恋人

 八乙女楽。二十二歳。男性アイドル「TRIGGER」のリーダー。誕生日は八月。好きな食べ物は蕎麦。
 それくらい知ってるっての。ベッドに寝転がっているなまえは雑誌に向かって文句を言っていた。
 本当は買う予定ではなかったが、表紙の中の八乙女楽が「おい、なまえ。なんで買わねえんだよ。俺の彼女だろ? 彼氏が表紙飾ってるんだぜ? 買えよ。な?」と語りかけられた気がして、ついついお迎えしてしまった。コンビニスイーツを買いに来たはずだったのに。
 家に帰ってTRIGGER特集ページを早速開いてみれば、彼らの簡単なプロフィールが掲載されていた。恋人のプロフィールを見たかったわけではなかったなまえは、なけなしのお金でお迎えした雑誌に文句をつけたいわけなのだ。だが、次をめくればそこには、IDOLiSH7と肩を並べたTRIGGERの見開きカラーページがあった。「前年度王者・TRIGGER、新星・IDOLiSH7に敗れる!」という文言付きで。
 それでか。一昨日から連絡がないのは。わりとマメにラビチャをする彼が、どうりで。
 ブラホワのテレビ中継は海外出張という名の勉強会で見ることが出来なかった。録画はちょうど今日見ようかと思っていたところだったのだ。コンビニスイーツをお供にして。

「楽、悔しかったんだろうね……。落ち込んでるのかな……あ、そうだ。あれだ!」

 スマートフォンを操作しながら、なまえは陽気に歌い出す。ウサギのアイコンを開くと一昨日で言葉のやり取りが終わっている画面へと変わる。ふぅ、とため息をついたなまえはお馬鹿さんだねと苦笑しながらも文字を打っては送信ボタンを押した。



 翌日。ラビチャで一方的に待ち合わせを決めたなまえは、来なかったらショックだなと思いながらも、あの八乙女楽はそんなことをしないとマイナスな思考は捨てた。今日の服はグレーが基調のチェック柄ワンピースだ。チークもリップも付けて、珍しく小ぶりのネックレスも付けている。つまりは、デート服なのだ。
 待ち合わせの時間まであと十五分といったところで、黒いハットを目深にかぶった男性がなまえのいる方へと近付いてきた。ジャケットを羽織り、ワイシャツにループタイといったカジュアルな格好だ。ーーマスクで顔を隠すのが勿体無いくらいに。

「楽ーー……あ、違う違う。がっくん!」

 手を大きくブンブンと振るなまえに気付いた「がっくんと呼ばれた男性」は歩くスピードを上げてやって来た。「馬鹿」となまえの頬を人差し指で突く。

「何よ、馬鹿って! 気を遣ったんじゃない」

 TRIGGERの八乙女楽がこんな町中で女性といるとなると問題が起きる。社長の八乙女宗助は知人の事務員曰く「なかなかのやり手」らしいのでいろいろな手を使って揉み消すくらい容易いだろうが。

「“がっくん”はなぁ、ちょっとな……」
「恥ずかしい?」
「まぁな。二十二の男に使うあだ名かよ……」
「ふふっ、たまにはいいじゃん。小さい頃“がっくん”って呼んでたじゃないの」
「あ、あれは……」
「いつの間にか楽は“皆の八乙女楽”になっちゃってさ、私なんかが簡単に触っちゃいけないっていう感じになっちゃったけどさ」
「ったく……やっぱりなまえは馬鹿だな」

 反論しようと口を開くなまえに、楽はスッとマスクを下げて唇をそこに押し当てる。これ以上の反論は許さないと言わんばかりに。わざとらしくリップ音を立てて離せば、ほんのりピンク色だった頬を真っ赤に色づけた彼女がいた。

「が、がが、がっ……くん、道端でこんなことしちゃ……」
「なまえがその気にさせたんだろう?」
「がっくんが狼になった!」
「あー、はいはい。言ってろ言ってろ。ほら、行くんだろ?」

 なまえの手を取った楽は反対側の手で彼女の頭を撫でた後、目的地へと歩を進めた。マスクを付け直した楽ではあるが彼のオーラまでは消せず、眩しさを感じたなまえは俯いたままだった。

「ずっと俯いたままか? 可愛い顔が台無しだぜ?」
「へ? あ、いや……っ!」

 ふいに顎をつかまれたなまえは咄嗟に拒絶の言葉を使ってしまう。彼に触れられて嫌と思うはずがないのに。

「顔、見せてみろ」
「や……見ないで……」

 TRIGGERの八乙女楽と一緒にいると思えば「かっこいい」で終わるが、恋人の八乙女楽と一緒にいると思ったらそれだけでは終わらないのだ。かっこいいだけではない。意外と熱い男で、後輩・家族思いで、優しくて、一生懸命で、それでいて彼女にだけ見せる穏やかな表情が端から見ても見惚れてしまうほど美しくて。
 自分とは不釣り合いじゃないかと何回も何回も考えた。学生時代にも彼はクラスメイトから想いを告げられたこともある。「他に好きなヤツがいるんだ」と断っている所を自分の目で何度も見てきたなまえ。その「好きなヤツ」がまさか自分だったなんて、卒業式の日に告白されたときは思いもしなかったが。それはまた別の話だ。
 楽を励ますために誘ったデートが、自分が励まされようとしていたらダメだ。なまえは首をふるふると左右に振って割り切ろうとするも、一度浮かんでしまった事はすぐに消えてはくれない。

「が、楽……」

 ーー本当に私のことが好き?
 ーー今でも、あの時の「好きなヤツ」って私のまま?
 昔の記憶が彼女の想像と混ざり、鮮明な映像となって駆けていく。消えて、消えてと心の中で叫んでもどうにもならなくて。ぽたり、と生ぬるい涙らしきものが頬を伝っていった。
 楽は彼女に怖い思いをさせたのかと一瞬ヒヤッとしたが、それはすぐに不正解だと気付いた。小さい頃から知っているコイツは、こんなことであんな顔なんてしない。勝手に妄想して落ち込んでいるだけだって。鼻先をこすり合わせれば、なまえの体はびくりと跳ねて耳たぶが薄っすらと赤く染まった。ーー決定だ。

「目的地変更。俺の家にする」
「え?」
「その顔反則だろ……。連れて帰りたくなる」
「……楽が狼になった」
「狼ってよりかはヒョウの気分かな。ガオオ、ってな。今日は帰さねえから覚悟しておくんだな」

 人差し指でなまえの額にデコピンをお見舞し、「余計なことなんか考えなくていい」と叱り気味の口調で言った。ぶつぶつと文句を垂らすなまえにもう一発デコピンを食らわせれば、反撃に出るなまえの手をしっかりと絡め取るように握り、目的地へと方向転換をした。

「なによ……カラオケで“元気出るまで、帰さないよふ・ふ・ふ・ふ・レオパードアイズ♪”って歌う気満々だったのに」
「はいはい。“なまえの心、奪えるのは、Only Only Only Only Me”って返してやるぜ?」

ブラホワでアイナナちゃんとの勝負に負けたTRIGGERの八乙女楽は家で一人になると悔しくてめちゃくちゃ泣いて(でも気持ち的には勝負が出来て楽しいというのもあって)、夢主さんへの連絡も怠ってしまったという背景です。でも、夢主さんの顔を見たらバリッバリに元気になって替え歌にも乗っかるがっくんです笑
アニナナ最終回企画に参加させていただき、ありがとうございました!

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