小説 | ナノ


「…蔵?」

 玄関の前でしゃがんでいる私と蔵の視線が交わった。蔵は肩で息をしている。急いでどうしたんだろう

「なんでそないなとこで座ってるんや」
「え、だって、財前くんがここで待っといてって言うから…」
「光の奴…」

 私は話がよくわからない。財前くんは? なんで蔵なの? 蔵は、私と会いたくないはずなのに。「ちょっと、ええか?」私は蔵に連れられて、近くのちいさな公園に移動した。懐かしい。よくここで蔵と野草取りをしたっけ。昨日のことのように思い出す。

「蔵、話って?」
「あぁ、えっと、これ」
「あ、ポーチ。わざわざありがとう」
「あぁ」
「…」
「…」
「蔵、もうええよ」
「え?」
「会いたく、ないんやろ?」
「…」
「私に気い遣わんでええから。それじゃあ」

 蔵の目は見れなかった。きっと泣いてしまうから。私は踵を返し帰ろうと一歩ふみだした。
 ふわり、首に両手が回される。私の足は止まり、時間も一瞬止まった気がした。

「なあ、帰らんで。そばにいてほしい、これから、ずっと」

 蔵の声は弱々しかった。私の耳元で消え入りそうにささやくと、声とは裏腹に抱きしめるちからはいっそう強くなる。
 ぽた。蔵の腕に、私の涙が落ちた。

「ずるい」
「…うん」
「ずるいよ、蔵。そんなこと言われたら、いままでのかなしかったことも全部、許してしまうやんか」
「…ごめん。俺、いまからでも、なまえを幸せにできるんかな」
「馬鹿蔵、馬鹿馬鹿馬鹿。そんなん、蔵しかむりや、馬鹿あ」

 私は振り返り、蔵に抱きついた。双眸からは大粒の滴があふれ次々に頬に伝わる。蔵は私を覆うように強くつよくだきしめる。春の日差しは心地よく、私を、私たちを包む。いままで氷づけだったみたいにモノクロの世界は色を取り戻し、温度がよみがえってくる。あたたかい。なんてあたたかいんだろう。

「なまえ、もう離さへんから」
「…また、名前で呼んでくれるんだね」
「俺に呼ぶ資格ないと思っててん」
「資格があるのは、蔵だけだよ」
「可愛いこと言うなあ、なまえは」

 いままでのできごとも、いつか笑い話に変えられるくらい、たくさんたくさん過ごそう。きっと、いままでの涙は、私たちが幸せになるための通過点だったんだよね。これを乗り越えて、私たちはより強く繋がったんだよね。
 私が笑うと、蔵も笑った。私がすり寄ると、蔵はくすぐったそうにだきしめる。こうしておだやかなワルツを、私は鼓動が止まるまで続けたいと思った。


end/100605
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