一年前、皆本家。
「姉上!あねうえぇっ……!!」
弟の悲痛な叫び声に、姉上と呼ばれた彼女は振り返った。
「うわあああん」と走って抱きついて来た彼女の弟、金吾は「父上が……」と繰り返すばかり。
どうしたの、と尋ねると、父が何者かに襲われたのだと言う。
すぐに父の下へと向かった彼女は、ピクリとも動かない父を前にして言葉を失った。
「誰が……こんな……」
彼女は声を震わせながら父に近づき、ガクリと膝をついて両手で顔を覆った。
「どうして……父上……っ…うっ……」
言葉を詰まらせる彼女を見た金吾は、涙を拭うと静かに言った。
「姉上……ぼくは……仇討ちに行きます……」
「…………」
「必ず仇を討って帰ります!」
走り出した金吾を止めようとはせず、彼女は顔を覆った手の指の隙間から、彼の背が遠くなり見えなくなるまで見ていた。
「……もう良いでしょう父上……。
ふっ……ふふっ……」
彼女は今度は口元を覆い、我慢出来ないと言うかのように吹き出した。
ムクリと起き上がった父、武衛が「何を笑っている」と尋ねると、彼女は「あまりにも父上が間抜け面で死んだフリをなさっていらっしゃるから」と笑った。
簡単に騙されてしまった弟を不敏にも思うが、それさえも面白く思えてしまう。
父は立ち上がると、「では私も行って参る」と歩き出した。
「はい、父上。
定期的に連絡を下さいね。」
「うむ。
留守は頼んだぞ。」
一言そう言い、父は息子の後を追った。
残された彼女はクスリとまた笑い、家に戻るためにその場を去った。
あれからあっという間に月日は流れ……。
「いくらなんでも遅すぎるでしょう…!」
彼女は一人、広い自室で呟いた。
最初は頻繁に届いていた便りも段々と少なくなり、一月程前に来た手紙を最後にパタリと来なくなってしまった。
何かあったのでは…という不安に駈られ、こんなことなら協力しなければ良かったと嘆いた。
あの日、父と弟が旅立った日の前日のことである。
「あら、宝条様ではありませんか。」
皆本家に、武衛の友人である宝条四郎時政が来ていた。
「おお、久しぶりじゃのう。
随分と別嬪さんになったもんじゃ。」
彼女は幼い頃に宝条と会っていたが、その姿を見るのは数年ぶりのことである。
「嫌ですわ世辞など。
ところで今日はどう言った用件で?」
「ああそうじゃった。
実はお前さんにも協力してもらいたいのじゃが……」
そうして語られた、金吾の甘えん坊で泣き虫な性格を直すための仇討ちの旅の計画。
金吾は宝条との面識がないため、武衛が頼んだのだった。
「そうは言っても……あの性格が可愛いんじゃないですか」
「それだ、それ」
「はい?」
腕を組んだ父は娘を心配そうに見た。
「お前がそうやって金吾に構うから…婚期が遅れておるのだ」
「ぶっ!」
彼女は飲んでいたお茶を吹き出し、父は眉をしかめた。
むせながらも謝り、彼女は居住まいを正す。
「婚姻については…相手は私が決めると言っているではないですか」
「しかし金吾があのままでは、お主は探しもしないだろう」
彼女は溜め息を吐き、幾度目か分からないこの会話に飽々とした様子だった。
「これは金吾のためでもあり、お主の為でもあるのだ」
彼女としては可愛い弟を危険な旅に出すなど反対であったし、ましてや自分の為などと言う理由など欲しくなかった。
しかし、父の気持ちも痛い程に理解していた。
本当に父の身に何かあったとするならば、その時にこの家を継ぐのは金吾だ。
この乱世、なにが起こるかは誰にも分からない。
そんな中、今の金吾が当主を継ぐとしたら……。
「……分かりました、協力しましょう。」
彼女は決心すると、二人にそう告げた。