それは日常の中に
ア゛ーーーー!!くそっ!
大学の講義の合間に、スマホを眺めながら頭をガシガシ掻きむしる。
イライラしながら机に突っ伏すと同時に出るため息。そんでまた僅かに上げた目で画面を見る。
「……さっきからどうかしたのか荒北」
「あ゛?」
斜め前に座る金城が、オレを気にしてンのは気付いてた。けど無視してた。
オレの当面の問題はコッチだからだ。
金城なりに話しかけるタイミングを見計らってたんだろ。
「随分不機嫌だと思ってな」
「るっせ……」
「…まあ話したくないのなら無理に聞くつもりはないが」
スマホの画面上に出たアイツの好きななんとかっつー変なキャラクターのアイコンから、吹き出し状になって表示されてる文字は『今日は唐揚げにするね』だ。一見何があったかもわかんねェ普通のメッセージ。むしろオレの好物を作るっつってるあたり、半同棲の関係は良好。
に見える。
だがそれは逆にオレをモヤモヤさせた。
むしろギャンギャン喚かれて泣かれた方がマシとさえ思う。実際にされたらうざったいんだろうが、そンくらい感情を露わにされた方がまだ対処出来んじゃねェかって。
アイツを傷付けたのは顔見りゃァ一目瞭然なのに、アイツがンな態度だとオレはなんて言っていいのか、むしろ昨日のことを蒸し返していいモンなのかすらわかんねェ。
高校からの関係だからって、半ば一緒に住んでたってアイツのことなんざ、わっかんねーことだらけだ。
ダァァァァァ!!!このままじゃ埒が明かねェよ。帰ってアイツの出方を見りゃイイんだろォ……くそ。
伸びをするように机に項垂れながら、既読のついたであろうメッセージに返事もせず画面を閉じた。
▼▼▼
部活が終わってチャリを担ぎながら家の前にいるオレ。日は沈んで少しひんやりとしたドアノブに手を伸ばした。
そんであえて帰宅を匂わせるようにデカい音を立てて入った。
「あ、おかえりなさい」
案の定、オレが靴を脱いでっときに少し奥から女の声がした。
いつも聞く変わんねェ声。
名前は昨日のこと忘れちまってんじゃねェの?ってくらいだ。
「オ…オゥ…」って名前に聞こえねぇくらいの声量しか出なくて、担いで入ってきたチャリを横目に自嘲するしか出来ねェ。
チャリをいつも以上に時間をかけて丁寧に立てかける。
さァて…名前とご対面ってワケだ。
「今揚げてるから待ってて」
ひょっこり顔を出した名前がオレを見て笑ってやがる。
ンで笑えんだヨ。
おめーより、優先したモンがあんだぜ。
なんでだって泣いて喚いて責められた方がラクなときもあンだよ。
健気に笑ってんじゃねェよ……バァカチャン。
理解があるっつーのはすげェありがたいと思ったが、ときに残酷らしい。
オレが名前を傷付けたんじゃねーかって思っても、コイツはそうじゃねェ。じゃァオレが1人で気にしてンのがバカみてェだって。
ん?……………アー。
違ったわ。
よく見たら機嫌よさそうに笑ってた名前の目の下が少し赤い。何度も何度も擦った痕みてぇな。
オレが見てねェとこで1人で泣いてたってわけェ?
そんでオレはンなことも気付かなかったわけェ?
ハッ、バァカはオレの方かヨ……。
理解がある女、なわけじゃねェ。
名前が無理矢理納得して、自分の中で消化しようとした結果だ。
前からコイツはそうだっただろ。
ワガママなんか数えられる程しか聞いたことねェ。オレといられりゃァそれでいいって、今どきのヤツにしては珍しい。高いレストランもブランドものも強請られたことねェ。
ただオレの傍にいて、笑ってやがる。しかも満面の笑みだ。いつだって楽しそうだった。
付き合ってある程度経つと、ンなことも忘れちまうのかオレわァ。
「……あれ?靖友くんどこ行くの?もうご飯出来るよ?」
「………ワリ、ちょっとコンビニィ」
名前の顔も見れねェ。
見たって目元ばっか気にしちまう。それはオレがコイツにしたことをまざまざと突き付けられるようで。
俯いたまま、適当に玄関に並んでたサンダルに足を突っ込んで外に出た。
唐揚げの油の匂いを感じながら。
帰りゃ冷えたベプシがあるってのに、行くアテもねぇから宣言通りにコンビニに入る。
ついでに言やァ買うもんもねェ。
適当な雑誌を手に取ってペラペラ捲り出すも、集中すら出来やしねェ。
「ケッ」
3段ラックに雑誌を放り戻すと、目の前のガラスに映った自分と目が合った。気が付きゃァそこに向かって拳を振り上げて、殴りかかりそうになってたのを理性が止める。
この胸糞悪ィ気分をどうにかしたくて、結局冷えたベプシを買ってコンビニを出た。
コンビニを背にして一度は家の方を向いたものの、まだ戻る気になれねェ。戻ったところでなんも出来ねーのは知れてる。
その気持ちに従って、オレの脚は家とは反対方向に歩き出した。
▼▼▼
「………靖友くん見っけ」
「っ!?どわァァ!?」
ベンチにドカッと身体を預けてベプシに口をつけ、箱根と変わんねぇくらいの星空を仰ぎながら何度目かのため息を吐いていた。
公園にあるいくつかの街灯がオレのツラを照らす。
それを遮ってきたのは紛れもなく名前だった。名前の影がオレのツラに落ちてきた。
それは何キロにもなる重りがのしかかったように、オレの身体はベンチからずり落ちる。
今1番会いたくなくて、今1番オレの頭を支配するヤツの登場だ。
「名前…!テメッ…!」
「あはは、ドッキリ大成功」
ンでここがわかったかとか、1人で暗い中出歩いてんじゃねェとかいろいろ言ってやりたかったが、もう腹括るしかねぇ。
オレは体勢を立て直して、ボトルの下に沈んだベプシを残らず飲み干した。そのボトルをベンチの少し横にあった大きめな筒状のゴミ箱を目掛けて投げた。外れればちったァ時間稼ぎできンじゃねーかって思ったのに、こういうときはそううまくいかねェモンだ。
拾いに行く必要もなくゴミ箱に吸い込まれてった。
「………忘れてた」
「…え?」
「アーだからこの前のォ…」
「…………うん、だろうね」
名前の声のトーンが僅かに下がる。
オレの方を向いてた名前が、オレに背を向けてベンチの背もたれに寄りかかる。
「ンで怒んねェんだよ」
「………………」
「フツーの女なら泣いて喚いてもう別れるとか言いそうなモンだろ」
「そうだね」
「……どーでもよくなったァ?」
オレは1番訊きたくねェことを言った。
唐揚げっつってた今日のメシが名前との最後の晩餐になんじゃねーかとか、ンなことすら頭によぎってた。
コイツにとって先日の約束っつーのはただの約束じゃなかった。
なんせ付き合った記念日ってヤツだからだ。
オレがそんなもん気にする方じゃねェってのは忘れてた言い訳にすらならない。
名前は泣くほど楽しみにしてたってことだ。
「………………」
「……………答えてくんナァイ?」
けど訊かなきゃなんねェ。訊きてェ。
名前とはそんな中途半端で付き合ってたくねーんだヨ。
お情けみてぇなモンで付き合ってたくねーんだ。
始まりがありゃァ終わりがあんのが当たり前だ。
けど、出来ることならコイツのことは終わらせたくねェって思ってる。
チャリに乗ってるときは一切持ち合わせない感情。
知らなかった感情。
メンドクセー…………。
ただそれよりもオレがコイツを手放したくねェって方が勝ってるみてーだヨ。
自分がンなことでチマチマみっともねェとこ晒すとは思ってなかったゼ。
「……なァ」
「…………け、ないじゃん…」
「聞こえねー」
「…そんな、わ…け、……ない」
名前の声が震えたように聞こえた。
ヤベェ…!
ベンチの上で身体を反転させて、無理矢理名前の肩を引きこっちを向かせる。
それと同時にオレの腕が名前の目元を擦った。
そこに思った感触はねェ。
「はーーーー」
「え、何…?」
ベンチの上で脱力したオレとは逆に、真ん丸にした目がオレを見下ろす。
泣いたかと思った。泣かせたかと思った。
まァコソコソ泣かれるよりはマシだけどヨ。
………つーか、オレの前では泣かないようにしてンのかもなァ。
「私ね、あの日は靖友くんとどこ行こうかって考えてた」
「…オゥ」
「ケーキ食べてお祝いしたいって思ってたし」
「あんま甘くねェヤツならなァ」
「それから…お酒飲んで」
「イイじゃナァイ」
「そうやって1日靖友くんと一緒にいられる日なんだって思ってたよ」
「………悪かった」
「…靖友くんがとうとう自転車以外興味なくなっちゃったのかと思った」
「ンなわけあるか、ボケナス」
「えーだって、っ!んんぅっ…!」
「うるせー口は塞いでやンよ」
文字通り、動く名前の唇を、大口開けたオレので覆い被さるように塞いだ。
数秒だか数十秒だか何度も角度を変えて啄むようにキスをする。口内まで荒らしてやりてェが、それはベッドの上までとっといてやる。
解放してやったコイツの顔は金魚みてーに口をパクパクしてるであろうが、暗いせいでよく見えねェのが残念だ。
ったくヨ、チャリしか興味なかったら、金城に気付かれちまうくらいイライラしたりモヤモヤしたりするわけねェってのォ。
やっぱバァカチャンだわ。
そろそろ帰るかと思ってると、「くしゅん」とくしゃみをする名前。
そういや絶賛残暑中とはいえ、さすがに夜は肌寒くなってきた。
「……ン」
「え?」
「ほら、帰んぞ」
「手…繋いでくれるの?」
オレはベンチから降りると、コイツの前に手を差し出した。
それを珍しいモンでも見るかのようにアホ面してる名前。確かに普段ムダにベタベタされんのがキライなオレは、めったに手なんか繋がねーけどよ。
けどォ
今日は
「トクベツサービスってやつゥ?」
オレがそう言うと、飼い犬みてぇに手に飛びついてきて握られる。その細い指をしっかり握り返して公園を出た。
1人で来た道を、手を繋いだ2人で帰る。
悪くねーんじゃねぇのォ?
「ねぇ次出かけるときも手繋ぎたい」
「……ぜってーヤダ」
「えーなんで」
「言ったろォ、今日はトクベツだって」
夜風で冷えた身体が、お互いの掌を通じて熱を取り戻していた。
ついでに家に帰ると、すっかり冷めた唐揚げが待っていた。
オレがそのままでいいっつった冷めたままの唐揚げをひと口。
コイツが当たり前に作る唐揚げが、こんなにウマかったんだって思うハメになる。
しゃァねぇから、次出かけるときはさっきコイツの言ってたちっせーワガママってのを聞いてやンよ。
End