そうっと、屋上につながるドアノブを捻った。開けた外界の隙間から風が逃げてくる。少し、肌寒い。その世界へ身体を投げ出し、扉を閉めた。そして目線の先にある背中を見つめ、深呼吸。よし。胸の中でひっそりとつぶやいたあと、彼に言葉を放った。
「せーんせ」
わたしの声に振り向いたその人は、チョイチョイと手招きをする。この仕草に、わたしは弱い。正確に言えば、この仕草をするこの人に、弱い。その掌に引き寄せられるように、わたしは彼の隣に並ぶ。視界にいつもと変わらない雑多な街並みが広がった。
「またここだったんだ」
「おう」
「高いとこ、好きなの?」
「そうでもねェな」
「じゃあ、誰もいないから?」
「お前がいつも来るから、その理由は当てはまらないだろ」
「あ、そっか」と笑って見上げた空は淡く、雲が穏やかに流れていた。「はい、これ」絶え間なく風は吹き、クルクルの彼の髪の毛をイレギュラーに揺らしている。彼はその髪を一度掻き上げ、ふわりと笑んだ。
「苺牛乳がプレゼントかよ」
「不必要であればわたしが飲むけど」
「冗談だってお前。いただくって。本当はめっちゃ飲みたいんだって」
「素直でよろしい」
わたしからパックを受け取った彼は地面に腰をおろした。その横でフェンスにもたれるわたし。飛行機が、頭上を過ぎていく。「お返しは何がいい?」彼の言葉に「いらないよ」と短く答えた。
お礼目当てなんじゃないよ。そんなもの欲しくないよ。ただ、繋ぎ留めておきたいだけなんだ。先生と、わたしを。あと半年もしない内にわたしは卒業だけどさ。先生ともさよならだけどさ。かまわないよ。先生がわたしを忘れたっていい。せめて、それまで。ううん、今だけでもいい。
先生。わたしだけの先生になって。その記憶で、わたしはこの先ずっと生きていけるから。
「だめだな」
先生の返事はあっさりしてた。とても彼らしくて、妙に納得できた。だからといって辛くない、わけではなく。眺める青空は徐々に滲んで。校舎のなかに逃れようと、一歩踏み出すわたしを、先生は背中から包んだ。
「今だけ、の条件は飲めねぇな。来年も、苺牛乳くれんだろ?」
耳元で、先生の声がする。この人はなんてズルいんだ。風が、吹いた。苺牛乳の甘ったるい匂いが嗅覚から段々と中枢神経を鈍らせてゆく。前に回された腕でロックされ逃げ場もない。あぁ、わたしの脳みそは溶けそうだ。
風吹けば恋
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101010さまに提出します
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