あなたは仇 中編


その日から、度々ヴィルフリートはカトリンの家を訪ねた。
玄関を開けてくれないので勝手に扉を開けると、カトリンは窓辺の椅子に座って俯いている。
「カトリン。今日は……あの……これ……」
そう言って、ヴィルフリートは豪華な翡翠の首飾りを掲げてみせた。
相変わらずカトリンは顔を上げない。
「…………」
しばしの沈黙が訪れた。ヴィルフリートがようやく喉から絞り出した言葉は
「……カトリン……愛してる……」
いつもの、精一杯の愛の言葉。
だがヴィルフリートは、まるで人形と口を利いているかのような気持ちになり、もうそれ以上何も言わず、立ち去った。
戸口に翡翠の首飾りを残して。

ある夜、村が騒がしいので、カトリンは窓の外に顔を出した。
すると、とてつもない早さで豪奢な家が建築されていた。貴族の別荘が建つのだという村人の話だが、なぜこんな寂れた村に、こんな豪邸を建てるのだろう。森を切り開き、瞬く間に屋敷は完成した。
屋敷に住むという貴族は金をばらまき、朽ちた村を整備した。貴族が不自由しない為に村をいいように作り替えた。すると村に人が戻って来た。昔のようなのどかさはないが、環境が随分住みやすくなった気がする。
村に残っていた村人たちにとっては迷惑以外の何物でも無かったが。

また今夜もヴィルフリートはカトリンの家を訪ねた。相変わらずカトリンは俯いて口を利かない。
「愛しているよ…」
そう呟くしか言葉がでず、また今夜も彼は宝石のアクセサリーを玄関の足下に置いた。いつしか玄関の横には宝の山が出来ていた。前回来た時から手をつけられた形跡はない。彼は小さく溜め息をつくと、宝の山に、また一品加えた。
そしてもう何も言わず、立ち去った。
カトリンはほんの気まぐれで、今まで手をつけなかった宝の山にそっと指をかけ、一つつまみ上げてみた。ギラギラ輝くばかりで品のない石ころだらけに見えた。
「愛している」
彼の言葉が脳裏に響く。彼は何がしたくてこんなことを続けるのだろう。見上げるほど身分の高くなった彼。欲しい物なら何でも手に入るのに、なぜ私にこだわって、なぜ貢ぐのをやめないのか。気を引いているつもりなのか。
深く閉ざしたはずのカトリンの心の扉が、ほんの少し開いた。中から出てきた物を彼女は無視した。しかし、理由の分からない涙が頬を伝ってこぼれた。認めてしまえば難しくない感情だということは分かっていた。だが、彼女はそれを「憎悪」と名付けた。

あなたは私の父の仇。国の仇。あなたへの私の思いは、憎悪。

カトリンの家から立ち去るヴィルフリートは、すっかり打ちのめされていた。
初めは、カトリンに似合いそうな美しい首飾りをプレゼントして、喜ばそうと思っていた。だが彼女は彼を無視し続ける。次からは、せめて売り飛ばして生活の足しにでもしてもらえればいい、と思っていた。しかしそれも彼女は手をつけない。今度はヴィルフリートの贖罪の形を表そうと思ってプレゼントを贈ってみた。もう、彼女に会いにいく理由はこれでいいと諦めた。
時間さえあれば一目でも会いたい。麗しの初恋の人。この想いは本物なのに、戦争という罪が、他民族であるという罪が彼らの間に深い溝を作ってしまった。
昔は民族の違いなど考えもしなかったのに、大人になるに連れ、民族問題はその歴史を連れて彼を深く苦しめた。自分はどうしてもヴィシニアの為に戦わなければならない民族で、ルトヴィアの民族はヴィシニアの下で扱われるべき民族なのだということを学んだのだ。だから何の疑問も持たなかった。まさか幼い頃住んでいた村がルトヴィアの村だったなど、彼は失念していたのだ。
カトリンは僕を恨んでいる。でも、あの夜僕は彼らを助けたのだ。少しぐらい感謝があっても良さそうだと思っていたが、考えが甘かったのか。
それほどまでにこの戦争は彼女を傷つけたのか。
憎みたければ憎めばいい。殺したければ殺せばいい。
だがこの愛には偽りはない。
贖罪し続けよう。
彼は沈痛な面持ちで馬車に乗り込んだ。
馬車が向かった先は、彼の自宅。国境の村に突然建てられた豪邸が、彼の新しい自宅だった。

ヴィシニアの王宮で催される社交界に招かれたヴィルフリートは、作り笑顔を張り付かせながら、淑女達と手を取りダンスを披露した。ヴィルフリートは国の英雄である。美しく優しい雰囲気の彼のまわりには競い合うように女達が群がってくる。
「ヴィルフリート様、今夜、お時間ございます?」
妖艶な貴婦人が声をかけてきた。
「いえ、今日は、間もなくお暇しようと…」
「まあ、何か御用事でも?」
「ええ、まあ、ちょっと、酔いが回ったようですので」
「それでしたら私の部屋でお休みになられては?」
貴婦人は広く開いたドレスの胸元に指を這わせ、彼を誘惑しようとした。だが、彼にはそんな技は通用しない。
「そういうわけにはまいりません………失礼」
素っ気なく立ち去っていく彼の背に、貴婦人は顔をしかめて舌を出した。
また他の貴婦人の群れに呼び止められたヴィルフリートは、邪険にするとあとが恐いので適当に話を聞くことになった。
「ヴィル様って全然浮いたお話を聞かないんですけど……。女に興味はございませんの?」
「英雄色を好むという言葉もありますし、ヴィル様ならよりどりみどりでございましょう?」
ヴィルにとって、この手の話に捕まってしまうのはとても厄介だった。なんと言葉を返せばいいやら、はにかみながら言葉を濁していると、
「もしかして、既に意中の御方がいらっしゃるの?」
これに、ヴィルは思わず正直に答えてしまった。
「ええ、心に決めた人がおりますから……」
これがまずかった。とたんに嵐のような質問攻めに襲われることになってしまったのである。
だが、まさか他民族の村娘が好きだなどと、口が裂けても言えない。
「どんなお嬢様なのかしら?」
との質問に、彼はただ、
「とても……美しい……人です」
とだけ答えると、足早に会話の輪を抜け出した。
貴婦人達は英雄の恋物語の噂で沸いた。
城から解放されて、夜空を見上げると、いつか見た夜と同じ形の月が昇っていた。
彼の心に重く激しく燃え盛り苦しめる想い。カトリン。僕の恋人。
もう恋人ではないのかもしれないけれど、片想いでも構わなかった。いつか彼女の心の氷が溶けたとき、村に建てた屋敷で一緒に暮らしたい。また昔のように、あの村で暮らせたら。あの森で遊べたら。
馬車に乗り、村の屋敷へと帰る。今日は遅いので、彼女を訪ねるのはやめておこうか。

ある日、とうとうカトリンの母が息を引き取った。今際の際まで母はヴィシニアへの呪詛の言葉を呟いていた。「憎し!」そう叫ぶと母は激しく咳き込み、そのまま息を引き取った。
狂った母の介護から解放されて、カトリンは肩の荷が下りたような気がした。葬式も満足に出せないほど貧しかった彼女は、村人数人だけを呼び、簡素な墓を建てた。
自宅に帰り、喪服のままカトリンは誰もいない家の静けさを噛み締めた。
ついに身内が誰もいなくなった。天涯孤独の身になった。失う物は何も無い。私はどうすればいい?
最後まで母はヴィシニアを呪った。ヴィシニアは母まで奪った。
激しい憎しみと、もはや止められない恋しさに、カトリンの心は乱れた。
復讐するしかない。
仇を討つしかない。
でも、どうやって?
カトリンは椅子の上で膝を抱え、心の底から沸き起こる漆黒の計画を練り始めた。



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