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気付いてなかったのです、いえ、気付いてないふりをしていたのです。何故、そのままにさせていただけなかったのですか?



「おい、名前」

「何でしょう、ぼっちゃま」

「……その呼び方はやめろと言ったはずだ」

「申し訳ございません、ですが、」

「口答えはゆるさねえぞ」

「申し訳ございません」


ぼっちゃまが小さい頃からお傍に居させて頂いた。いつの間にか腰辺りまでしかなかった身の丈は私の背を軽々と越えていらっしゃるのだから、時の流れというものは早いものだなどと思ってしまうのはもう年をとってしまった証拠なのだろうか?少なからず自分の思考に傷つく。


「どうなさいました?」

「用が無ければ話しかけちゃいけねえのか、あーん?」

「いいえ、出過ぎたことを申してしまい、申し訳ございません」

「構わねえ。さっきから謝りすぎだ、ばか」

「申し訳、」

「謝るな」


アイスブルーの瞳に私が映る。日本人だとは思えない、お綺麗な瞳だ。同じ日本人だとは到底思えない。そのお美しいお顔が近づいてくること、これから起こること、分かっていた。逆らうことなど、許されてはいない。柔らかいものが、柔らかいもの同士で吸いつくようにくっつく。


「……どうして逆らわない?まあどうせ、使用人の分際でとか言うんだろ?」

「おっしゃる通りです。お望みなら、逆らわせていただきますが」

「はっ!だったらそのまま耐えてるんだな」


腰に巻かれたエプロンの紐を解く衣擦れの音が聞こえる。恥じらうことさえも許されないのだろう、ならば出来るだけ早く終わりますように。私が耐えきれなくなってしまう、表面上では、耐えることができたとしても。

急にお手を止めたぼっちゃまに思考が現実に引き戻される。そうだ、ここは廊下なのに何をしてるんだ。


「…何故だ?……何で、こんなに求めてるのに手に入らない?」

「ぼっちゃま、」

「そんな風に呼ぶな!」


さっきとは違う、荒々しい口付けに思わず肩がびくつく、ああ情けない。ぬるりとした生温かいものが私の唇を辿る。開けるべきなのだろうか、口を。受け入れるべきなのだろうか、この唇を。でも、出来ないのだ。ただ欲求の処理を求められたなら、受け入れることが出来るのに、


「…名前が、欲しい」


私を求められたなら、受け入れることが出来ない。

分かっていた、その向けてくださる眼差しは願っていた憧憬ではなく願っていなかった恋情なのだと。

どうして、気付いてないふりをしていたのに、口に出してしまわれたのですか?


「どうして、…どうして、お前は俺を一人の男として見てくれない?」

「ぼっちゃ、」

「俺は跡部景吾だ!…そうして、俺から距離を置こうとしているのか?」

「そうではありません、私はただの」

「使用人か?」

「…その通りでございます」

「俺は、お前をそんな風に見ていない。お前なら分かっていたはずだろう?」


人一倍洞察力が優れていらっしゃるぼっちゃまだから、私の気付いていないふりに気付いていらっしゃったのだろうか?アイスブルーの瞳が、潤んでおられる、今にも溢れだしそう。私の所為で傷付いていらっしゃるのだろうか?申し訳ないと思いつつも、その涙を拭うことはあなたを受け入れてしまうことになる。


「…なりません」


許されない、だってあなたは跡部家のご嫡男であられるから。私などに捉えられてはならない。その為にも、私はたとえあなたを傷つけると分かっていても拒まなければならない。


「お許し、ください」

「……許すわけ、ねえだろ?」

「ぼっ、」

「言わせねえからな、俺の名前は景吾だ」

「……」

「なあ、命令なんて意味がないことぐらいわかってるんだよ。俺は、何でもしてやれる、お前が望むことすべて。俺を求めろよ、」

「……」

「頼むから、」


まるで、子供だ。全てが自分の思い通りになると思っておられる。あなたが右だと言っても、周りの人間の心の奥底から右だと思わせることなど出来る筈がないとご存じないのだ。跡部家のご嫡男が一端の使用人にうつつを抜かしているとすれば世間の笑い物だ。叩かれるのは目に見えていらっしゃるだろうに、どうして


「名前じゃなきゃ、嫌なんだ」


アイスブルーの瞳は一見、見る者を凍りつかせるような冷たさ。けれどその冷たさを通り越せば全てを溶かすような熱い瞳だ。景吾様のその瞳に溶かされないような強さを、誰か私に。