小説 | ナノ


「あー疲れた疲れた。ったくやってらんねぇよ」

 今日も愚痴をこぼしながら坂田さんが帰ってきた。どさりとソファに座る坂田さんに、私は雑巾がけをしながら「お疲れ様です」と笑う。神楽ちゃんと新八さんの姿が見当たらない。新八さんの家かな?
 少し、不安。ここに来てはじめて、坂田さんとふたりきり。坂田さんはとても優しい。記憶を失った私を文句1つ言わずに住まわせてくれている。それはわかってる。…きっとこの感情は、昔に坂田さんと何かあったからなのだろうと、思った。でも、聞いてはいけない。理由はわからないけど、心の奥で私がそう言っている。

「朱里、茶ァくんね?」
「あ、はい。いいですよー」

 まただ。坂田さんが名前を呼ぶたびに、心が四角くなるような感覚に陥る。丸くないから、転がるときにガシャンガシャンと音が鳴る。ぎくしゃく、という表現が妥当だろうか。しっくりこない。私はもやもやをかかえたまま、坂田さんにコップを渡す。

「お、サンキュ」

 坂田さんの手が微かに、私の指に触れたその瞬間、心臓がいままで止まっていたと錯覚するくらいに鼓動を強めた。次々としらない情景が脳を駆け巡る。


 …違う、知ってる。私は、このトキを、知っている。思い出せる。浮かんでいた雲の数まで、鮮明に。あれは、ちょうど今頃だった。

「…っ」
「どうした、顔色悪いぞ」
「なんでも、ありません。私、買い物行ってきます」
「あ、おい朱里っ」

 立ち上がり、震える手で戸を開け廊下を抜ける。そのまま草履を引っ掛けて外に飛び出した。呼吸がうまくできない。どうしよう、どうしよう。どうしよう。思い出して、しまった。私は、『朱里』じゃないこと。私は、


「なまえ…?」
「沖田さ、ん?」
「朱里、財布も持たねえで買い物に行く奴があるかよ」
「…銀ちゃん…」
「お前、その呼び方、」
「旦那、なまえと何してんですか」



誰にも止められない


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