過払い請求適用されないの?

私の中の一番古い記憶は、幼稚園の帰り道、商店街で母親と買い物をした帰りに催されていた福引を引いた記憶。三等に放送中のアニメの女の子が持っていた変身グッズがあって、これが欲しい!と強請ったのだ。ちょうどコロッケを買ったお肉屋さんで福引チケットをもらっていたので、私は願いを込めながら福引を回した。あたれ、あたれ、あたれ!と。見事カランカランカランと鐘の音が商店街中に響いた。何と私は一等ハワイ旅行を当ててしまったのだ。母親は大いに喜んだ。私は変身グッズが欲しかったのだが、喜ぶ母親を見ているのは悪い気がしなかったので、ハワイ旅行がなんたるかを知らなかったが喜んだふりをしてキャッキャと笑い合いながら家に帰った。それからというものの、私には定期的に『豪運』と呼ばれるものが舞い込んだ。たとえば、軽いもので言えば席替えのくじ引きは自分が座りたいポジション以外引くことはなかったし、友達とやるボードゲームやトランプは負けることがなかった。なんならじゃんけんも今まで負けたことがない。年末に親族と集まった時にやった麻雀は役が私の元に吸い込まれてくるのではというほど毎回ボロ勝ちで手加減するのに苦労した。
周囲にも少し「なまえちゃんって運がいいよね」と言われることが多くなった頃から、周りの自分を見る目があまりよろしくないことに気づき始めた。特に親だ。色ごとにカタカナの名前と番号が振り分けられた新聞をつきつけて、何番がいいと思う?と聞かれることが増えた。初めは無邪気に答えていたが、段々それが何かに気づいて、私は選んだそれが『来ないこと』を願うようになった。無能になった私に親は関心をなくし、それ以降は特に何かさせられるわけではなく、至って普通の子供を演じて進学を機に親元を離れた。


そんな人によれば「いいなあ」と思われるかもしれない『豪運』だが、良いことばかりではない。先ほど言った通り、馬鹿な子供のままだったら親に利用されていたかもしれないし、そもそもこの力も万能ではない。ある一定期間運を使うと、そのしっぺ返しのように対価を払わされる。最近よくテレビで見かける某六星占術だかなんだかしらないが誰それの言っている大殺界よろしく何やってもうまくいかない時期が訪れる。階段から落ちたり、鳥のフンが頭に落ちてきたり、家電が悉く一気に故障したり、作ったばかりの料理を配膳中にひっくり返してしまったり、まあ、そんなもんだ。だからきっと、今日のこれも、何かのしっぺ返しなのだと思う。



「あ、の〜…」
「………あ?」


私が住んでいるのは、オートロックのマンションのはずだ。そのはずなのに、家の前に無駄にガタイのいい知らない男が大荷物と一緒に座り込んでいる。真夏の熱帯夜、じっとりとした暑さで汗ばんでいたはずの身体は違う汗が背中に伝い始めている。このマンションのセキュリティはどうなっているんだ。できれば知らないふりをしたい。したい、したいのに、男が座り込んでいるのは明らかに私の玄関の前で、ドアを開けることすら叶わない。意を決して声をかけた私に返ってきたのはやたら目つきの鋭い視線。しかも男の口元にはやけに特徴的な傷跡があり、黒いパツパツのTシャツから出ている二の腕は私の三倍はありそうだ…筋骨隆々で明らかにカタギではなさそう。や、ヤクザ…?プロレスラー…?無理。怖い、怖すぎる。帰りたい。家に帰りたい。帰れない。辛い…!私、最近何願ったっけ?もしかして、この前発注した銘柄、爆上がりしたのそんなにダメだった??史上最高値どころか天井突き破る勢いで上がったから??もしかして私が買付したせいで爆上がりした?『豪運』無理した??しばらく贅沢してもいいかな〜なんてウハウハしてたのがダメだった??うわーーんもう株なんてやらない。金輪際やらない。ちょっとヤバイ『豪運』使ったときにお化けに追い回されたとき並に最悪だ。タイ記録更新だ。
…しかもよく見れば、ち、小さい子供を抱えてる…?!え?!ど、どういう状況?人攫い?え?通報したほうがいい?


「誰だお前」
「…こ、この家の、者です」
「………あ?チッ…あいつ引っ越すなら言えよクソが……」


私たちが会話をしたせいか、それともガタイのいい男が不慣れそうに抱っこしながら立ち上がった瞬間に体制が崩れたせいか、抱っこされたぷくぷくの赤ちゃんはしんと静まり返ったマンションの中で猛烈な声で泣き始めた。や、やばいこれは色んな意味でやばい。今はもう間も無く時計の針がてっぺんを示す時間だ。できれば早々にどこかへ行って欲しいが、こんな時間にこんなところで座り込んでいたということは、恐らく誰かを尋ねてきたのだろう。男の話だと私がここに住む前の住人が知り合いだったみたいだし。虚無顔をしている男の顔はよく見るとひどく疲れた様子で、こんなにオーラがあるのに、今にも消えてしまいそうだった。赤ちゃんを抱えながらあー、またかよ。とも言いたげで、恐らく何度も赤ちゃんに泣かれているのだろうことが見て取れた。泣き喚く赤ちゃんは声も掠れているようで、小さな鼻な上には粒のような汗をかいているのがわかった。よくよく赤ちゃんの顔を見てみれば、抱っこしている男にそっくりである。なんだ、まだ子育てに慣れていないお父さんか、と思えば恐ろしい風貌の目の前の男性がひどく可哀想に思えた。すごい荷物だし、奥さんに逃げられたのかな?でもこんなに小さい赤ちゃん置いていく?もしかしてすごく訳ありだったりする…?



「あの、もしよかったら家入ります?」
「ーは?」
「赤ちゃん、泣いてますし、今日、外暑いですし。可哀想です」
「………お前、俺が殺人犯だったらどうするつもりだよ」
「さっ、殺人犯…?!殺人犯は、自分のこと殺人犯とは言わないのでは??」


何だその例え。物騒にも程がある。目の前の男性が新米パパに見えてから少し怖さがマシになったというのに、また恐怖心を蒸し返すつもりか!…しかも人一人くらい平気で殺してそうな風貌だし。内心ダラダラと冷や汗をかいていればぷは!と笑ったと思った男性がすぐに神妙な表情を浮かべた。


「こいつ、熱出してて、どうすればいいかわかる奴が周りにいなくて」
「え?!?!笑ってる場合じゃないですよ…!大変じゃないですか…!早く言ってください!とりあえず中に入って…!」


男性の言葉に慌てて手に持っていた家の鍵でガチャガチャと錠を開ける。玄関を開けて男を誘導すれば図体がデカすぎて自分の玄関が五割り増しで狭く感じる。なんなら天井も低く感じ始めてきた。


「ほんとだ、ぐったりしてる…熱何度ですか??」
「…体温計がねえ」
「とりあえず熱測りましょう…、体温計どこだっけ…」


常備薬を入れてあるケースをがさがさと漁り、目当てのものを見つけて段々と泣く力さえ無くなってきた赤ちゃんのどこに体温計を挿せばいいのかわからなくて、ごめんね〜と声をかけながら脇に挿す…が、うまくささっていないのか、そもそも赤ちゃんに体温計を挿した経験がないせいで動くたびにずれてうまく測れない。申し訳なかったが、仕方ないと体温計をさして腕をグッと固定すればさらに泣き始めて私まで泣きそうになった。ごめんね、ごめんね、と声をかけながら体温計の音が鳴るのを今か今かと待つ。


「え?!三十九度?!とりあえず夜間やってそうな病院に電話します?!」


三十九度なんて見たことがなくて慌てながら総合病院をパソコンで検索し、ここから一番近そうな病院に小児科の文字があることを確認して電話するとすぐに連れてきてくださいということだったので慌ててマンションから飛び出して、大通りに『たまたま通りかかったタクシー』を呼び止めて抱っこする男性ごと急いでタクシーにぶち込んだ。








「突発疹だね〜。この頃の赤ちゃんみんななるから慌てないで大丈夫ですよ。はい、これ三十八度以上の時の解熱剤ね。座薬にしといたからね。お大事にー」
「お母さん、こちらでお薬お受け取りください」



隣の男性が、恐らく訳ありであることを感じたのは、健康保険証を持ってないことに気づいたとき。私も子供がいるわけではないのでよくわからなかったが、医療証というものすら持っていない男性と私に受付の男性が不審そうにしていた。

その後の診察では先生の何でもないような物言いにひどく安堵した。見知らぬ赤ちゃんとはいえ、生死に関わってくると流石に寝覚めが悪い。薬を受け取るときにお母さんと言われたことだけは苦笑して受け流しておいた。お会計が十割負担で凄まじい金額を請求されていて健康保険証のありがたみを痛感したところである。泣き疲れたのか眠ってしまった恵ちゃん(診察の時に呼ばれていた)はまだ辛そうだが、みんながかかる病気と聞いて早く良くなるといいね、と願っておいた。


「悪い、助かった」
「いいえ。その、失礼なんですけど、この子のお母さんは…」
「……、いない」
「そうですか、すみません立ち入ったこと聞いて…」
「いや、いい」


相変わらず疲れた顔をしている未だに名前を知らない男性と、恵ちゃんと病院の前で待機していたタクシーに乗って帰路につく。
ちょうど家に着いたタイミングで泣き始めた恵ちゃん。赤ちゃんの泣き声って強烈なんだなあ、と世の中の子育てをしている人たちを尊敬した。


「ミルク、作ります?お湯沸かしましょうか?」
「ああ、頼む」


意気揚々と言ったものの、ミルクなんて作ったことないから作り方がわからない。ひとまず湯沸ケトルのスイッチを押しておいた。荷物をガサゴソと漁る男性が赤ちゃんのイラストの描かれた大きな缶を取り出してキッチンにやってくるので、キッチンの所有権を明け渡す。


「私恵ちゃん抱っこしとくので、キッチン好きに使ってください」


大きく頷いて、手慣れたようにミルクを作り始めた男性の様子に、ひとまずほっと息をついた。
私の抱き方が下手なのか、お父さんの逞しい腕でないことが不快なのか、しばらく腕の中でバタバタともがいていた恵ちゃんは、落ち着けるポイントを見つけたのかそれとも本能で母親のおっぱいを求めているのか胸元に頭を預ける形で私にへばりついてきた。……かわいい。絆されそうだ。






恵ちゃんはミルクを飲んでお腹いっぱいになったのか、男性の太い腕の中ですうすうと眠り始めた。その様子に私もようやく安堵することができた。


「悪いな」
「いえ、これも何かの縁ですし」
「…お前の前にこの家に住んでたやつに頼りにきたんだ」
「あ、やはりそうでしたか。今日はとりあえず泊まってってください。とはいえ、お布団ないんですよね…私のベッド使ってーって、赤ちゃんと一緒にベッドに寝るのって危険ですか?」
「……お前、危機感無さすぎるぞ」
「え?あ、あー、そうですかね」


自分の『豪運』でもし何か危ないことに巻き込まれそうでも、多分回避できるが故に男性からの指摘にうまく返すことができなかった。それに赤ちゃん連れの男性に何かされるところも想像できない。


「さすがに熱出してる赤ちゃん連れてる人外にほっぽりだすわけにもいかないので」
「ならこいつの熱下がるまでいていいか?」
「……まあ。そうですね。」
「家賃払うの忘れてて大家に追い出された。なんなら次の家見つかるまでいさせてくれ」
「………………え?」
「さっきのこいつの診察代で全財産すった」


すった…言い方気をつけろよ。パチンコじゃねーんだよ。国民健康保険料くらいちゃんと払え。言いたいことはあるが強面にこんなことを言ってそのゴツい腕でぶん殴られたら死ぬ気しかしないので口は閉ざしたままである。


「この家に住んでたはずの知り合いもどこにいるか知れねえし、お前のとこほっぽりだされたらこいつと一緒に露頭に迷う」
「……………………え?」



私が断れないとでも思っているのか、ニヤ、と笑った男性は、よくよく見るとかなり整った顔をしていることに今更気づいた。いや、めっちゃイケメンだな??今まで煙幕もビックリな陰気なオーラ纏ってたから気づかなかった。


「しばらく世話になる」


嘘でしょ??何がどうして子連れ男性と一緒に住まなきゃなんないの?まずあなたの名前さえ知らないんだけど。聞きたいことは山ほどある。聞きたいことしかない。こんなの、しっぺ返しとしても対価払い過ぎ案件でしょ!過払いだよ!!私が何したって言うの?!やっぱり私はもう二度と株なんてしないほうがいいかもしれない。




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