小説 | ナノ


 昔は、よく一緒に遊んでた。いや、遊ばれてた、かな。いっつもムキになるのはあたしばかり。でも、可笑しそうに笑うその顔がやさしくて、心臓あたりをじんわり撫でるから、あたしの怒りはすぐどこかに飛んでいっちゃってた。この部屋にも、そこかしこに思い出が転がってる。壁が少しへこんでいるのは誰かさんが寝ぼけて頭をぶつけたから。ベッドがやたらギシギシ鳴るのはプロレスごっこをしていたから。ラグにできたピンクのシミは、誰かさんのイチゴ牛乳。全部、覚えてる。
 そんな誰かさんはいつの間にか教師なんかになっていた。ろくに授業も出ていなかった不良息子が、いまや他人に勉強を教える立場なのだ。すごい世の中になったものだ。

「オイ、手ぇ止まってんぞ」

 投げられた消しゴムは吸い込まれるようにあたしの額にヒットした。ギロリと睨めば頬杖をついただらしない男がため息をもらす。一丁前に眼鏡なんかかけて。似合ってないのよ。

「誰のために貴重な休日を返上して家庭教師してやってると思ってんだ」
「嫌なら断ればよかったんじゃん」
「お前な、昔から世話んなってるおばさんの頼み断れるわけねぇだろ。タダ働きは嫌です、なんて口が裂けても言えねぇわ」

 あたしは、当たり前だけど銀ちゃんと同じように歳をとり、ついに高3となった。しかも、担任は銀ちゃん。勉強は、ギリギリ付いて行ってる程度。それを見かねたあたしの母親が銀ちゃんに家庭教師を頼んだ。久しぶりに銀ちゃんがあたしの部屋に来る。あたしは嬉しかった。楽しみだった。なのに、銀ちゃんは来た途端にテキストを開くのだ。じゃれていいのかな、なんて浮かれてた自分を押し殺す。昔の私たちとは違う。いまや先生と生徒なのだ。そう考えれば銀ちゃんの行動は当たり前だった。でも、私にとって銀ちゃんは先生じゃない。
 だらしなくて、どうしようもないひと。そう思い込むことであたしは逃げてた。ほんとは知ってる。銀ちゃんはちゃんと勉強してたこと。ちゃんと将来を見据えてたこと。いつまでも子供なのは、あたしだけだ。







「課題終わったー!」
「はいお疲れさん」

 両腕をつきあげてよろこぶあたしの髪にふんわりとおおきな掌がのっかり、わしゃわしゃと撫でる。顔に全血液が集合してるみたいに熱い。銀ちゃんの笑顔は、あたしが好きだったころのままで、昔と変わらずに、心臓あたりをくすぐられる。たくさんたくさん知らないことが増えたなかで、この掌のぬくもりは変わっていない。あたしの高鳴る気持ちも。

「んじゃあ俺帰るわ」
「え、なんで?」
「なんでってお前、俺は役目を果たしただろ?」

 ああ、そっか。銀ちゃんは家庭教師として来てたんだっけ。すぐ浮かれるちゃうな、あたし。「そうだね、今日はありがとう」できる限り笑ってそう言うと、「おう」と短く返して銀ちゃんは部屋をあとにした。家まで、せめて玄関まで送ろうと立ち上がったあたしを前に、むなしく扉は閉まった。しばらく扉の前に立ちつくしたけど、また開くわけでもなく。振り返るとテーブルのそばに煙草が落ちていた。銀ちゃんだろう。おもむろにその箱を拾い、1本取り出した。煙草が吸えたら、大人になれる気がした。埋められない距離を縮められる気がした。銀ちゃんに、幼なじみとしてじゃなくて、生徒としてでもなくて、大事なひとだと思ってもらえる気が、した。
 ライターから火が伝い、煙草の先端が赤く染まる。息を吸い込むと、一気に煙が気道を占領し、あたしは盛大にむせた。やっぱりあたしはまだ子供みたい。どんどん離れてく距離の埋め方がわからない。嫌わないでよ、忘れないでよ。この思い出だらけの部屋にひとりでいるには、こころがいくつあっても壊れちゃうよ。


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