどなんとなく理解できた。一日目の私でさえ参りそうだったんだ。今生まれてからどれくらい経つのかも知らないが、小さな赤ちゃん一人抱えて男の人が仕事をしながら育てるのはさぞかし大変だろう…とりあえずこの人には一先ず寝てもらうべきだ。私の家でよくテレビで取り沙汰されるような事件起こされちゃ、たまったものじゃない。

「お仕事何時からですか?寝る時間あります?」
「……休みだ」
「そうですか!私も今夏休みなので気にしないで休んでください。」
「…………助かる、」

恵ちゃんのお父さんは私の夏休みという単語に少し怪訝そうにしたが、もうすでに脳が考えることをやめていたのか今にも眠りに落ちていきそうだったので、恵ちゃんを抱き上げて寝室を後にした。
泣き疲れたのかすんすんしながら瞼を閉じる恵ちゃんの顔に出ている湿疹が可哀想だ。…それにしてもこの子、顔が良い。いや、赤ちゃんって可愛いものだからこんなものなのかな??いや、でもまつ毛もべらぼうに長いし、鼻筋も赤ちゃんなのにスーッと通っていてまるで外国の赤ちゃんのようだ。昨日笑った顔を浮かべたお父さんの顔を思い出して、「お父さんがイケメンで良かったねえ」と小声で呟けば、恵ちゃんが眉根を顰めた。え、うそ。もうお父さんのこと嫌いなの?女の子ってませてるって言うけどこんな小さい頃からお父さんのこと嫌いなの?お父さん一人で恵ちゃん育てるの大変なんだよ〜?嫌わないであげてねえ、なんて内心思いながらゆらゆらゆっくり揺らしていれば恵ちゃんからすーすー、と規則的な寝息が聞こえてきて私もホッとした。



「ぁあ〜〜ッ!!!!」
「起きるなり元気だねえ。待ってね、おむつかな〜??」

恵ちゃんがおとなしく寝ている間にネットで漁れるだけの情報を漁った。ミルクの作り方や、昨夜先生が言っていた突発疹について、おむつの変え方など。そしてむずがりながら起きた恵ちゃんにインプットした情報を今!と言わんばかりに意気揚々とぐっしょり濡れたおむつを剥がした瞬間私の脳は思考を停止した。


「ひぇ?!?!」

えっ?!今の何?!えっ?!め、恵ちゃんって女の子じゃないの?!股間に何かがついている…!!!!!パニックだ。見てはいけないものを見た気がして剥がしたオムツを慌てて元に戻したら恵ちゃんがギャン泣きした。ごめん、ごめん。でもお姉さんちょっと今脳が働いてないの。え、待って待って、恵ちゃんってもしかして恵くんなの?!?!?!


「あ?何だお前男の股間見たことねぇのか?」
「キャーーーーーー!!!!!!!」


寝ていると思っていた人間がいつの間にか真後ろにいるって何てホラーなの?!?!


「うるせえな」
「びび、びびびびっくりさせないでください!!」
「宇宙人かよ」


私から新しい紙おむつをふんだくり手慣れたように恵ちゃ…くんのオムツを変え始めた男性に起こしてしまったかと少し申し訳ない気持ちで声をかければ表情を変えることなく少し顔色の良くなった表情で「いや、十分寝た」と言うので胸を撫で下ろした。変え終わったオムツをゴミ箱に捨てた男性になんだか随分人の家の勝手を把握するのが早い人だなと思いながら昨夜の話の続きをするべく「あの、」とためらいがちに声をかける。


「なんだ」
「えっと、昨日のことですけど、あー、その、まず名前は?」
「伏黒甚爾だ」


ようやく名前を名乗った伏黒トウジさんにほっとする。


「みょうじなまえです」
「あー、その、悪ぃな、お前も昨日休めなかっただろ」


昨日無茶な難題をふっかけてきた人物と同一とは思えないほどしおらしい振る舞いをする伏黒さんになんだ、昨日は寝不足で頭おかしくなってたのかな?と少し気分が向上した。


「大丈夫です。私は一日二日くらい。お父さん一人じゃ大変ですね子育て。恵ちゃ…恵くんお熱下がりましたよ!頑張ってくださいね」
「?しばらく世話になるつったろ」


いやっっ、やっぱり居座る気満々なんかいっ!!内心激しくつっこんだ。名乗ったからいいかとでも思ったのか大きな荷物の荷解きを始め出す伏黒さんに私は激しく慌てた。ちょっっっと待て。なんでそんなに手慣れてる?普通他人の家にお世話になる時って申し訳なさそうにしたり最初にルール決めたりいろいろすることあるでしょ?!なんで人のクローゼット勝手に開けて服入れてるの?!信じられないんですけど!!!!
も、ももももしかしてこの人この手のプロ?健康保険証ないのももしかして住所不定で渡鳥よろしくいろんな家渡り歩いてきたとかじゃないよね??こういうのなんて言うんだっけ……


「…ヒモ……?」
「ああ゛?」
「ヒッこわい…」
「ヒモの何が悪い」


エッ…???嘘でしょ?こんな開き直り見たことないよ?「ヒモの何が悪い」…?全部悪いよバカなの?!配偶者や恋人ならまだしも他人だよ私?!厚顔無恥もいいとこだよ!!も、もしかして今日休みって言ってたけど仕事もしてない…??ま…まじかー!!や、ヤバいよこれは!『豪運』仕事して!!この人早く追い出して…!!


「お前若そうなのにいいとこ住んでんな」
「は、はあ…まあ、そう、ですね?」
「仕事は?」
「…一応まだ、学生です」
「親が金持ちなのか?」


ズケズケと人の事情に土足で踏み込んでくる伏黒さんに思うところがないわけではなかったが、たしかに学生が住むには持て余すマンションに住んでいる私は怪しいなと思うところがないわけではないのでムッとしながらも言い返すことはしなかった。


「…伏黒さんこそお仕事は?」
「あー、今は特に無ェな」


今は特に無い、とは???エッ…それってもしや無職ってことですか?嘘でしょ?嘘だよね?嘘って言って。


「働かなくていいんですか…?恵くんどうやって育てるんですか?」
「ハッ働いたことも無ェ学生のくせに一丁前にご高説垂れる気か?お前今まで苦労したことも無ェんだろ。親の脛かじって生きてんだ俺にもかじらせろ」
「は………」


再び怒気を孕んだように、この世の全てが憎いとばかりの暗黒オーラを纏い始めた目の前の男から発せられた言葉に、さすがにカチンときた。私のことよく知りもしないで何よそれ…。筋肉達磨だろうがプロレスラーだらうがヤクザだろうが知ったこっちゃ無いね!この男から逃げるために運を使って、いくらの代償を払わないといけないのか考えると頭が痛くなるけれど、死にはしないだろう。だから、言いたいことを言わせてもらう!!


「私は自分で稼いだお金でこの家の家賃を払ってますし、学費だって自分で払ってます。親には一切頼ってませんししばらく会ってもいません。確かに私は人より恵まれてるところがないとは言いませんが、自分の力で生きてます。あなたにそんな偏見で詰られる謂れはありません!」


ヒートアップしすぎたせいか、小声で話していたのにいつのまにか声を張り上げてしまっていたせいで恵くんがギャン泣きし始めた。申し訳ない気持ちはやまやまだが、今ここで貴方のお父さんを説教しなきゃ気が済まない。…暗い顔をしていたしもしかしたら、子育てでメンタルがやられて鬱一歩手前で私に当たってきたのかもしれない。でも、私はあなたたちの人生に全く無関係の人間で、昨日家の前でたむろされて、警察に突きつけてもよかったのに親切心で恵くんを病院にも連れていったし、一晩宿を貸した。だのにこんなことを言われて黙っていられるほど聖人でもなけりゃ優しくもない。
足が震えそうなほどびびっているが、ここで怯むわけにはいかないのだ、となんとか気持ちを奮い立たせる。赤ちゃんを一人で育てることのしんどさは私にはわからないけど、これからもこの人は一人で育てていかなきゃいけないんだ。たった一晩一緒に過ごしただけだけど、なんの罪もない恵くんが将来テレビのニュースになってしまう日が来るのなんて嫌だし、この人みたいにこの世の全てを諦めたような顔をして生きてしまうのも嫌だ。
たかが一晩宿を貸しただけの私にできることは何もないかもしれない。ムカつくこと言う女だなって殴られるかもしれない。でもなんとなく、今にも消えてしまいそうなほど意気消沈したこの人が可哀想だと思った。本当はそっとしておいてあげようと思った。でもそれじゃあダメなんじゃないかとなんとなく悟った。


「それにこの家の家主は私です!私がルールです!文句があるなら家賃が払えるようになってから言ってくださいッ!」
「……子鹿みたいに足震わせながら言われてもな」
「だって貴方ガタイでかいし怖いんです!」


そうかよ、と言いながら少し笑った伏黒さんの様子に安心する。恵くんもいつの間にか泣き止んでげしげしと伏黒さんのいかつい足を小さなお手手で叩いている。んんっかわいい…。


「……悪かったな、」


罰が悪そうにこちらを見もせずに謝る伏黒さんは少し子供っぽくて全然大人に見えない。仕事もしてない、家もない、お金もない、だけど守るべき小さい赤ちゃんがいる伏黒さんは悪い人には見えなかった。運良く私は広い家に住んでいて、先日売買した株のおかげでお金には余裕がある。通っている大学は先日夏休みに入ったばかりで時間的余裕もある。たまには持て余す運をボランティアに活用してもいいかな、なんて思ってしまった。


「…何があったか知りませんけど、助けてって言うなら、私助けてあげなくもないですよ」


未だに伏黒さんをげしげしと叩いている恵くんを抱き上げながらそういえば、目を見開いたまま驚いた様子で佇んでいたその人は傷ついたように笑って「お前みたいなガキに何ができるんだよ」と呟いた。


「私、人より運がいいんです。私に拾われた幸運に感謝してください。貴方を立派なお父さんに更生してから世に放つことにしました」


ニッコリ笑ってやれば、また固まってしまった伏黒さんはややあって声をあげて笑い始めた。そんなお父さんの様子を見て恵ちゃんも笑い出す。



「面白ェ。やってみろよ」
「腕がなりますね。あ、そうだ仕事してないって言ってましたけど前職ヤがつく仕事とかじゃないですよね?!」
「あ?お前にしたらヤクザよりおっかねーかもな」
「は?!」


ヤクザよりおっかないヒモって何?!やっぱ私早まった?!


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